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2005年3月

2005.03.31

日々これ精進

 おそらく日本中のblogに「今日で3月も終わりだ」とか「明日から新年度だ」とか「そろそろ桜開花宣言」などの言葉が踊っていることだろう。
 3/31といっても特にいつもと変わりはないのだが、新年度の人事異動で病院を去る職員数名から、朝病院内を歩いていると呼び止められ挨拶をされた。確かに、予定手術は今週には組まなかった。人が移動してばたばたする時、手薄になりがちな時には予定手術はあえて組む必要性がないからだ。そのかわり、来週、再来週と「直径5cmの蝶形骨髄膜腫」、「2月と3月に計2回破裂している椎骨動脈解離性脳動脈瘤」、「長径5cmの後頭部大脳鎌髄膜種」、「H10年に手術後再発して視力低下を来している下垂体腫瘍」と既に4件の大物の予定手術が決まっている。昨日と今日の午後はそれらの患者さんや家族の方への病状、手術の説明などに合計約2時間近く費やした。
 なかなか最近、フルートに触る時間が取れない。先の日曜のレッスンで教えられた正しいリッププレートの当て方と音作りへの挑戦。これを訓練する時間が取れない。
 本家サイトの日記の方に、このリッププレートとアムブシュアのことを書いた。さらに、「いかに楽してフルートを上達するか」という記事を徒然に連載していくことにした(突き詰めれば、フルートに限らず他の楽器でもいいし、何らかのスポーツの上達にもあてはまるかもしれない)。「楽をする」ということは「さぼる」ということではなく、「必要最小限の努力で」とか「苦しまないで楽しみながら」ということである。音階練習をまったくしないで音階、アルペジオがサラサラと吹けるようになるとは思わない。音を全く出さないで「いい音」が作れるとは思わない。しかし、ゆくゆくは、楽器演奏を脳の機能の面から考えることによって、運動フィードバックや小脳系の働き、運動に関するメモリーやイメージトレーニングの科学的根拠を理論的に説明できるようにして、フルートの上達を目指すための指南書ができればいいな、と思っている。
 さあ、明日は金曜日。新しい年度の始まり。そしていつもの一日。 私の信条、Tomorrow is another day である。

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2005.03.30

気管切開

 小脳と脳幹の広範な脳梗塞で入院中の方に「気管切開術」を行った。
脳幹には「生命中枢」とも呼ばれる呼吸、血圧、心臓の管理をする機能がある。そこが脳梗塞になると、自分で呼吸ができなくなったり非常に浅い呼吸で止まりかかったり血圧が下がったりする。
 2週間前に脳梗塞になって危険な状況をなんとか脱しつつあり、人工呼吸器も外すことができたが、鼻の穴から気管まで管を入れたままであった(挿管状態という)。約2週間で管を入れ替えるか抜かなければ、口や鼻の中の細菌ソウ(漢字が出ない!)のせいで汚くなったり臭くなったりする。ほぼ昏睡で植物状態に近いので痰も自分で出せず、肺炎や痰詰まりの恐れも高い。そのため、喉仏の少し下を切開して気管に直接短い管を挿入する「気管切開」が必要となった。

 外科手術ではあるが比較的簡単な手技である。病院や科によっては、耳鼻咽喉科ドクターに依頼して行うところもあるが、全身管理を得意とする脳神経外科医たるもの気管切開くらいはちょちょいとできなければならない。通常はベテラン医師が助手について若手の医師に外科医としての手腕を発揮してもらうよい手術対象でもある。私もいつもは下の先生にやってもらうが、今日は同僚の彼が最終日で夕方には移動すること(つまり手術後の管理をできない)、たまには私もやってみようと思ったこと、最後に彼に外科手術の基本を見せようと思ったこと、などから私が執刀した。手術場でやる場合もあるが、病棟の個室入院中ならそのまま病室でやることが多い。切開すると出血するので、双局凝固器と吸引も一応準備した。久しぶりの気管切開。自分で執刀するのは何年ぶりであろうか。

 喉仏の一横指(いちおうし、と読む)下に切開をおき、ペアンと筋コウで剥離していく。正中で筋層を左右に剥離し甲状腺を確認して下面を剥離して上方に寄せ、気管前面を露出して切開し気管チューブを挿入した。結局、吸引も凝固器も全く使わず(ほとんど出血なし、ガーゼで拭き取る必要もないくらい)、ペアンと筋コウとモスキートとメスと持針器とセッシ以外は使わず約15分で終了した。太い静脈や筋肉などから出血して難渋することもない訳ではない手術であるが、注意深く基本を守って丁寧に層を分けていけばまったく出血しないのだ、ということを指導医として若手医師に見せることができた。
今更ながら外科手術は「剥離がすべて」だと思った。

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2005.03.29

年度末の人事異動

「トランク」という言葉は最近の若い医師は知らないかもしれない。
大学の医局から地方の病院などに派遣されて移動することを「トランク」と俗称されていた。文字通り、トランク一つぶら下げて地方の病院に赴任することである。永久就職ではなく、短い場合は1ヶ月ということもあるが、普通は半年から一年で関連教育研修病院を回るのである。だから病院によっては、住むアパートに家財道具の用意していることがあって、着替えなどをトランクに詰めて電車か車で移動すれば済むような「赴任」だったので「トランク」と言われていたものである。
一カ所の病院では、その地域特有の疾病の偏りやそこにいる指導医、上級医の器量による手術手技の勉強、日々の勉強などに格差ができてしまったりすることがあり得る。そこでいくつかの関連教育病院と大学医局を、その医師の研修のレベル、卒業年次、基礎研究の開始、学位取得、専門医試験の準備など様々な要因を考えながら、教授と医局長などが人事を行う。たとえ県立病院、市立病院、私立病院の違いがあっても脳神経外科医の派遣、赴任は大学医局を中心に回る。これが話題になっている「医局制度」である。悪い点ばかり指摘されることが多いが良い点もある。今日はこの議論ではないので割愛する。

