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2005年4月

2005.04.30

GWは、、、

 前半は毎日仕事である。
 先週の日曜からの怒濤の急患、緊急手術も昨日までに落ち着いた様相。どちらも満床であったICU,HCUも今朝の時点でICUが5名(うち4名が脳神経外科)、HCUが5名(うち3名が脳神経外科)と落ち着きを取り戻していた。心筋梗塞や胸部大動脈解離などの患者さんが一般病棟に移ったようである。
4/25, 26と連日手術した2名のくも膜下出血の患者さんは二人とも食事をしている。4/26に手術した70歳代の女性は昨日まではまだぼんやりしていて、「畑の、、、」「あそこの線が、、、」などと少々頓珍漢な会話になっていたが、今朝は自分が病院に居る事、手術を受けた事、くも膜出血であった事など理解していた。もう一人の50代の女性は、発症時のグレードがHunt & Kosnik分類で3であり結構な出血であった事もあって、まだ少しぼんやりしていてdisorientation(見当識の障害)があるが、それ以外は順調である。
4/28に手術した脳腫瘍の患者は、まったく麻痺も無く食事も全部食べているので一般病棟に移った。

GWだからといって病気に休みは無いのだが、なんとなく今週があれだけ忙しかったので来週は少し楽になるのではないだろうか?と期待(希望)している。

銘柄豚肉の平○牧○「三元豚」の本社はこの町にある。「どっちの料理ショー」などで紹介されて有名ブランドになった豚肉である。そういえば4/24の夜、この本社ビルの一階にある直営店のトンカツ屋さんに行って部厚い「特厚ロースかつ」を頬張ろうと思っていたのだった(急患のため果たせず)。昨日の夕食にこの店に行ったら、時間が遅かったせいもあるが「ロース」は売り切れ!しかたなく「特棒ヒレカツ」を食した。旨かった!
今や、東京に2軒も支店を出している。日本橋のCOREDOビルと玉川高島屋内にあるらしい。さすが東京、土地が高いので、こちらで1800円の「特厚ロースかつ膳」は東京では2500円するらしい。しかし美味しいので行列ができる事もあるそうである。
GW、前半は仕事三昧でこちらにいるので、外食をどこにするか、楽しみであり悩みでもある。

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2005.04.29

進化

 昨日手術した髄膜腫の患者さんは、今朝ICUに行くとニコニコしていて、右半身の麻痺はほぼ回復していた。直径4cmくらいの腫瘍だったし、脳の表面に少し浸潤性で圧迫された脳が変色して崩れやすくなっていたので、術前より一時的にせよ麻痺が悪化する事を家族にも説明していた。しかし結果は非常に良い。たまたま場所が良かったのだろうが自分の手術が上手くなったのか?と錯覚もする。
 
 手術の技術というのは、先輩医師の手術の助手をしながら最初は糸結びなどの基本的な事から始めて、徐々にできる技術の範囲を広げて進歩させていくもの。例える事が正しいかどうかわからないが、常々「寿司職人の修行」と同じと思っている。お店の掃除、出前、板場の掃除などから始まって、シャリの準備、ネタの下ごしらえの手伝い、準備、そして握りという具合に、先輩から教わりながらまたは仕事をしながら先輩の技を盗んで研究し身に付けていくものである。
 手術の技術は、教科書や現在ではビデオやDVDなどでも勉強できる。先に書いた学会でも多いに勉強できる。しかし、やはり自分でメスを握って執刀してみない事には、技術論だけでは机上の空論になってしまう。教科書を読んで旨い寿司が握れるのなら「この道何年の名人」などというのはいらない訳である。
 世の中はすべてがそうであろうが、「一事が万事」だ。子供の頃、父親によく叱られてはこの言葉を聞かされた。
外科医として成長していく上でも「一事が万事」。たとえば、皮膚の縫合の糸結びをスムーズに満足にできない医師に顕微鏡手術なんてできるはずが無いのである。私も外科医としては稚拙な時代があった。今でも「名人」とか「天才脳外科医」からは程遠い「凡庸の外科医」だと思う。しかし振り返ってみると、21年間の間に学び経験したことはすべてが今の役に立っている。長く居た大学病院では、脳腫瘍や脳卒中の手術では肝心なところは教授に執刀していただき自分は助手を務めてすぐ傍で勉強させてもらった。脳内視鏡手術や定位脳手術は中心になって執刀をして後輩を指導していた。大学を離れ一般市中病院の科長になってからは、自分で最初から最後まで執刀する機会が増えた。増えたからすぐにできるようにはならないけれど、自分でも手術の技術がまだまだ進歩しているのを感じる。外科医としてうれしい。
 自分が器用だとかそういう事ではなく(外科医が不器用では困るのだが)、今まで自らが執刀した事が無い手術でも教授の助手を務めていただけでもこんなに技術が身に付いていたのか、と今更ながら感心する。ただ傍でぼーっと見ているだけではだめなのである。教授のかわりに手術記録を書き、数時間の手術のエッセンスを10分くらいの手術映像に編集し、術後検討会でみんなの前で発表解説する。こういう経験をしてきた事で、あたかも自分がしていたように頭の中に映像が蘇る。あとはそのプラン通りに手、指を動かせるかどうか、その集中力が保てるかどうか、恐怖に打ち勝てるかどうか、など「心」の問題が大きいと思う。
 これから外科医を目指す人もこれから寿司職人を目指す人も、先輩の技術をしっかり盗んで自分のものにしてほしい。それは自分のためではなく、手術を受ける(お寿司を注文する???)「相手」のためなのだから。

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2005.04.28

「脳外科祭り」ですね!

ICUの看護師に言われた。
別に目出度い「お祭り」ではない。
 先週末から連日の急患、緊急入院、緊急手術。現時点で満床が8床のICUの5床が脳外科の患者さん。本当は12床あるけれどコントロールして満床を8にしているHCUのうち3床が脳外科。昨日も緊急入院が3名ありICU, HCUにはいれないので一般病棟に入院した。今朝も脳出血の緊急入院があり、HCUにはいれないため、そこまで重症ではないが一般病棟の6人部屋しか空いていなかったのでICUに入院した。
土曜日からの6日間に緊急入院した患者さんの病名を順に列記すると、
脳梗塞、くも膜下出血、脳出血、小脳出血、脳梗塞、くも膜下出血、慢性硬膜下出血、脳出血、脳腫瘍、脳腫瘍、脳出血、という具合である。このうち、4人に緊急手術をした。手術にはならなかった重症の脳梗塞の患者が一人お亡くなりになった。毎日のように、ICU/HCUに入院があり手術患者があるので、ICUの看護婦さんが驚きと慰めと労いと呆れた感情を交えて表現したのが、タイトルの言葉である。
 すでに書いたように「疲れた」などというレベルではない。「いい加減にして!」と正直思う。しかしこれは自分の仕事である。偉い!と思われる必要は無い。当たり前の事である。
 今日は、朝から外来。これがいつもより混んだ。来週が連休で木曜の私の外来が無いからだ。更に、開業医から精査依頼などの紹介が3件、大学病院から慢性期治療のための紹介が1件、院内他科からの紹介が1件、その他フリーが1件と6件の新患があり、MRIなどの検査の説明、紹介状への返事などなど多忙を極めた。朝の9時から30秒も休みを取らずず〜っと働き詰めで外来が終わったのは13:45であった。今日の手術の手術室入室予定は13:30だったので、13時の時点で間に合わないので「13:45に変更してください」と連絡しておいた。もう一人の先生に手術室に走ってもらい、執刀医の私は昼食を穫った。
 食欲が戻ったので多分「ニンニクたっぷりパスタ」が効いたのだと思う。1355手術室へ。今日の手術は大きな傍矢状洞〜大脳鎌髄膜腫の再発例。腹臥位(うつぶせ)での長時間手術となる。手術の予定時間は8時間以上(もしかすると10時間)と思っていたが、開頭が意外とスムーズに言った事、腫瘍が浸潤した矢状洞を計画通りに切除したところ、大脳鎌の腫瘍がほとんど脳を圧迫しなくて取れた事、その他予測外のトラブルがなかったことなどで6時間50分で終了した。患者さんは麻酔の覚めも良好である。術前から足に強い右手足の運動麻痺と軽い頭頂葉症状があった。術後もまだ右の運動麻痺は認めるが術前よりも良くなっていた。大成功、といって良いと思う。
 今週は、緊急手術4件、予定手術1件。4日間で5件、計およそ25万点(=250万円)の手術料である。これを高いと思うか安いと思うかは立場によって違うと思うが、私から見ると「あれだけ働いて全部でたった250万か〜」と思う。米国の制度なら、多分全部で3000万円くらいになっているはずである。