さて昨年4月から当院で私と一緒に働いていたS医師(3年目の後期研修医扱い、来年度から4年目)が3月いっぱいで他都市の市立病院へ移動することになった。先週あたりから、「最後の手術」といいながらいくつかの手術を執刀させてきた。「脳腫瘍摘出術」「慢性硬膜下血腫」そして今日は「開頭脳内血腫除去術」であった。
私が執刀する場合に比べると様々なことを総合して1.5倍ほど時間がかかった。稚拙な部分もたくさんあったがその都度指導したり私に代わったりしながら結局最後まで執刀させた。
かれも明日までの勤務。先週既に一日休みを与えて引っ越しは終わっており、トランク一つで病院に寝泊まりしている。4/1から次の病院に勤務するので明日の午後で当院勤務は終了にして一日フリーの時間を与えることにした。
ということは明日、明後日は副院長と私の二人体制である。
4./1から新しい部下が来る。部下といっても、今度のK医師は12年目。専門医でもあり医学博士でもある。ただ年を取ると(自分もそうだが)動きが鈍くなる。つまり急患などの時に対応する身体の運びのことである。来たばかりでは病院のシステムやコンピュータ操作そのた諸々の新しいことになれなくてはいけないないので、それまで私がず〜っと出番である。おそらく1週間ほど続けて出番であろう。
頑張るしかない。。。

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2005.03.28

週末は音楽三昧

HisaraLive1だった。
 東京のフルートの師匠が長年続けている、サロン喫茶でのミニコンサートを聴きにいった。土曜日朝早く出発し、学会に参加して、夜7時からのミニコンサート。その後の「打ち上げ」と称する懇親会。楽しかった。
 日曜日は、その先生に2時間個人レッスンを受けた。今更そんなことをやっているの?と思われるかもしれないが、フルートの歌口(正確にはリッププレートという曲面を持ったプレート状のもの)を下顎、下唇と顎の窪みのどこにあてるか、どこに当てると理想的な音が得られやすくなるか、というレッスンから入った。この辺の詳細については、後で本家サイトのbalaine's diaryの方に書くつもりである。

 レッスン後、銀座のヤマハに行った。3/27(日)15時から、佐藤ひさらというオペラ歌手のin store liveとCD即売サイン会があったからである。佐藤ひさら氏は、藤原歌劇団団員で新国立劇場で「蝶々夫人」を歌ったことでオペラ通には知られている存在である。実は、彼女は仙台の中学で同級生なのだ。高校は彼女は女子校、私は男子校なのでごく最近までまったく交流がなかったのだが、昨年ひょんなことから中学同窓生のメーリングリストが発足し、その中でも彼女の話題が出たり同じ中学から同じ女子校に進学した仲間の会に(女だけの会にもかかわらず)私が首を突っ込んだりして写真を撮ったりして○十年ぶりに口をきいた、というような中である。
ひさらさんの歌は、素晴らしかった。立錐の余地もないほどの客が30分のライヴの間、ほとんど動くことなく聴きいっていた。私は2階のバルコニーの様なところから、1階の小ステージを見下ろすように眺めていたが、ヤマハの入り口からライヴのことなど知らずに入ってきた客が、その美しく迫力満点の歌声にびっくりして立ち止まったり背伸びしてステージを見ようとしている様がおもしろかった。
 実は、私はオペラは好きなほうではない。オケをやっているのだから興味はある。でも大抵、オペラは長い。長時間見続ける、時間というか根気がないのだ。日本人のオペラ歌手といったら、佐藤しのぶさんと当地ゆかりの市原多朗さんぐらいしか知らない。あ、錦織健という有名人もいますね。。。
 とにかくオペラのCDなんて持っていない。オペラ歌手のCDで持っているのは、上記しのぶさんと多朗さんだけでした。今度佐藤ひさら氏が発売したCDは(というか昨年の11月に発売開始だったのだが)「なつかしきロシアへ」(ナミ・レコード)というもので、ピアノ伴奏の歌曲のみである。ちょっとマニアックな雰囲気を持つ。彼女自身会場でMCをしながら「CDを作る話しが持ち上がったときに、知人からも『え?蝶々夫人じゃないの?』、『え?!日本歌曲じゃないの?』といわれたんです」と説明していた。曰く、今度のCDが売れたらその売り上げを使って次に日本の歌のCDを出したい、とのことだった。売り上げに一枚だけだけど貢献した。
 東京から戻ってすぐにフルートの歌口の当てる位置の確認をしながら音を出した。フルートが鳴る。自分の出す響きに自分が酔ってしまうような、自己陶酔、自己満足の世界だ。
「ああ、この音で、ブラ4の、あのフルートソロを、吹けたら、気持ちいい、だろうな。」
なんて感じである。こういうのを文字通りの「自惚れ」というのだろう、、、(^^)

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2005.03.25

携帯からの投稿テスト

というわけで、デザインのイカサナイWindowsはやめて携帯電話でblog投稿のテストです。

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Mac vs Win

今日、仕事上どうしても使う必要に迫られて注文していたWindows XP搭載のS○△YのV□i×が来た。
早速、ノートブックの蓋をあけ電源オン。
むぅ〜、違和感。。。ピカピカ光る液晶画面にダサイ、アイコン。キーボードもダサイ!
「電話でサポート 初心者ダイヤル」とかいって自動車の初心者マークのようなシールが貼ってある。その他にもべたべたとシールがはってある。最新型なのにデザインがとにかく洗練されていない。ださいのだ!
使い慣れたマックのPowerBookG4とはこれほどまでに違うのか!と驚くほど、全体的にデザインに美しさが乏しい。中身を開いてもださい。ダサダサの4乗ぐらい。
こんなノートブックもって新幹線や喫茶店や街中で使っている姿は想像したくない。やはりスマートなPowerBookかiBookがいい。

しかし、世の中は圧倒的シェアを起こるWindowsを中心に動いているらしく、Macにはない、または使えないapplicationなどがあるのだ。パソコン歴24年、Basic歴5年、MS-DOS歴?年(ちょっとだけFortranやC言語なども触った)、マック歴14年、Windows歴?の私には、これまでApple社のマックほど「可愛らしい」とか「美しい」と思う「パソコン」は知らない。
病院のオーダリングシステムや電子カルテ前段階のシステムはみんなWindows machineである。だからWindowsのパソコンも使っていない訳ではない。でもパーソナルにはず〜っとマックである。
あの本体のデザイン、キーボードの洗練された形、フォントの美しさ、アイコンの可愛らしさとかっこよさ、マックとウィンを比べるべくもない。だから昔から、グラフィックデザイナーや作曲家、コンピュータミュージックなどに関係した仕事を持つ人たちには圧倒的にマックファンが多かった。なぜか医師にもマックファンが多く、いまだに医局のコンピュータは全部マックなどというところもある。
しかし、最近の若手の医師は、学生時代からWindowsを使っているものだから医師になって入局して、マックだらけの部屋をみてビックリしたりしている。こちらはこちらで「マックはわかりません」などと言っている若手医師に驚いている。
仕事が楽しくきちんとできればMacでもWinでもどちらでも構わない。でも個人的の持っていたいのは、持っていてうれしいな、と思えるのはやはりマックである。仕事上、どうしてもWindowsを使わなくてはならない、というのもこれでなかなかのストレスである。マックを使ったことのない人には理解できないであろう。
今回、Windowsノートブックを持って出張に出かけようと思ったが、新幹線の中でこの「ださい」パソコンを開いている自分を想像して、やめることにした。FOMAだけで我慢しておく。

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あ、日付が変わってしまった!

今日(昨日)の午後は「脳腫瘍」の手術でした。
比較的難しい部位の、しかし良性の脳腫瘍です。3月一杯で移動になる、3年目の同僚(私が上級医なら下級医っていうのか?!)に執刀してもらいました。
優秀でまじめな医師ですが、いくら何でも3年目で脳腫瘍の手術をスムーズにやれる人はそうはいません。
私は指導医として「口を出し」、「手を出し」して一緒に手術をしました。大事な血管の近くを操作する時や、ポイントのところでマイクロ(手術顕微鏡)の主鏡(執刀医が覗き込む方の接眼レンズがついている)に交代し、彼を側鏡(アシスタントが横から覗き込むようについている接眼レンズ)に座らせて、教えながら、そしてまた主鏡と側鏡を交代して、という手術だったので時間がかかりました。
手術は、しかし、大過なく腫瘍は全摘出され、患者さんは麻酔の覚めも良好でなんの障害もありません。

ちょっと口と手を出しすぎたかもしれないな、と反省しています。もう少しのびのびとやらせてあげたかった。でもこれは「実験」でも「練習」でもなく、家族がいて人生のある「ひと」を手術している「本番」ですので、「まあ、いいんじゃない?」という訳にはいきません。「バカ」だの「ちょん」(これって差別用語でしょうか?)だの、「なにやってんだ!」という感じで、怒鳴らないだけでかなり罵倒しました。
外科医の世界は、寿司屋の修行と同じような感じの徒弟制度的な側面はいまだに残っています。「いいことだ!」と肯定ばかりはしませんが、相手にしているのが生身の人間です。「そんな扱いをして、自分の親だったらどう思うんだ!」という感じで厳しく接することにしています。
面白くない思いをしたであろう彼も、自分が私のように若手の医師を指導する立場になった時に、今日の私の気持ちをわかってくれるのではないかな?と考えています。