 世の中は明日から連休。10連休の人もいるのだろう。あまりに悲惨な事故なので今まであえて触れたくなかったが、あのJR福知山線の大事故。連休を楽しみにしていた人もたくさんいただろう。私が、どんなに忙しくて辛くて眠くて空腹でイライラして肩が凝ってからだが痛くてフルートが吹けなくても、あの悲惨な事故に巻き込まれた方々の前では「屁でもない」ことである。

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2005.04.26

食事の事

 昨日書いたように今日も破裂脳動脈瘤の手術だった。早朝に重症の脳梗塞が入院し午前中には慢性硬膜下血腫の患者が入院したが、これらはもう一人の先生が診ていた。私は昨日の手術患者二人と病棟を担当していた。午後の手術に備えて1時頃に昼食をとろうと思ったのだが、どうも食欲が無い。おなかが空いていない訳ではなくて何となく食事をとる気持ちにならないのだ。
 仕方なく、病院売店にうっていたウ○ーダーイン○リーとかいうものを2種類(生まれて初めて買った)とリ○○タンDとかいうものを穫った。これではおなかが一杯にならないので紅○花○を飲んだ。これで今日の昼食はおしまい。午後2時過ぎから手術が始まった。手術はきわめて順調に3時間半少しで終了。視神経交差部に出血して癒着した脳動脈瘤にクリップを無事かける事ができた。
ICUに戻り家族に手術の説明をした。早朝に入院した重症脳梗塞の方は、故小渕首相と同じような病態で脳が強く腫れて出血性梗塞を起こしているので、家族を緊急にお呼びして危険な状態である事を説明した。

 いつもならそろそろおなかが空いて何か美味しいものを食べたいところだが、やはりまだ体調が回復していないようで食欲がわかない。家に帰って、ニンニクたっぷりパスタでも作って食べよう。風邪を引いた時、体調を崩した時、私はいつもこのニンニクたっぷりパスタで乗り越えてきた。一人分のパスタにニンニク(必ず青森県産)を大きめなら2カケ、小さめなら3、4カケ使うのである。薄くスライスしてオリーブオイルで決して焦がさないようにじっくりきつね色少し手前まで炒める。ポイントは弱火でじっくり炒める事。焦がしてしまうとオイルが臭くなる。ゆっくり時間をかけて炒めたら、パスタのゆで汁を少し加えて一煮立ちさせそこに茹でたてのパスタをいれて混ぜるだけ。この時、火は消す事。パスタを炒めては絶対にいけない。この2点を守れば誰でも美味しいニンニクたっぷりパスタが作れる。
 「食事」を作る、といっても私にできるのはこれだけ。たいした事は無いが、(材料さえきちんとそろっていれば)味には自信がある(当たり前か、、、)。人間、やはり食事が大事。生活の基本である。
 さて明日は今日入院した慢性硬膜下血腫の手術。明後日は、本来今日であったはずを延期した脳腫瘍の手術。「ごねていた」患者さんの家族も、日曜から立て続けの急患と緊急手術について伝え、「緊急手術の合間に無理に長時間の手術を組んでも術者の集中力が落ちるので、患者さんのためにも延期した」ことを伝えると納得してくださった。

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2005.04.25

破裂脳動脈瘤、脳出血、そして、、、

 昨日、日曜日、私は出番だったので朝の9時から回診した。すべてを診終わって指示を書いたりして午後1時過ぎまでかかった。その後昼食を食べに出かけ夕方まで家でおとなしくしていた(フルートを久しぶりに吹いた!)。
 夜の8時頃、そろそろ夕食を食べに出かけようかな、と思っていたら急患室から呼ばれた。57歳のくも膜下出血、日曜の夜だし、これから準備して脳血管撮影を行っても夜中になるので、今晩は鎮静剤で寝かせて明日(つまり今日)脳血管撮影と手術をする計画とした。
午後10時半頃、仕方なくコンビニにお弁当を買いにいって夕飯とした(そうそう、私は一人暮らしなんです)。
家でそのわびしいお弁当を食べ終わった11時、また急患室から呼ばれた。脳出血である。
左側の被殻出血、結構な量はある。右半身の強い麻痺と全失語が出ている。患者さんは、2年前まで脳梗塞と小さな脳出血の後遺症で当科外来に通院していたが、同時に通っていた糖尿病外来とともにある日からぷっつり病院に来ていなかった。自己管理の不足による脳卒中である。
とりあえずHCUへ入院。血圧管理で安静治療とした。手術してもよい位の大きさであるが、高血圧性脳内血腫では、出血で壊れた脳の機能を手術で取り戻す事はできないのだ。意識状態が悪化したら手術する事とし夜中の0時半頃、病院を後にしようとしたら、またまた「ピーピーピー!!!」とポケベルがけたたましく鳴った。
今度は小脳出血である。午後10時半頃自宅で倒れて嘔吐し、町立病院を受診して、当院の救急外来に紹介されてきた。最初はしゃべっていたらしい。当院についたときも、尿意を気にしていたとのことである。私がCT後に呼ばれてみた時には、意識レベルが低下し呼吸が失調性になっていた。瞳孔も対光反応がなくなり角膜反射も消失している。78才。これから夜中に緊急で手術しても助けられるかどうか、助けても寝たきりか植物状態となる公算が強い。家族と相談の上、すぐに挿管してICUで人工呼吸器管理とした。この患者さんを診て帰宅したのが深夜の3時である。
そして朝6時に病棟から電話で起こされた。ある術後の患者さんの尿量の報告であった。

はっきり言って、とても疲れた。立っているのが、歩いているのがやっとという感じである。
しかし、午前中は外来がある。患者さんは待ってくれない。外来をこなしていたら、神経内科から「頭痛で受診した人をCT撮ったら、くも膜下出血です」と連絡がはいった!またか!
昨日入院させたくも膜下出血の患者さんは、午前11時から脳血管撮影を行った。右の内頚動脈と前脈絡叢動脈分岐部に直径8mm程の破裂脳動脈瘤が見つかった。しかもその動脈瘤と並ぶように、右の内頚動脈と後交通動脈の分岐部にも3〜4mm位の小さな「未破裂」と思われる脳動脈瘤が見つかった。
開けてみるまではどちらが破裂したかはわからないが、だいたいは大きい方が破れている。しかも形が多少いびつで脳に癒着して破裂したような感じである。この手術を午後からやろうと思っていたが、昨晩入院させた小脳出血の患者さんが水頭症を呈しているので、まず脳室ドレナージだけでもやってあげようと言う事になって。まず小脳出血+水頭症の脳室ドレナージを行った。
その後、今日神経内科に歩いて来院した77才のくも膜下出血の脳血管撮影を午後3時から行った。
一番多い場所、前交通動脈破裂脳動脈瘤であった。明日手術する事にした。いくら私がタフでも、睡眠時間3時間でふらふらになりながら緊急手術の中でも神経を集中して当たらなければならない破裂脳動脈瘤の手術を夜中まで2つ続けて行うのは無理がある。がっちり薬で鎮静させ、明日手術する、ことについて家族から了承を得た。
実は、明日は予定時間8時間の脳腫瘍の手術が組んであった。脳腫瘍の手術は緊急性が乏しい。木曜日の脳外科の手術枠に移動させてもらった。看護師によると、その患者の家族の一人が、「なんでうちのが延期されるのか納得いかない!」とごねているそうである。でもきちんと理解してくださった家族もいたという事で、これから手術にはいる私は関わらない事にした。
そして午後5時前から8時半くらいまでかかって、昨晩入院した2つの脳動脈瘤の方の手術を終えた。手術中もなんとなく調子が悪く、頭痛と腹痛がした。しかしなんとか歯を食いしばって手術を終えた。本当は体調万全で臨まなければならないのだが、昨日からの状況がそれを許してくれなかった。手術が終了するや否や、カンファランスルームのソファにうつぶせに倒れるように寝た。
30分くらい寝たであろうか?はいってきた看護師さんの物音で目が覚めた。
「患者は?」と問うと、「もうICUに行きましたよ」とのこと。
あわててICUに走った。患者さんは、大きな問題は無いのだが、前脈絡叢動脈と後交通動脈が内頚動脈の後ろを回って、ちゃんと血流が通っている事、クリップがそれらの枝をかんでいない事を確認するため一生懸命出血や脳脊髄液を吸引してみたせいか、右の動眼神経麻痺が出現してしまった。神経は直接触っていないと思うのだが(その姿がきちんと見えた訳ではないので)、奥の奥にある脳底動脈の周囲までくも膜下出血のclotを取ったためであろう。多分一過性で1、2週間で回復してくれるはずである。手術は、その事を除けば大過なく終わった。
脳室ドレナージ中の小脳出血の患者さんは、あいかわらず人工呼吸器である。
明日手術予定の前交通動脈破裂脳動脈瘤の患者さんは落ち着いている。待たせていた家族に脳血管撮影の結果を説明し、明日の手術の同意を取った。
明日も忙しそうだ(木曜日にのばされてごねている家族にはどう対応しようか、、、)

あれ?!夕飯まだだった。食欲ないな〜。。。(4/25 23:20)

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2005.04.24

やっと咲きました。

 昨晩遅く盛岡から戻った。結局、盛岡は寒く、「石割り桜」はタクシーの運転手情報では「3輪だけ咲いた」ということだった。今回は車で行ったが、金、土と2日にわたって「同時通訳」を担当したり、聞きたいセッションが詰まっていたため、県庁近くの「じゃあじゃあ麺」の老舗「白龍(パイロン)」に行った以外は学会場から一歩も出なかった。
 帰り道、夕刻から夜になったが日本海の海岸沿いを走る部分があって、大きく広がる海原を久しぶりに見た。海はやはりいい。

 さて、今回の学会でも興味深い事はたくさんあった。脳神経外科の世界では、かなり前(10年くらい)から「未破裂脳動脈瘤」の治療に関する話題は必ず一つの中心的なトピックスとなる。「脳ドック」などをやっているのは世界中で日本だけ。日本以外の国では、破れてくも膜下出血になったら当然だが、破れる前に積極的に瘤を発見して治療してしまおう、というのは米国の一部の脳神経外科医くらいしかいない。
 実際、フロアからのコメントや座長の発言にもあったのだが、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血を超急性期(倒れたその日や翌日)に頭を開けて手術する、というのは30年前には世界中で日本でしかやっていなかった。先進諸外国であるイギリス、ドイツ、アメリカなどでも「破裂してすぐの脳は腫れているから、すぐ手術するなんて気違い沙汰だ!」と批判的であった。しかし、先達の優れた日本人の脳神経外科医たちは、「ただ寝かせているだけでは、再破裂を起こして助かる人が助からなくなる。合併症を起こして具合が悪くなる。すぐに開頭してクリップをかけて再破裂を防ぎ、どんどん起こして合併症を起こしにくくすべき。何よりも再破裂により亡くなる人をなんとかしなくては、、、」と超急性期の手術を批判にもめげず続け、その結果、良好な治療成績を世界に示した。諸外国はそれをみて、「そうか。急性期に手術するのはいいんだ!」と納得し、今や医療における先進諸外国で日本と同じく急性期手術をしない国はなくなった。
 それでも日本の脳神経外科医は、「いくら我々が夜中に緊急手術をしても助けられない患者さんや重篤な後遺症を残す人がまだたくさんいる。なんとかできないのか!」と考えたあげく、破れる前に処置してしまえば「くも膜下出血」にならないのだから、「未破裂」の状態の人を見つけたい、という流れになったのは当然である。
 時を同じくしてMRIが普及し、その機能が向上し、MRAという造影剤を使わずに血管がある程度(現状では2mm以上?)の太さなら写るようになった。脳神経外科を他の病気で受診したり入院した患者さんの中に、偶然未破裂脳動脈瘤がみつかって手術を行うようになった。そして「脳ドック」が始まりこれも瞬く間に全国津々浦々に普及した(中には、脳神経外科医も神経内科医も神経放射線科医いないのに脳ドックをやっているところもあるが)。「未破裂」の「瘤」を「破裂」しないように治療できれば、くも膜下出血で倒れる人がいなくなる。これでくも膜下出血は激減する!とさえ思われた。
 しかしそこに大きな問題が生じた。未破裂、つまり無症状の人に頭を開けるような大手術を行う。100%成功すればよいのだが、そうはいかない。中には、笑顔で歩いて病院に来られたのに棺桶に入って出て行く事になったり、寝たきりになったりする患者さんも出てきた。そこまで行かなくても、後遺症が残って元の仕事に戻れなくなったりする人も出てきた。Informed consentをきちんとしていなかったためか、各地で訴訟沙汰になっていることがあると聞く。「元気な人を元通り元気なまま退院させてこその予防的治療」なのは言うまでもない。しかし医療には低いながらもリスクはある。これを「0」に近づけるべく医療側は努力をするのは当然だが、決して0にはならない。航空会社は飛行機事故など起こしたくはない。しかし決して0にはできない。
 この10年程の間に、もうひとつ、「血管内治療」が発展してきた。まだまだ発展の途上ではあるが、全国的に、世界的に医師側にも患者側にも受け入れられる確立した治療法となってきた。未破裂の脳動脈瘤を、頭を開かずにカテーテルを使って治せるならばこれがベストであろう。ヨーロッパでは既に未破裂脳動脈瘤の治療は大半が「血管内治療」になっている。アメリカでも「血管内治療」が半分くらいになっているらしい。翻って我が日本では、まだ15%だけが血管内治療でその他は開頭手術を受けている。理由はたくさんある。
 諸外国の「脳神経外科医」というと、その仕事は「脳腫瘍」か「脊椎・脊髄」なのである。血管障害(脳卒中など)を専門にしている脳神経外科医は、欧米ではむしろマイノリティである。欧米の医療制度では、患者の加入する保険(日本で言えば生命保険と同じようなもの)によって医療費が賄われる。よって「血管内治療」に使用されるプラチナ製のコイル(これはすごく高い!)の使用料金は使った分がすべて患者さん(保険会社)に請求される。一方、日本は健康保険制度なので「保険点数」というものですべてが決められてしまう。だから前にも書いたように、大学の教授がやっても私がやっても、脳表に近い小さなやさしい脳動脈瘤でも、脳深部で大きな難しい脳動脈瘤でも、「料金」は同じ、統一されている。だから「血管内治療」にしても誰がどこの部位の動脈瘤を、何本のコイルを使って治療しても料金は同じ。材料費に当たるコイルのお金は患者さんには請求できない。となると病院が儲からない。血管内治療をきちんと行うためには数千万はする血管撮影装置を設置し、高価なカテーテルやコイルを準備しなければならないが、それで病院の経営上は赤字になるのであればなかなか広く普及しないという要素が含まれよう。もう一つ、これは日本の脳神経外科医の「自惚れ」かもしれないが、諸外国の脳神経外科医に比べて腕がいい。諸外国で発生するような手術にともなうトラブルが日本では少ない、と信じている(とあえて言っておく)。しかし、技量というのは個人差がある。だから腕の良くない医師もいるだろう。腕の問題ではなく「心」の問題もあるだろう。こういったことは数値で判定できないので難しい問題であるが、たとえば困難な脳動脈瘤を前にして、「ここで無理してクリップをかけると後遺症を残すかもしれない、今は無症状なのだからここは勇気ある撤退を」と頭を開いただけで何もせずに帰ってくる事だって必要である。そういう、腕や心を持っているかどうかも大事である。しかし、総じて日本人はやはり器用で、日本人の脳神経外科医は腕の確かな人が多いと思う(我田引水ですみません!)。
 こういった事どもが、日本ではまだ開頭クリッピングが主流で血管内コイル塞栓術が少ない理由であろう。しかし、おそらく今後3年位の間にこの数字も逆転し、日本でも「未破裂脳動脈瘤」はもちろん「破裂脳動脈瘤」でも血管治療が主流という時代が来るだろう。しかし、決して手術はなくならないであろう。どんなに血管内治療の技術開発が進んでもこれが100%になることはないだろう。その時にやはり頭を開いてきれいに手術ができる医師は、今よりもなお必要とされるはずである。火曜日に手術した2個の未破裂瘤を持つ患者さんは、傷の痛み以外は何も症状が無く、本日半分抜糸した。きわめて順調である。