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2005.03.22

単身赴任の脳卒中患者

今日は、くも膜下出血の緊急手術だった。
 仙台に家族を残し、当地に営業所長として単身赴任をしている男性が、朝方会社で頭痛と吐き気で発症し、救急車で運ばれてきた。すぐに家族に連絡をとった。奥さんが高速バスを使ってこちらにむかうという。
幸い患者さんは意識がハッキリしていたので、まず脳血管撮影の説明と承諾書を本人からとり、病名を告げた。しかし、その後は、脳動脈瘤の再破裂を防ぐために患者は薬で鎮静させた。
 脳血管撮影が始まる直前に患者の仙台の自宅に電話すると、娘さんがでて奥さんはこちらに向かうところとのこと。時間を計算するとそれから病院着まで4時間くらいかかってしまう。患者さんには鎮静剤を使っているので、手術の説明および同意書を本人から得ることができない。奥さんと連絡が取れた。自分が到着するのを待たずに必要なら手術を進めてほしい、とのこと。そこで、電話口で正式な手術同意書を作成しながら、私が書いていることを一つ一つ説明し、さらに控え室で待機している会社の同僚にそれを見せて同意書を代筆してもらうがそれでよいか?と確認。幸い(?)奥さんのお母さんがくも膜下出血で手術を受けた経験があったため、くも膜下出血や脳の手術については少し知識をお持ちであった。よって、手術の同意(informed consent)は、本人ではなく電話での奥さんとの口頭でのやり取りを紙に記載してそれをこちらにいる会社の人に見てもらい代筆してもらって、(順番は正しくないが)手術終了後奥さんにその紙を再び見せて説明し直す、ということで了解していただいた。
 奥さんが来られるのを待てない訳ではない。しかし、ただ寝かせて待っていて到着までに再破裂を起こしたりすれば後悔が残る。脳動脈瘤の再破裂は、破裂当日がもっとも多いのだ。また、奥さんの到着を待って手術を始めればおそらく手術開始が18時過ぎで手術終了は22時過ぎ。ICU帰室は23時頃になってしまう。結局、麻酔科の都合もあって、脳血管撮影後、手術室に入ったのは15時。手術開始は16時前、手術終了が20時。ICU帰室は2030過ぎ、奥さんへの説明は21時になってしまったが、手術は大過なく破裂脳動脈瘤はチタン製脳動脈瘤クリップで確実に処理された。結構出血量が多く、くも膜下「血腫」のように部厚く脳を圧迫している部分もあったので、可及的に丹念に取り除いて「脳血管れん縮」をなるべく起こしにくいように気をつけて手術を終了した。
 術後の患者さんの状態は順調で、奥さんもほっとしておられた。
 昨年は、北海道は釧路の方の出身の方で当地で一人暮らし、家族はおらず親類が釧路にいるのみ、というくも膜下出血の方も手術したが、その時も電話で一番近い親類である姪の旦那に説明し、こちらの会社の仲間に紙に書いて同意書を作成し、それを釧路にファックスして手術同意書として手術をしたことがあった。その親類は、結局仕事もあるし空の便も直通がないので、2日後に丸一日かけてこちらまで来ていただいた。
 単身赴任の脳卒中、身寄りのない一人暮らしの脳卒中の手術や緊急検査などの同意書には、このように困ることがある。形式的に言えば、本人の同意のない同意書というのは正しいものではない。ただ脳卒中などのように、本人にきちんと物事を把握し判断する能力が欠けていると考えられる場合は、「臨機応変」これにつきる。要は、我々がやっていることが(誰が見ても常識的に考えて)患者のためになることであるならば、形式にとらわれることはないと思う。ただ、4月から施行される「個人情報保護法」の観点から言えば、本人の了解なしに会社の同僚に病状や手術の説明をするというのは問題があるかもしれない。奥さんに説明したからといっても、会社の同僚や奥さんが患者の味方とは限らない事例がありうるからだ。普通は、「家族」は患者の味方、仲間であろう。しかし、そうでない場合もあり得ることを想定して、我々は事に当たらなねばならないことも肝に銘じておくべきであろう。
 ま〜、難しいことはともかく、手術がうまくいってよかった、、、

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2005.03.20

日直終わります。

 当院では、日直と当直は、外科系医師一名と内科系医師一名の二名体制で行っている。忙しい時や緊急時には二人(以上)で救急外来を担当するのだが、普段は前半と後半にわけて分担している。
 前にも書いたように、日直医や当直医というのは時間外外来や救急外来をやるために病院に詰めている訳ではない。本来の仕事は、休日や夜間の病院内の医療的急変に対応するためにいるので、何もない時は寝ていてもいいし漫画を読んでいてもいいのである。
 しかし、当院クラスの救急外来という名の時間外外来を持つ、地域の中核的救急指定病院では、日直医、当直医の仕事のほとんどは「救急外来」「時間外外来」である。今日も、朝から何人のインフルエンザの患者を診ただろうか。5日前に他医でインフルエンザ陰性と言われた人でも、高熱が出ているので調べると陽性であった。午前中だけで20人はインフルエンザ陽性患者が来た。インフルエンザ以外に、通常の流行性感冒の人も多かった。その中には、もちろん昨夜から今日にかけて症状のでた人や高熱のでた人が多いのであるが、中には2日前、3日前から症状のある人もいる。なぜ平日の時間内に病院に来ないのだろうか。来れないのだろうか。来れない人もいるであろう。しかし、中には「来れるけどこなかった。我慢していた。で結局我慢できなくなった。明日も休日なので明後日まで待てない。」という感じの人も見受ける。そういう人だって「医療サービス」を求めているのだ。医療従事者としては当然診察し治療を行わなければならない。拒否はできない。しかし心情的には、「金曜日に来たらいいんじゃないか」とか「明後日までまてばいいじゃない?」と疑問に思う人も少なからずいる。消化器症状はないのだが、「食欲がなく体力が落ちるとインフルエンザにかかるといけないので点滴して」という人も来る。倒れたらどうしようか、と不安なのだそうである。そういう人にはどうするのか。点滴をしてあげる。そして精神安定剤を処方してやんわりと「これからもいつもそういう気持ちになるなら」精神神経科受診を勧める。
 時間「外」外来は、時間「内」に来れなかった患者さんの為にあるのではなく、急に発症した、怪我した、急変したという人たちのためにあるのだがそうもいっていられないらしい。でも、時間外の診療は通常の診療よりも検査料などが高いことを知っているのだろうか?薬の値段は同じはずであるが、検査手技、診断手技、治療手技は時間外加算が行われる。これも「保険診療」なので自己負担3割として、残りの7割は我々全国民が毎月のように払っている国民健康保険、社会保険料から支払い基金を通して支払われるのである。つまり真の意味の急患は当然仕方のないこととして、時間内に受診できる可能性のある時間外外来患者さんの医療費も我々が分担しているのである。

 健康保険の支払いは厳密には税金ではないのであるが税金のような性格を帯びている。税金といえば、今年度の本県の除雪費が45億円に上る見込みで、予算を大きく上回っており補正予算を組むというニュースが流れていた。これも我々の税金である。雪は、放っておけば溶けるのだが放っておくと事故が増えたり家がつぶれたり怪我人がでたりするので除雪せざるを得ないのであろう。除雪活動で助かっている点は確かにある。感謝はする。
 しかし、本当に無駄なく使用して43億とか45億なのであろうか。どこかで無駄になっているにおいがぷんぷんするのだが、これは私の勝手な解釈、思い過ごしであろう。か、、、

ま、とにかく日直も無事に終わるので、もうすぐお家に帰ってのんびりしよう(のんびりできればいいな〜、まだ当番であることには変わりないので)。

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2005.03.19

世の中は3連休ですが。

 私は今日も朝9時から病院で働いている。
3名いる脳神経外科医のうち、一人は管理職(副院長)なので基本的に時間外労働(休日、夜間の出勤?)はしない。私ともう一人(今は3年目の後期研修医)の二人で一年365日の夜間および休日の緊急、救急などに対応している。
 ICUとHCUそれに2つの一般病棟、約40名の入院患者さんを一通り診察して指示を出す。
昨日入院した3名の患者のうち、脳出血の患者さんの二日目のCTを撮る。症状に変化がなくても、出血が止まっていて増量していないかを確認するために、よほどのことがない限り、休日でもCTを撮る。幸い全く変化がなく血圧もよくコントロールされている。
 ICUにいる二人、多量の脳出血の患者とめまいで神経内科に入院し意識障害、呼吸不全の出現した小脳梗塞の患者は両方とも術後5日目になる。脳出血の患者さんは全失語でコミュニケーションはとれないが、術前意識レベルJCS(Japan Coma Scale)100であったが、今は一桁の3くらいに回復している。小脳梗塞の人は1、2日でだめかと思ったが、浮腫を改善させる点滴と注射が効いたようで弱いながら自発呼吸も出てきている(まだ人工呼吸器管理であるが)。この状態なら何とか危険な状況を脱することができそうである。しかしその結果は、「寝たきり」または「植物状態」と予測される。残念ではあるが治療開始前の状態が悪すぎた。

 先日懲りたので、今日は朝医局に外付けHDを持ってきて、回診の間にバックアップを、と考えPowerBookG4に接続してバックアップをとっていた、はずだった。コピーを始めて間もなく「コピーの残り時間66時間」と出た。
「げっ!66時間!あさってまでかかるの?」
回診を終えて戻ってきたら(その間、2時間半)、途中でとまっている。
「いくつかの項目をコピーできません」
「アクセス権がありません」
結局、全然コピーされていない。いくつかのフォルダやシステムは外して、データ中心にコピーすることにした。
結構面倒くさいな、、、

世の中は3連休。普通に会社勤めの人などは、家でのんびりしたり買い物に行ったり家族と出かけたり小旅行に行ったりとかしているのだろうか。私は、明日は全館日直兼脳外当番。3年目の先生が3月一杯で移動になるので(引っ越しの準備とかあるだろうし、昨年結婚したばかりの奥さんは身重なので)21年選手の私が多めに出番をしているのだ。4月になったらなったで今度来る別の先生がこの病院になれるまで少し私が出番を多めにやらなければならないだろう。その間、学会もあるし副院長は病気のため少し入院する予定になっているし。。。
予測的指示をきちんと書いて、患者さんの状態の先の先の先まで読んで、ばたばた火事場で慌てて活躍することのないように、スマートに仕事をこなそう!

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2005.03.17

診断書のこと

病気や怪我で病院にかかった場合、医師に診断書をかいてもらうことは少なくないと思う。
交通事故などの場合は警察に提出する診断書。勤務中の怪我などでは職場に提出する診断書。これらはだいたい「病院の」診断書である。つまり特別な形式はなく、名前、生年月日、住所、診断名、症状や治療の内容と治癒の見込み、日付、病院名、医師の署名、捺印で構成される。
一方、生命保険会社などに提出する医療保障保険の診断書の場合は記入する内容が増える。たとえば診断名と「その原因」、通院期間や入院期間、前医の有る無し、手術の有る無し、手術があれば手術名、放射線治療の有無など。ガン保険の場合は、病理診断名、本人に告知しているか否か、などなど多岐にわたる。
その他に、職場に提出する労務不能に関する保障を得るための診断書。一人で3通も4通も診断書を請求される人も珍しくない。もやもや病など特定疾患に対する医療費免除のための診断書、、、まだまだいろいろある。
脳神経外科医にとって最近増えているのは、「介護認定に関わる意見書/診断書」「肢体不自由の診断書」。特に介護保険法の制定以来、脳卒中の人はかなりの割合で意見書を要求してくる。