 今日はよいお天気。こちらでも桜は8分から満開らしい。
 花でも愛でにいかん。

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2005.04.22

学会参加

臨床医は一生勉強である。研修医時代はもちろん、十年たっても二十年たっても勉強に終わりはない。テキストで学び論文を読み先輩医師から教わり毎日患者を診て勉強する。患者が最高の教科書、まさにその通りだと思う。
学会というのは、研究成果を発表して世に問うだけではなく、人の発表から学ぶことがたくさんある。ただ新しい事を知るだけではなく、他の医師の経験と自分の経験を比較したり、自分の臨床結果を確認するという意味合いもある。脳神経外科の学会では、手術映像を発表しながら治療困難な症例の手術を参会者と検討したり、逆に基本的な手技や病変へのアプローチを勉強したりもする。経験を積んだ医師でも、普段の手法が正しいのか、独善的になっていないのか、もう一工夫して更に良い結果を求められないのか、勉強し研究することができる。また直接話し合って個人の経験を共有して、日常の臨床に生かすことができる。
日本脳卒中学会と日本脳卒中の外科学会が盛岡で開催されている。私も本日盛岡に来ている。車で日本海側を北上し秋田自動車道から東北縦貫道経由で盛岡に着いた。秋田自動車道はまだ日陰に積雪が結構あり驚いた。盛岡はまだ寒く有名な「石割桜」もまだ開花していない。
明日は外国人招待演者の参加するセッションで同時通訳の仕事も頼まれている。脳動脈瘤や脳動静脈奇形のセッションも楽しみだ。土曜日までお勉強である。

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2005.04.19

手術は無事終了

 本日の「未破裂脳動脈瘤」の手術は、予定より少しオーバーし6時間かかったが無事終了した。患者さんは麻酔の覚めも良好で既に会話が可能。もちろん運動麻痺など無い。
 内頸動脈と前大脳動脈の分岐部に上後ろ向きに一つと、中大脳動脈の分岐部(いわゆるM1M2)にもう一つ。最初のは結構高い位置であった事と、IC topからA1(前大脳動脈の最初の水平部分)の穿通枝をかまないように注意する事とA1を狭窄しないように少し甘めにクリップをかける事で、ていねいに手術した。二番目のは、まず硬膜外に上眼窩裂が十分に出るように骨をドリルで削除して、可能な限り蝶形骨縁も削除した。この結果、側頭葉とシルヴィウス裂の太い静脈を側方に少し引く事によって直径12,3mmの大きめの動脈瘤の全貌が見えた。しかし、向こう側を回る中大脳動脈のM2の分岐部がわかりにくい。丹念に周囲を剥離してようやく分岐部が見えた。動脈瘤は中大脳動脈の分岐部全体が膨らんだような形で、bleb(daughterのような小さな瘤)が2個みられ、そのうちの一つは真っ赤で壁が薄く血流が渦を巻いているのが外から透見された。今にも破れそうな動脈瘤であった。手術してよかったと思う。
 しかし、いびつな形の瘤に無理にクリップをかけると血管が歪んで狭窄する。そこで6-0というサイズの細い糸で動脈瘤を縛って「寸胴」に「ウェスト」を作るような作業を行った。それによって二本の中大脳動脈M2は狭窄すること無くクリップをかけ得た。ただしM1末端部にふくらみが残ったのでここには側頭筋を薄く切って残った膨らみに被せて糊(フィブリンという血液成分から作るノリ)をつけて固定した。これで「破裂」は予防できるであろう。

 昨日夜重症の脳出血が入院した。直ぐに挿管して人工呼吸器を準備しておいた。夜中に呼吸が停止し血圧が低下した。すべて予測の範囲であったので、直ぐに人工呼吸器に接続。昇圧剤を投与した。家族にはhopelessである旨は告げていたが、東京在住の家族に会わせたいという。手術中に亡くなられるかもしれないと危惧していたが、手術が終了した直後に、本当に待っていたかのように心臓が停止した。遠方の家族も皆会えた、と長男の方は感謝の言葉を口にされた。いくら重症であるとはいえ、我々は患者さんを救えなかったのだが。
 実は、今日の手術の家族が聞いたらどう思うか心配だが、私は昨晩遅くにこの脳出血の患者さんを急患室で診察して入院させ、家に帰って寝床に入ったらすぐに病棟から電話で起こされ、その一時間後に別の病棟から電話で呼ばれ、更に夜中の4時に別の病棟の患者さんがけいれん発作を起こしたと電話があり、更に更に今朝の650には脳幹梗塞の患者で急患室に呼ばれ入院させ、そのまま今までず〜っと働き詰めである。結局、睡眠はトータルで5時間はとった。もちろん昼食もとった。しかし、100%成功を目指さなければならない難しい未破裂脳動脈瘤の手術の前、約14時間はそんな感じで過ごしていたのだ。こんな医者に自分の親を手術してもらいたいと思うだろうか?私が患者の家族だったらどうだろう?先生を信じる?難しいところだ。私の場合、超人的な体力、気力というより、自分に対する、自分の仕事に対するプライドで動いている。
 とにかく手術は無事に終わった。良かった。

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2005.04.18

いまだ開花宣言なし

 私の住んでいるこの地域は、県内では桜の開花が最も早い地域になります。例年ならもう咲いていると思います。昨日が開花予想だったのですが、寒冷前線が接近し、日中の最高気温で12度と冷え込み、開花しませんでした。今日はお天気ですが風はまだ冷たいようです。今週末までには開花すると思いますが、お花見はまだ先になりそうです。
 今日は予定手術はなし。昨日は、高齢の重症くも膜下出血の患者さんが「脳出血」という診断名である公立病院から救急搬入されてきました。脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血とともに脳内血腫も作っていました。だから脳出血でも間違いではないのですが、「くも膜下出血」を認識しているかいないかで大きな違いがあります。脳室内にも大量に血腫が破れて「脳室内血腫」も作っていました。かなり厳しい状態なので生命の危険にあるということを家族に説明しICUに入院させて経過を見ました。脳室拡大もあり脳室内血腫もあるので、脳室ドレナージをすれば少し状態が改善するかもしれない。
 「脳室ドレナージ」というのは、頭蓋骨に1円玉位の穴を開けて、硬膜を切開し、脳室という脳脊髄液を作り出して貯めておく水槽の様な部分に細く柔らかいストローのような管をさして、水槽の中の水(脳脊髄液)を抜き取る手術です。ただ抜いてしまうのではなく、圧を調整する装置をつけて脳の圧を水柱で10cmとか15cmという高さにコントロールします。脳室内血腫で水頭症を来している場合は、血腫も脳脊髄液とともに外に流しだす事が可能です。それによって患者さんの具合を改善させられる事がよくあります。その手術の準備をしていたら呼吸が停止しかけました。血圧も低下しました。くも膜下出血が大量で脳幹の機能が低下したと考えられました。もはやドレナージでも助ける事は難しいと判断しました。家族に状況は厳しい事を告げました。その2時間後、お亡くなりになられました。
 くも膜下出血は、一般に一回破裂すると30%が命を落とす病気と言われています。しかし当院では急性期から可能な限り積極的な治療を行い、たとえ重症で急性期に手術ができなくても全身管理を徹底して手術に持ち込んでいるので、くも膜下出血患者の死亡率は10%くらいだと思います。更に開頭手術を行って亡くなられた方はほとんどいません(ここ1、2年の間に手術した患者で亡くなられたのは、かなりの肥満があり手術後4週間程経ってから胆嚢炎から腹膜炎を起こし最後は肺塞栓を来した患者さんくらい)。どんなに重症でもこうして亡くなられるのは残念な事です。農繁期に入るので忙しいせいか、高齢だからなのか、ご家族が以外にあっさりしていたのには少々驚きましたが。
 我々脳神経外科医は、死亡率0%を目標に闘ってはいるのですが、治療の結果重篤な後遺症を起こしたり寝たきりや「植物」状態になっては人間としての尊厳という問題もありますから、「命を助けさえすればいい」というものでもありません。常に悩むところであり決して「正解」の出ない領域でもあると思っています。明日は「未破裂脳動脈瘤」の手術です。一人の患者さんに二個瘤があります。全く無症状で脳ドックで偶然見つかったものです。本人、家族から(しかも娘さんは看護師)十分にI.C.はとってあります。でも、無症状の人を手術するのですから、100%成功させて無症状で帰さなくてはなりません。破裂動脈瘤よりもある意味でプレッシャーがかかり責任は重大です。
 開花宣言はまだですが、桜は、例年より遅くなったとしても必ず咲くでしょう。