季節は春。年度末、ということもあるのだろうか。最近、診断書が多い。毎日、2、3通から5、6通は書かされている。棚が隣の整形外科の先生のところには、診断書を書くためのカルテがうずたかく積み上げられている。医師は、何も故意に診断書を書くのを遅らせようと思っている人はまずいないと思う。忙しいから書く時間が少ないのが現状だ。少し時間ができたとしても、忙しい診療の合間にコーヒーを飲んだり新聞を読んだりする「寛ぎタイム」だって欲しいと思う(私にはそんなタイムはほとんどとれないが)。その時間を削って診断書を書くというのは心理的につらい作業であることは事実である。事務から催促の電話がかかる。
「○×さんの診断書、なるべく早く頂きたいのですが」
「△□さんの診断書をおいておきましたのでお早くお願いしたいのですが」
「(はいはいわかりましたよ、早く書けばいいんでしょ、でもご飯食べる時間くらいちょうだいね)わかりました、、、」

医師は医師法によって、患者の求めに応じて可及的速やかに診断書を記載しなければならない。しかし、診断書は「公文書」なので適当なことを書くわけにはいかない。外来カルテ、入院カルテ、時にはCTなどの資料が必要である。交通事故で外来を受診して「警察と職場に出す診断書をお願いします」と言われた場合には、即座にその場で書いて渡すこともあるが、保険会社関係やその他の診断書は多くは病院の文書係で患者さんから「書類」を預かって、それを事務的に担当の医師に書かせることになる。
私のつとめる病院は県立病院であるが、たいていの公立病院では診断書料はすべて病院側の収入になっている。ところが診断書料というのは「自由診療」なので、「CTを撮ったらいくら」というような保険点数がない。つまりCT撮影なら、日本全国どこでどんな種類のCTで検査しても「同じ料金」であるが、「自由診療」である診断書料は医師や病院が勝手にその金額を決められる。常識的な線があるので、全国どこへ行っても値段にそんなに格差はないはずではあるが、最大で2、3倍の料金の差が生じることもある。
我々の病院では、医局に診断書用の棚がすべての医師用に作ってあり、医師は毎日そこをチェックして診断書とカルテがあったら、診療の合間をみて記載し事務に返却することになっている。でも、せこい話であるが診断書を何通書いても一銭もはいらない。10通書くと、その診断書の種類によって金額に差があるものの、およそ5000円から20000円くらいの文書料が病院の収入となる。本来、医師が記載する診断書は、自由診療なのであるから全額医師に入るべきものだと思うのだが、いつのまにか役所、事務系に丸め込まれたのか、一銭も入らない。私立の病院では、これはあんまりだ、ということで病院と医師で半々の折半にしているところもある。つまり1000円の診断書を書いたら500円医師の収入となる。
ほんとにせこい話と笑われるかもしれないが、医師がその国家資格をもって公文書を書いてもそれが医師の収入にならない、というのは本当はおかしいような気がする。

現実問題として、外来で患者に気を使って、手術で疲れて、医局に来るとたくさんの診断書がおかれているとうんざりする。「昨日もあんなに書いたのに、またこんなにあるの?」という気持ちである。診断書料を何割かでも収入にしてもらえるということなら、診断書を急いで書くinncentiveがおこるような気がするのだが。私の考えは世間一般の常識から見ておかしいだろうか?
きょうも、さきほど手術が終了してから医局でコーヒーを飲みながら、4通の診断書を作成した。

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2005.03.16

今日はパソコンの日、そしてカルロス・クライバーのこと

え?3/16って「パソコンの日」?
というわけではありません。

「臓器移植」を終えて戻ってきた愛機PowerBook G4をネット環境に戻した。
HDを入れ替えしかもバックアップをとってなかったということは、ほとんど新品。
人間にすれば幼稚園児前くらい。成人させるまで、またいろいろデータを入れ躾をしなければ。
幸い、この半年のメール以外には失ったことで人生が変わるほどのことはない。ただし半年の間とはいえ、publicにもprivateにもいろいろあったのだが、それがすべてリセットされてしまった感じだ。
いろいろなサイト(たとえばETC前払いのサイトなど)へのアクセスのためのIDとパスワードも「紙にメモ」せず、マックのStikiesでメモなんかしていたものだから、家に帰ってカード番号やらその他を確かめないとアクセスできない。

仕事の合間に(昼食後)、ア○ゾンから届いたDVDを見た。
昨年亡くなったカルロス・クライバー指揮、バイエルン国立管弦楽団によるブラ4。
往年の切れの良さ、洒脱な身体の動き、激しさと軽さの格差は、晩年(1996年)の体力の衰えによるものか、少し輝きを失っていたが、苦悩に満ちた表情、開放感あふれる微笑みと動き、オケを揺り動かし引っ張るパワーは、さすが。「観て」楽しい、感動する指揮者の一人だと思う。
そもそもクラシック音楽は、「聴く」ものだという固定観念があるかもしれないが、オペラはもちろんとして交響曲や室内楽、ソロでも「観る」楽しみという側面は絶対にあると思う。演奏者の身体の動き、表情、指先、そして楽器や衣服の動き、輝きなどといったものはクラシックに限らず、音楽の演奏という、全く同じに再現することは不可能な、「瞬間芸」の中の重要な要素だと思う。もちろん、音、歌そのものが最も重要な瞬間芸であるのだが、それを奏でている「演奏者」というパーソナリティあってこその瞬間再現芸なのだ。
そうでなければ、パソコンに音源を入れて楽譜を再現させればよいことになる。

音を奏でている、その瞬間の、気温、湿度、ホールの大きさ、客の数、演奏者の技量、気合い、体調、こころの動きといったもので、つねに変動するものが「音楽」である。同じカルロス・クライバーが同じバイエルンを率いてブラ4を演奏しても、毎回違いが生じるのが「音楽」である。
 今日観た貴重なDVDの映像/音楽から、やはり音楽は「生が一番」だということを再認識した。
生きている、生の、クライバーを観たかった、聴きたかった。。。

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2005.03.15

やはりバックアップはマメにとりましょう!