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2005.04.16

名前の由来

今日は、昨日書いたように全館日直です。お天気がとても良くて患者さんも多くありません。病院に来るよりドライブにいくべき素晴らしい晴天です。
 さて、暇な訳ではないですが、そういえば「★balaine★ひげ鯨の日々」というブログの名称について一度も書いていなかったので、今日書いてみましょう。

「ひげくじら」という言葉から私がヒゲでもはやしていると想像する方もいるかもしれませんね。残念ながら、多忙故の無精髭くらいでのばしてはいません。ひげ鯨というのは「鯨目」というほ乳類の中で口の中に歯が無い、正しくは歯の代わりにヒゲ板という硬質のフィルターのようなものを持っている鯨類を総称します。(下記サイト参照)
http://www.justsystem.co.jp/momonet/amu_park/zoo/
ae/a97_03s/xaedat.htm

「歯鯨」の代表はマッコウクジラです。「ひげ鯨」には、シロナガス、ミンク、ザトウ、セミなどがいます。ひげ鯨はラテン語ではbalaenaでフランス語がbalaineなどと記載されます。
 何故「ヒゲ鯨」なのかというと、「セミクジラ(背美鯨)」という鯨が好きだからです。何故好きなのかと言うと、元々は背美鯨の尾の身の刺身が美味で好きだったからです。今や滅多にお目にかかれないのですが、味を例えると最上級の本マグロの大トロと最上級の和牛の刺身と馬刺を足して3で割ったような味です。繊細でかつ野性的な味で脂が舌の上で溶けます。

 なんだ!お前は鯨を喰らう野蛮な人種なだけで鯨を愛しているからbalaineなんて名乗っているんじゃないのか!と言われる方もいらっしゃるかもしれません。いえ、僕は鯨の肉が好きなだけではなく、鯨そのものが好きなのです。目の前で優雅に泳いでいたらあえて殺して食べよう、とは思っていません。ボストン沖やハワイでこれまで6回ほどwhale watchingをしたこともあります。鯨に関する書物は、日本語、英語たくさん持っています。鯨のビデオなども多数所有しています。泳ぐ姿を見るのは大好きです。たまにBSで南大西洋の背美鯨や南太平洋やインド洋のミンククジラ、カリフォルニア沖のナガス、シロナガスクジラの映像を流していると我を忘れて見入ってしまいます。ハワイ沖からアラスカ沖を回遊するザトウクジラ(座頭鯨)の映像はご覧になった方も多いと思います。
 鯨は、米国などを中心に脂をとるための捕鯨が無制限に行われていた頃(石油がペンシルバニア州で発見されるまで、ちょうどペリー来航の頃までです)に激減しました。石油発見後、ランプの脂は不要になり、食用などに供するために捕鯨を続けていたのはイヌイット、エスキモーなどの民族とノルウェーなどの北欧やロシアの一部そして日本位になりました。北大西洋背美鯨は米国が捕獲しすぎたために、現在では1000〜1500頭くらいしか生息していないので、もはや絶滅は避けられないと言われています。
 世界中の多くの国が捕鯨をやめた(産業として必要なくなった)後も、日本などの一部の国、民族はそれまでの伝統的食文化の継続のため捕鯨を続けました。しかしIWC国際捕鯨委員会では、「商業捕鯨」はもちろんのこととして「調査捕鯨」も禁止しました。調査捕鯨というのは、ある種類の鯨の生息数や生息地域や回遊範囲など様々な事を調査する行為の一環としてある一定数の鯨を捕獲する事です。穫った鯨を解体して売りさばくことが目的ではないのですが、実は政府機関を中心に行っているこの「調査捕鯨」で穫った鯨は、捨てるのももったいないしIWCにおける敗北続きの日本政府がそれまで鯨で生計をたててきた地域住民に優先的に還元するため、「おろして」いるのです。そのため、たとえば宮城県の牡鹿半島の鮎川などの旧捕鯨基地の町には、調査捕鯨の鯨の肉が優先的に入ります。和歌山県の太地町などもそうです。都市部に出回る値段よりもかなり格安に手にいれる事ができますし、民宿では鯨の刺身定食なども出します。
 背美鯨のおいしい鯨の刺身が食べられなくなった(私が最後に道玄坂の鯨屋で食べたのは昭和58年, 1983年です)理由を調べていたら、一部の鯨は本当に絶滅に瀕している事、鯨は興味深いほ乳類である事を知るに至り、更にC.W.ニコル氏の小説「勇魚(いさな)」を読むにつけ、日本人と鯨の長い深い文化を少し理解しますます鯨が好きになったのです。それ以来、balaine、というHNをつけていますし、携帯電話のアドレスは、「セミクジラ」のラテン語学名なのです。

 鯨という動物が好きです。目の前で泳いでいる姿を見ると感動します。将来はどこか海外の鯨の生息地に住んで鯨の研究をしてみたいという、夢のまた夢のような夢を持っています。でも鯨の刺身はいいものは美味しいのです。これは事実ですからしかたありません。牛の目を見て「きれいね〜」と思う人でも、フィレミニョンなどと言われれば喜んでステーキに飛びつくでしょうし、焼き肉屋さんにだって行くでしょう。鯨が野生の動物だからといって、牛とどこがちがうのでしょう?人間は結局、他の生き物、動植物を喰らって生息する罪深い生き物なのです。ですから「罪」の意識と「感謝」の心を忘れてはいけないと思います。
 というわけで、わたしのブログの名前の由来を紹介しました。v(^^)

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2005.04.15

昨日、今日、

 明日は全館日直だ。何度か書いているが、病院全体の休日の日中における医療上の緊急事態に対応するのが日直医である。しかし実情は、正式名称「時間外外来」という救急外来に張り付く事になる。カゼで熱が出た人、転んで怪我した人、急性心筋梗塞の人、脳卒中の人、腹痛の人、頭痛の人、めまいの人、いろいろな症状の方が来院する。なかでも診察する立場として腹の中では頭にくるのは、平日の日中にくればいいのに来なかった人。何らかの理由により来れなかった人は仕方ない。しかし狙って土日に来るという人もいる。要するに平日は仕事があったり忙しくて病院に来れないから忙しくない休日に受診する、という人たちである。「救急外来」とは本来そういう人たちのためにあるのではない。でも受診した以上診ない訳にはいかない。フラストレーションがたまる。
 今日は、先日手術した椎骨動脈解離性動脈瘤の患者に脳血管撮影を行った。これによって破裂部が完全に閉塞されている事を確認できた。これから徐々に起きていただきベッドから降りていただき自宅に戻っていただく事になるが長期間臥床していたため筋力が低下しているのでリハビリが必要である。でも先が見えてきた感じである。良かった。v(^o^)/
 昨日は8年前に昔の当科の科長が手術してその後再発してきた下垂体腺腫の手術であった。右の鼻の穴から直径4mmの内視鏡を挿入して表面はどこも切らずに、増大して視神経を強く圧迫して視野狭窄と視力障害を来している腫瘍を摘出した。手術はスムーズに2時間半程で終わり、術後の患者さんの経過は良好で今日の昼から食事も食べている。下垂体腺腫などは術前術後の内分泌機能の管理治療が煩雑でもあり大学病院の内分泌内科と脳神経外科に治療してもらう事が普通なのだが、前回の手術を当院でやった事と患者さんが当院での再手術を望んでいることから当院で行う事になった。この手術に関しても教授との連名で手術法の論文を書いた事がある。しかし主に脳卒中を扱う当院ではそれほど頻度の高い手術ではない。だから手術器械の専門家に依頼して内視鏡経鼻手術に必要で当院に準備されていない手術器械を揃えてもらい手術を施行した。
 手術翌日でもありまだ視野の改善までは至っていないが、指数弁(目の前の指の数がわかる程度)の視力が大きな文字なら読めるくらいに改善している。来週の眼科受診が楽しみである。

 さあ、あしたは日直だし今日は早く帰ろう!(4/15 19:30)

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2005.04.13

びっくり、、、

 4月1日から「個人情報保護法」が施行されている。病院、医師はこれまでにもまして患者さんの情報の扱いに慎重にならざるを得ない。たとえば採血などで得られたデータはプリントされたものをカルテに綴じるのだが、緊急に知りたいデータは病室にファックスで届けられる。正式なプリントされたものが来た後はファックスなどはゴミである。しかし普通に紙ゴミにして捨てる訳には行かないのである。万が一、紙ゴミにして病院外にゴミ収集業者が持ち出し、何らかの作為的または非作為的行為によってそのデータが第三者に見られてしまうという事もあり得る。そこには患者さんの名前や性や年齢が書いてあるので立派な個人情報である。だから病棟ではそれらのファックスもシュレッダーしてゴミにしている。
 こういう医療系(?と私の場合いえるのか怪しいが)ブログも下手するとある患者さんを特定しうる情報を含んでいるので注意が必要である。どこかのお医者さんが自分の患者さんの愚痴を書いたり非難する文言を書いたため問題になった事があったが、善意の文言や客観的な内容であっても個人情報保護法の観点からは患者さんのことは書かない方が良いのだろう。李下に冠をたださず、ちょっと違うかな。
 今日、ある患者さんの家族に、手術後の検査のI.C.取得をおこなった。説明が終わって挨拶したところ、「先生のブログ、読みましたよ!」と言われて、一瞬なんと返してよいか当惑した。手術の様子、その時の自分の心の動きや考えを比較的克明にこのブログに書いてしまっている。内容を読めば家族ならすぐにわかってしまう。シュレッダーにはかけられないが、自分のブログなので消去する事はできる。ただ、この患者さんは手術後まだそんなに経っていないにもかかわらず、回復は予想より早く食事ももうすぐ普通食で行けそうであり、少しリハビリをすれば独歩退院できそうである。それまでの経過を少し記録してみたいと思っていた。
 ご家族がこのブログの内容、存在に異議を唱えられるなら消去するしかない。それまではこれまで通り、可能な限り患者さんに不利になる事がない限り事実と自分の考え方を書いていく。あとは「愚痴」によるストレスのはけ口。。。というわけで継続いたします。

 昨日の大手術の患者さんももう水も飲み夕方から全粥食を開始する。先週の手術の4名も皆それぞれの病状に応じて順調である。こちらでは来週には桜が咲くであろう。

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また日付がかわってしまった、、、

 すでに4/13になってしまったが、4/12(火)も大きな手術だった。後頭部の大脳鎌髄膜腫。一例髄膜腫が来たと思ったらこれで1ヶ月ちょっとの間に4例目である。
 左同名半盲を呈する長径5.5cmのまたまた大きな腫瘍であった。柔らかかったが非常に血管に富んでいて結構出血した。手術中に輸血をしたのは久しぶりだ。今度来た下の先生は12年目。もう顕微鏡下手術はいろいろできなければならない年代である。だから皮膚切開から彼に執刀してもらった。しかし新しい病院に来てまだ10日余りで慣れていない上、これまであまり経験した事のない部位だったらしくなかなか手間取り、腫瘍摘出にあたっては数回私が主鏡(手術用顕微鏡の執刀医が覗く接眼レンズ)側に替わったりした。結局9時間半かかった。腫瘍は全摘出できた。ICUに戻ったのは0時半過ぎである。しかし麻酔の覚めは良好で、患者さんはすでに目を開け、返事をし手足を指示に従って動かしている。Good postoperative courseである。
 夕飯は抜きになった。しかし痩せないのだ。疲れはしたが体重は減らない。
 連日の大手術のお陰で体型もスマートになればいいのにな〜、、、

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2005.04.10

マスターズのこと

ゴルフの祭典ともいわれるゴルフの大会である。オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブというコースで毎年四月に開催される。
ゴルフをやる者として憧れの地である。12年前、当時ピッツバーグに住んでいた私は一人ジョージア州オーガスタを訪れた。マスターズでしか知られていない小さな町であるが、結構有名な大学研究機関があり、大学時代の同級生が研究のため留学中であった。彼を頼って訪ねて行ったことを懐かしく思いながらマスターズの中継放送を観ている。
それまでにもコンピュータゲームでも何度もプレーしたことがあり、テレビでも毎年観ていたのでコースのことは熟知していると思っていた。初めてコースを歩いて、知ってるつもりの自分がなんと浅はかなことであったかと思い知らされた。コースが美しいのは有名である。多くのスタッフの努力で管理されている上、マスターズのため大会のかなり前からクローズにして使わないのである。実際に自分の目で見て歩いてその真の美しさに圧倒された。緑の鮮やかさ、木々の美しさ、そして芳しいばかりの花々。一番驚いたのはフェアウェイがまるで絨毯のようにフカフカで柔らかいのだ。日本のそこそこのゴルフコースのグリーンよりも綺麗だと感じる程であった。気候や芝の種類が違うとはいえ、手のかけ方が決定的に違うのだろう。しかし、最も驚いたのはコースのアンジュレーション、起伏である。テレビ画面では望遠レンズを使っているため、距離感はもちろん、フェアウェイのアップダウンが解りにくい。自分の足で歩いてみると起伏の大きさは想像を越えていた。ティーからグリー
ンを見ると全部視野に入っていると思われるフェアウェイが大きく凹んでいて、その部分に立つとティーもグリーンも見えない位低くなっているところもあった。パー3では想像していたよりも落差のあるコースになっていたりで全18コースが驚きの連続であった。

音楽、特にクラシックでも『生』が一番と思うが、プロスポーツも生がいい。ゴルフのように自然がステージのスポーツはやはり生を楽しんだ方がいい。今年は少しプレーしようかな?

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2005.04.09

お天気いいけど出かけられません。(;;)

 朝9時から病院です。土曜日なんですけど。今、午後2時40分です。お昼ご飯まだですけど。
 ICUとHCUと3階と4階の東病棟と西病棟と6階、あわせて6カ所に分散して脳外科の患者がいます。全部回診して必要な指示を出したら12時半過ぎてました。医局でたまった診断書を、今日書かないとまた明日、という気力が湧かないので、2時過ぎまでかけて10枚書きました。帰ろうと思ったら急性心筋梗塞の緊急入院で満床になったので4/7木曜日に手術した(『連日の大手術』参照)患者さんを一般病棟に移してくれ、と言われ病棟の個室を確保して指示を出してきました。
 手術記録は一つ書いたけど、気力が湧かないのでまたにします。結構芸術性高く絵を描く(色を付けてリアリスティックに)のが好きなので気力の湧かない時にいい加減な記録を書きたくないのです。手術記録を書くという仕事は既に終わった手術に対することですから緊急性もないので明日以降に回します。
「明日できる事は今日するな!」
Tomorrow is another dayのもう一つの解釈方法です。いい加減な仕事をやっつけで今日やるくらいなら、明日しっかりとやりたいと思います。でも急患の多い脳外科では、「明日やろう」とおもっていたことが急遽できなくなったりします。だから「今日できる事は今日のうちに、、、」というアプローチが本当は正しいのです。
こちらでは桜はまだ蕾です。
開花は来週末あたりでしょうか。

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2005.04.08

診断書の憂鬱

 少し前に医師が書く診断書の事を書いた。年度変わりのせいか、診断書が一杯来ている。しかし毎日外来+手術、回診+手術で診断書を書く余裕がない。たとえば、21時、22時に手術が終わってICUに患者を移し落ち着いた時間、22時や23時から書こうと思えばできない事はない。いややる気になればできるはずである。「疲れているから明日、、、」というのは甘えているだけだ!と非難されればその通りだと思う。反論の余地はない。
 でも私だって人間だから、食事もしたいし風呂にも入りたいしテレビも見たいし音楽も聞きたいしゆっくり寝たい。食事をとるよりも大事だと思っているフルートの練習時間も取れないでいるのに、なぜ診断書を書かなければいかないんだ!という気持ちになっても少しは許してもらいたいな〜。
 昨日だって、あの大手術に入る40分前に外来が終わって、昼食をとろうと思ったら本当は一昨日が締め切りだった「労災関係の診断書」が『夕方までに書いてください』とのコメント付きで外来に8冊おいてあった。15分で8枚の診断書を書き上げ5分で昼食を食べ、コーヒーを飲みながら15分休んだらもう手術場に向かわなければならなかった(外来ー食堂ー医局ー手術室の移動時間があるので)。そして手術室を出たのはその8時間半後なのである。家に帰ったのはその10時間後なのである。たまには休息を取らせてください、、、、