 PowerBookG4が2月下旬から不調でついに立ち上がらなくなったことを、「偽;臓器移植のため転院」に書いた。Mac歴は13年足らず(PC歴は24年になるが)であるが、7台目のマックである。
 近くの専門店の見立てでは「ロジックボードかHDへのコネクションの段階での異常」ということであった。しかし、結局はHDを交換して戻ってきた。つまりバックアップされていなかったHDの中身は「パー」である。笑うしかないか、、、購入して8ヶ月ではあったが、たくさんのデータがあった。医療関係のもの、一般市民向け講演会用、院内勉強会用、学会発表などのデータも大事であるが、ウェブのbookmarkやこの半年くらいのメールも全部消えた。
 iBookのデータはバックアップされていた。外付けHDを60GBと120GBの2つ持っているが、中を確かめてみたらPowerBook購入時の中身しかバックアップしていなかった。要するに、「新品と同じ」中身に舞い戻ってhしまった。
 一番ショックだったのは、iPod Photoに転送している元となる音楽データのiTunes。これが空っぽである。1000曲以上あり、連続再生すると3日以上かかるボリュームでCDにして80枚以上の音源がなくなってしまった。昨日、オペ後遅く帰ってからiPodを接続して元に戻せないか試してみたが、iPod->iTunesの転送がわからない。出来なければCD80枚以上最初から入力し直しだ。。。。

 今回、「アップルケア」を初めて利用したが、対応は素晴らしかった。こちらで指定した日に、運送会社が取りに来た。梱包もしてくれるのでパソコンを渡すだけ。そして2日後には、メールで修理が終わったので返送する旨連絡が入った。土日は病院が休み体制のため、本当は土曜日に届いていたのに昨日受け取る羽目になったが、引き取り日を含めて4日。実質1日で修理を終えている。迅速な対応で感心する。しかも無償である!
 昔、今から13年前、米国に留学してすぐにPowerBook170というAppleで初めての本格的ノートブックを購入したところ、すぐに不調があり当時のアップル本社のあるカリフォルニア州のどこぞの街に電話をしてねばり強く交渉し無償で修理してもらったことがあった。このときは交渉だけで約1週間、修理は行き帰りのshippingを含めて約一ヶ月かかった。英語も下手だったので本当に大変な思いをした。修理体制に対する不満を手紙に書いたら、アップル社副社長からお詫びの手紙が来た。なんか安っぽいグッズがおまけについていた。保証期間内だったので無償だったが、大変だった思い出である。
 サービス体制が良くなっているのかも知れないが、やはり日本人とアメリカ人(とヒトククリにしてはいけないのだが、本当に様々な人がいる)の違いかも知れない。