 というわけだが、明日は出番だし手術記録も3つたまっているし、診断書は10枚くらいおいてあるし、明日も病院で「仕事三昧」であろうか。。。トホホちゃんである。

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2005.04.07

連日の大手術

 今日は、椎骨動脈解離性破裂脳動脈瘤の手術だった。
 2月上旬に倒れた40代の方である。初発時は、呼吸不全と血圧低下も来たし、手術どころか生命が危ない状態であった。最初は昇圧剤を使って血圧をあげたくらい重症であった。数日で生命徴候が安定し、今度は降圧剤を持続静注して血圧をコントロールし部屋を暗くして鎮静剤を使い安静臥床を2週間保った。その後、徐々に安静を解除し一般病棟で食事をするまでに回復したので3週目に血管撮影をした。それまでCT、MRIで解離性の動脈瘤である可能性は確認されていた。血管撮影の結果はやはり左後下小脳動脈分岐部にpseudoaneurysm(偽性動脈瘤)を持つ椎骨動脈の解離であった。
 開頭手術と血管内手術を検討していたところある晩、再破裂して再び重症となった。水頭症も来したため脳室ドレナージを行った。この危機的状況も何とか乗り切って、再び意識を回復しまた安静を徐々に解除し、ベッド上の生活ながら食事もとれるようになった。まだ若いし二人の小学生の母親でもある。何とか助けてあげたいし、ただ助けるだけではなくまた母親として妻として社会生活を送ってほしい。そのためには動脈瘤の再破裂を完全に防ぐことが必須である。血管内手術は、開頭手術をしないですむだけ非侵襲的であり術後の回復もはやい。しかし術中破裂による死亡もありうるし何よりも完全閉塞できずに心臓側(動脈瘤の上流側)のcoiling(チタンなどでできた小さな金属コイルを詰めること)に終わってしまう可能性がある。手術は脳幹や脳神経の近傍での操作なので新たな障害を出したり手術による危険性も低くはない、難易度の高い手術である。ご主人と2つの方法および何もせず「安静」を保ち続け1ヶ月くらいしたら徐々にベッドから降りる「非手術治療」の事もお話し、検討の結果、今日の手術となった。
 一昨日大きな脳腫瘍の手術をしたばかり。1、2ヶ月前に「今年一番の手術?」なんて書いた覚えもあった。手術中に「あれ?Surgery of the year?って思った手術って何だったけ?」という感じ。もう忘れている。あの手術(2/15の記事参照)の日は、「今年一番?」なんて思ったのにもう何の手術だったか忘れている。それだけ大きな手術が続いているのだ。
 今日の手術では硬膜を開いて顕微鏡を導入すると、予測通り左椎骨動脈は脊髄の傍を走行している部分は正常で、脳幹の横を縦に走る部分から大きく膨らみ青みがかって見えた。ここが解離の部分である。更に、舌咽神経と迷走神経のすぐ向こう側に赤くプックリとふくらんだpseudoaneurysmが見えた。2回目に破裂してからも既に1ヶ月以上経っているので急性期と違って破れにくくはなっているもののやはり瘤の傍を触る時は緊張する。いったん破れたら手術野は真っ赤な血の海になる。こういう緊張状態はおよそ「戦闘モード」である。
 私はもちろん戦争に行った経験はないが、よく看護師さんや一般の方も「先生、手術中トイレとかどうするんですか?」「のどは渇かないんですか」とか聞かれるが、「戦争中に戦場で敵の弾の下をかいくぐるような時に、『おしっこしたい』とか『水が飲みたい』なんて思ってる暇はないはず。手術中の外科医も同じ戦闘モードなんだよ。」と説明している。8時間でも10時間でもトイレには行かなくて平気である。おなかも空かない。そのかわり、手術がおわって麻酔が覚めそうになるとホッとして急に尿意を催したりやたら飲み物が欲しくなるのだ。
 その、怖い恐い動脈瘤の周りを剥離しても遠位側(心臓側の反対で動脈瘤の下流)の血管はまったく見えない。膨らんだ解離性動脈瘤と骨のでっぱりに妨げられて全然見えない。見えなければクリップはかけられない。どうするか?!心臓側にクリップはかけたので、動脈瘤の上流は塞き止めた事になる。不完全ではあるが再破裂の危険性は少なくなったはず。無理をして障害を出したり悔いを残すより潔くここで終わりにするか。。。血管撮影のフィルムと3d-CTAを眺めて「いや、上流と下流をクリップして完全な再破裂防止ができるはず。もう少し頑張ってみよう!この患者さんを元気な姿で家族に返そう!」と決意した。
 どうしたかというと、恐い動脈瘤そのものを左手に持った先端が1mmの径の吸引管で押してつぶすように脳幹側に圧迫して骨の出っ張りとの間に隙間を作ってそこから奥に進んだ。
「見えた!!!」
奥に下流の正常な形をした椎骨動脈が見えた。隙間はわずか5,6mm。動脈瘤よりも奥に15〜20mm。深い。狭い。なんとか椎骨動脈の周囲を剥離して、外転神経も確認しそれより奥(ほとんど頭の真ん中近く)に安全にクリップをかける場所を確保した。脳動脈瘤のクリップは100種類程いろいろな形や長さや大きさのものがある。その中から「ここ」に最適とおもう形状のクリップを選んで。ぎりぎり5,6mmの隙間で、迷走神経や舌咽神経をひっかけないように、動脈瘤を破らないよう、一度にいろんなことを考え確認しながらチタン製のクリップを脳の奥深く進めてapplyした。うまくいった!少し興奮してその後ホッとした。
これで破裂した解離性動脈瘤の上流と下流にクリップをかけ完全再破裂防止が完成した。術後の患者さん麻酔の覚めはまずます。呼べば返事をする。明日にはお話しもできるだろう。急にぐったり疲れてきた。これから帰って、遅い遅い夕食をとって風呂に入り後は寝るだけだ。明日、患者さんが目を覚まし両手足を動かしお話しができる状態になっている事を祈るのみである。

そんなこんなで最近フルートの練習をする暇が少なすぎる。パユの演奏の影響で、R. Straussのviolin sonata E-flatを吹きたいと思って楽譜も揃えた。この記事は、今日届いていた五嶋みどりのLive at Carnegie Hallを聴きながら書いたので少し気持ちが高ぶってしまったようだ。

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2005.04.06

今日もパタパタ

 昨日の手術患者さんは70歳台後半という年齢を考慮すれば術後の経過も良好である。術前から腫瘍の圧迫によって記銘力障害(最近のことをすぐ忘れる症状)があったので、昨日手術したことを話しても数時間後にはまた説明しなくては行けないけれど、術後CTは問題なく大きな腫瘍のあったスペースが空洞(といっても髄液や止血のための綿などが入っている)になっていて腫瘍は全摘出され後出血もない。昼から食事も開始した。
 昨晩は結局亡くなられた患者さんのお見送りなどもありその後疲れた身体を医局で少し休めて帰ったので、自宅に戻ったのは午前1時半であった。今日は平和な日かな?と思っていたが、89歳の慢性硬膜下血腫が開業医から紹介されてきた。午後緊急手術となる。さらに2週間ほど前に脳幹小脳梗塞で倒れ挿管して人工呼吸器につないでいる患者さんの気管切開もある。この人は全く自発呼吸がなく呼吸器で管理しているので、気管切開と行っても手術場でおこなうことになる。いざという時の人手、対応が迅速にできるからである。

 というわけで今日もパタパタ(バタバタはしたくない)している。

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髄膜腫摘出術

 今日(4/5)は蝶形骨縁髄膜腫の摘出手術であった。6〜7時間を予定していたが、ちょっとしたトラブルがあって7時間半かかり先ほど(22時過ぎ)ICUに戻って、今しがた(23時前)机のパソコンの前に座ったところである。
 「ちょっとしたトラブル」というのは、腫瘍に巻き込まれていた中大脳動脈という大事な脳の血管の細い枝の一本を剥離の際に傷つけて出血したことである。腫瘍は直径5cm強あるので頭蓋内腫瘍(=脳腫瘍)としては巨大な方に入る。つまり難しい手術と言える。
 蝶形骨という頭蓋底の骨をhigh speed drillで削り脳の圧排を軽減して腫瘍の摘出に入った。硬膜外から栄養血管を凝固し腫瘍内容を超音波メスや電磁場メスなどで減らしつつ脳から剥離していった。最後の段階で巻き込まれた中大脳動脈が確認され、これを手術顕微鏡の拡大を大きくしてマイクロシザー(要するにハサミ)を使って血管表面に残るくも膜を確認してこれを血管側に残すように剥離しながら切除していった。ところがまっすぐ走っていると考えた中大脳動脈に直角に曲がった小さな枝があったため、その起始部のところをハサミで少し切ってしまい出血した。中大脳動脈から分かれる血管の最初の枝が巻き込まれていたので、これにテンポラリークリップ(一時的に血流を遮断するために血管をつまむ洗濯バサミのようなものでステンレスやチタンでできている)をかけ出血をコントロールして、手早く血管周囲の腫瘍を剥離して血管に沿って切離して上下2個の小さな塊にして、残った脳との癒着面をはがして腫瘍を摘出した。
 幸い、傷つけた血管の支配領域は小さく、止血用のスポンジを3mmx3mm大くらいに切ってあてて出血を止め、クリップを外した。この血管を傷つけたこと以外は、自分で言うのもおこがましいがほぼパーフェクトな手術であっただけに残念だが、手術時間が一時間くらい延長になっただけで大過なく終えることができた。

 と、ここまで書いたところで、別の病棟に入院中で脳幹梗塞に腎不全を合併してしまった方がお亡くなりになられたので、死亡確認、処置、死亡診断書記載のため病棟に行っていた。その間に日付が変わってしまった。4/5に書き始めたのに4/6の記事になってしまった。

 上記術後の患者さんは、麻酔も次第に覚めて呼びかけに開眼して返事もするし、手足も両方しっかり動かせる。小さな枝の血管損傷の影響は幸い出ていないようである。ほっとした。まず、腫瘍は全摘出できたし患者さんの年齢(70歳台後半)を考えれば「治癒」といって良いと思う。私の手柄ではなく教授のお陰なのだが、ある分厚い脳神経外科手術書の「蝶形骨髄膜腫」の項は実は私と教授の連名で執筆している。その中で、腫瘍に巻き込まれた血管の剥離、温存の仕方を述べているのだが今日の手術はまさにその再現であった。教科書を書いた時はこの手術を自分でやったことはなく、教授の手術をビデオから何枚かの手書きの絵に起こして解説したものである。そのお陰で、腫瘍摘出のポイントやちょっとしたコツ、テクニックなどというものを知らないうちに教授から教わっていたお陰で今日の手術も大過なくできた訳である。よく、「天才脳神経外科」などという表現がテレビなどでもてはやされるが、どんな外科医にも必ず師がいて先輩がいて同僚がいて助手がいるのである。一人で何でもこなしてしまう「ブラックジャック」の様な脳神経外科医は残念ながらいないし、現実の世界ではいらないのである。

それにしても約13時間、飲まず食わず(さっき飴を2個なめて缶コーヒーを一つ飲んだけど)でどうしてやせないんだろうな〜(;;)

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2005.04.04

希望という名の、、、

 昨日は、地元の大学の入学式典が市民ホールで行われた。地元オケと合唱団がかり出されて、入学式典の最後に2曲演奏した。「夜明けの歌」と「大地賛賞」である。オケが60名弱、合唱団が110名ほどのそこそこ大掛かりな楽隊で、新入学生だけでなく列席の方々も結構感動していただけたようである。
 「大地賛賞」という歌は、卒業・入学シーズンや中学の合唱コンクールなどでは結構歌われる歌らしい。「夜明けの歌」は、日本レコード大賞を穫った曲で、地元出身の岸 洋子というシャンソン歌手の「十八番」である。シャンソン歌手、というくくり方では本当はいけないのかもしれない。彼女は、芸大を卒業してオペラ歌手を目指していたのであるが、病のためその道を断念し病床でエディット・ピアフの歌を聴いて、シャンソンを歌ってみようと決意した、と言われている。上記以外には「希望」という曲も有名である。それにちなんで市民ホールの名称も「希望ホール」となっている。地元市民は没後13年になるが未だに強く敬愛している歌手なのである。

「希望」藤田敏雄作詞・いずみたく作曲

希望という名の あなたをたずねて
遠い国へと また汽車に乗る
あなたは昔の わたしの思い出
ふるさとの夢 はじめての恋
けれどわたしが 大人になった日に
黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
いつかあなたに また逢うまでは
わたしの旅は 終わりのない旅

希望という名の あなたをたずねて
今日もあてなく また汽車に乗る
あれからわたしは ただ一人きり
明日(あした)はどんな 町に着くやら
あなたのうわさも 時折聞くけど
見知らぬ誰かに すれ違うだけ
いつもあなたの 名を呼びながら
わたしの旅は 返事のない旅

希望という名の あなたをたずねて
寒い夜更けに また汽車に乗る
悲しみだけが わたしのみちづれ
となりの席に あなたがいれば
涙ぐむとき そのとき聞こえる
希望という名の あなたのあの歌
そうよあなたに また逢うために
わたしの旅は いままたはじまる
ーーー
う〜ん、大人の歌、だなぁ。

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2005.04.01

新年度初日と脳外科専門医のこと

平成17年度がスタートした。
私の下の先生は、下といっても12年目。科によってはベテラン医師と呼ばれてもおかしくない。脳神経外科では中堅クラスか少し下くらい。専門医の資格も取っているし学位(医学博士号)も持っている。つまり基礎的医学研究も終えて論文もそこそこに書き(論理的なものの考え方を一通り勉強したと言える)、脳神経外科医として最低限の研修は終えて必要最低限の幅広い知識を持っている、という「証明」を持っている医師である。
私も「専門医」で「医学博士」であり、副院長も「専門医」で「医学博士」である。その中の誰がもっとも「脳神経外科医」として知識、技術、判断力などの面から優れているのか、、、は問うまい。
ただ、「医学博士号」というのは、「足の裏の米粒」とか「ネクタイのようなもの」と言われてきたものである。つまり「取らなくても何も困らなけど、取らないと少し気持ち悪い」ようなものであったり「つけていなくても別にその人の人格に変わりはないけれど、つけていた方が見栄えがよくなる」ようなものとさえ言われているのだ。
米国では、脳神経外科医は、日本の医学博士に当たる学位を取得するための勉強などはほとんどしない。もっぱら臨床医としての知識、判断力、腕を磨くことに時間を費やす。学位を取る人は、M.D. Ph.D courseといって最初から「医師の資格と研究者の資格」を目指すような別のコースさえあるのが米国式である。日本では、医学部を卒業し国家試験に合格すると、「とりあえず」医師である。法律上はその時点で、眼科医をやっても産婦人科医をやっても脳外科医をやっても問題ないし、脳動脈瘤の手術をしても違法ではない(1年目でする人というかできる人はいないけれど)。米国では、医師の資格は持ってもレジデント(初期研修医)というもので一人の判断で診療したり治療したり手術したりすることが法律的に許されない。米国でも日本でも脳神経外科の研修は最低6年である。7年目以降の経験ある医師が、専門医試験を受験することができ、これに合格すると「専門医」となれる。
日本の各科の専門医制度の中で、脳神経外科の専門医制度は最も歴史が古く、また厳しい試験であることが知られている。受験した者の6割強しか合格できない。3割強は落ちる試験である。実技はないが、ペーパーの試験に合格すると、知識や手術技術を問う面接試験が全員に行われる。大変厳しい試験である。
それでも、この厳しい専門医認定試験に合格した日本の脳神経外科専門医が、実地に臨床ですぐに活躍できる技術を身につけているか、と問われると疑問符がつく。個人の能力差もある。学んだ環境の差もある。それまで経験した執刀手術の差もある。指導してくれた上級医の差もある。だから専門医になったら翌日から誰の指導も受けないで、破裂脳動脈瘤の手術がすいすいとできる訳ではないのである。
かくいう私も、学位を取って専門医を取って米国留学して研究したので、脳腫瘍の手術や脳動脈瘤の手術を教授の指導のもとで執刀させてもらえるようになったのは、ほんの5、6年前のことである。もちろんそれまでにも執刀経験はたくさんある。小さな手術ならたくさんやってきた。しかし、どんな病院に勤務してどんな環境で働いてもどんな症例にでも対処できる、という程の「力」をつけるためにはまだまだ勉強が足りないと思っている。
だから「12年選手」の下級医が来たからといって「枕を高くして」寝ることもまだできないし、休日に遊び歩いて病院のことは彼におまかせ!という訳にもまだまだできないのである。

P.S.)おまけの話し:「医学博士」とは医師のことではない。大学などの研究施設で、医学の分野の研究をして論文をまとめ発表して学位を授与された者が「医学博士」である。だから医学部を出ていなくても、国家試験に通った医師でなくても、大学の医学部などで研究すれば「医学博士」になれる。つまり農学部を出ても「医学博士」になれるし、薬学部を出ても「医学博士」にはなれる。
だから時々テレビのCFなどで「○○医学博士推薦の、、、」なんてうたい文句があったとしてもそれは「医師が推薦」しているものではないのだ。ご注意を!

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