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2005.03.14

まだ春は遠いのか、、、

昨日、3/13(日)は当番だった。だから今までず〜っと働き続けているような錯覚に陥る。
・昨日は、朝9時にICUから回診を始め、HCUと併せて重症患者5名を診察し指示を出した後、3階の小児科へ一人患者を診に行き、続いて4階と6階を回診して、術後患者の抜糸やその他の指示出しの後、1130過ぎから検査入院の患者さんの結果と今後について本人及び家族に説明を行った。今後手術治療を考えるべきであるが、頸動脈内膜剥離術かバイパス手術が必要となる可能性がある上、現在無症状で予防的手術となるので大学病院の脳神経外科の教授に治療をして頂くべくを紹介することにした。すぐに紹介状を書いた。
 ここまでで順調に仕事は進んだが既に午後一時前。あの「ラーメンの鬼(?)佐○実」が師と仰ぐとされている人が手打ち麺を出す地元のラーメン屋に行く。一時を過ぎても客は多い。その後、家電製品を見に行って家に帰り18Kの笛を吹いて一休みしたらもう夜になった。
・1830救急外来からコールあり。頭痛で来院した30代女性。CTを撮ったら「後頭葉の方が黒い」ので見て欲しいと当直医よりの連絡。「黒い?脳梗塞?で頭痛?しかも30代?」埒があかないので見に来た。生まれつきあると思われる「くも膜嚢胞」が最も考えやすい。よく聞くと数年前に別の病院に頭痛でかかりその時もCTを撮ってもらって「くも膜嚢胞」と言われ何も薬ももらわなかったとのこと(当直医さん、病歴よく聞いて下さいね)。頭痛薬を処方して帰宅させた。MRIで精査を薦めておいた。病院に来たついでにICUの重症患者を診察して20時過ぎに帰宅。近くのスーパーで寿司やら何か夕食になるものを買って帰り、缶ビールを一本で食事。
・と思ったら21時にまた当直医よりコール。左麻痺のある50代の男性。CTでははっきりした所見がない、と。すぐにまた救急外来へ。CT上、右大脳半球白質頭頂葉に淡く低吸収域を認め脳梗塞と考えられた。すぐに緊急MRI施行。Diffusion weighted image(DWI)で右半球の分水嶺に脳梗塞。すぐに脳梗塞の治療を開始した。ICUとHCUが満床で入れないため6階の一般病棟に入院させた。ついでに6階の他の患者を診て帰宅は2330。
 自宅では、HDDに録画しておいたN響アワーを見た。その後、うつらうつらしながら座椅子で寝ていたが、2時過ぎにベッドに入る。
・早朝0600過ぎポケベルで起こされる。病院に電話すると、守衛さんがでて「救急外来でお呼びです」と。おいおい、一晩に3回かよ!左麻痺で発症した85才の女性。CTで脳出血あり、と。85才といっても脳出血ならば脳外科が診ることになっている。急いで着替え病院へ。入院させ指示を出している内に8時過ぎとなる。
・今日は副院長でもある脳外科医がお休みで、私と3年目の二人。しかし外来は休みではない。手分けして、回診と外来。土曜日の夜に入院した脳出血の患者さんが悪化しているので午後から緊急手術を計画。それまでに外来を終わらせようと思ったら、そういう日に限って新患(しかも1ヶ月前からの頭痛が心配で来た、とか3週間前から時々頭が痛いの来院、とかそういう人だらけ)が多く、外傷の傷処置も数名。しかも他科から紹介患者やらMRIをフォローして大学病院へ紹介状を書く人やらで、かなり手際よくやって外来が終わったのが午後2時。
・緊急手術とはいえ、手術場と麻酔医の都合で入室は1430。手術開始は1530。3年目の先生に開頭と顕微鏡手術を教えながら、大半を彼にやらせて指導しながら手術を進めていたら、土曜日に神経内科に入院した脳梗塞の患者が悪化したと神経内科医より相談あり。意識は目を開けていたのが痛みにようやく反応する程度となり、CT上、小脳梗塞で頭が腫れていて急性水頭症がある。緊急で後頭蓋下減圧開頭をしたいが我々は開頭手術中である。一人が手を下ろして、その急変の患者さんを診察し緊急で脳室ドレナージすることになった。その間、私一人で開頭顕微鏡下手術を続け 2130に終了(皮膚の縫合も全て一人でやらなければならないから時間がかかる)。
・2200過ぎにICUに戻り、既に脳室ドレナージを終えていた別の急患も診察。既に自発呼吸が停止し人工呼吸器を装着している。助かる見込みは少ないだろう。術後患者の指示を出し、別のICU患者を診察。
・缶コーヒーを買って飲みながら、やっとこのブログを書いたところである。朝から連続17時間勤務(しかも昨晩も昨日の昼も働いていて)で、朝食抜き、昼はパン二つと牛乳、で今ようやく缶コーヒーである。

 明日も今日の手術患者2名、土日に入院したその他3名の急変を予測しつつ指示を出さなければ。月曜に入院した2名の患者をきちんと診察し、その他の患者さんをいつも通り回診する。
 この土日、急にまた吹雪いたり寒くなったりしたので、春になりかけてると思って気のゆるんだ(?)患者さんが脳卒中でパタパタ倒れてきたのだろうか。脳神経外科は冬に逆戻りの様相。
 明日は、緊急手術などないことを祈る。

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2005.03.13

ブラームス交響曲第4番

 昔から(といっても高校生の頃ですが)ブラームスが好きだ。ベートーベンもいいしモーツァルトもいい。ピアノならショパン、ラフマニノフ。たくさん好きな音楽がある。
 ブラームスは、特に医学部受験に失敗した(テニスばっかりやってたから「失敗」と思ってなかったけど)浪人中に毎日のように聴いていた。彼はモーツァルトなどに比べれば長い人生の中で、交響曲は4つしか書かなかった。かなり時間をかけたり書き直したり悩みに悩んで書かれたものが多い。かなり屈折している。シンプルでない。複雑なリズム、拍の変化、主題の変奏などなど、彼の性格とものの考え方を現しているだろう。

 私の所属するアマオケの今年の秋の定期演奏会のメインが、ブラームス交響曲第4番(略称、ブラ4)に決まって昨日初めて全体練習(「初見大会」と呼んでいる)があった。この曲は、結構フルートが活躍し、第4楽章には美しくもの悲しいソロの部分がある。金曜日に18Kのフルートが届いたので、土曜に朝から吹きまくった。
 やはり音の輝き、パワー、遠達性が違うようだ。
 NHK交響楽団の昨年秋の「N響音楽祭」で、ネルロ・サンティ指揮のブラ4がBS−2で放映されたのをたまたまHDDに録画していた。それを再生しながら吹いてみた。その時のN響フルートは神田さん。昨年の夏に少し指導も受けた人である。彼の笛は、パウエルの木製(グラナディラ)で、金や銀の笛にはない美しい響きを聴かせてくれる。録画を見ながら、サンティの指揮にあわせて練習をして「初見大会」に臨んだ。

 練習は、集まりが悪く(コンサート直後の気が抜ける時期で、しかも昨晩は急に吹雪いて天気も悪かった)、弦が極端に少なかったし、コントラバスとトロンボーンは0だった。でもいきなり通し練習。躓くところも多々あったが、問題の第4楽章のソロもなんとか吹けた。後ろに座るクラ奏者(彼も医者だが)から、「お〜、金の音ですか〜」とからかわれた。ホルン奏者も休憩時間に「買ったの?」と近づいてきた。やはり他のパートの人にも違いがわかるらしい。とっても嬉しい気分になる。
 まだ乗り番、降り番が決まったわけではないが、できればブラ4の本番はトップを吹いてみたいな。でも練習でさえも緊張して唇が震えたので、本番なんかできるだろうか、という不安もある。本番の指揮者は、プロの方だし厳しい指導が待っているはず。もう一曲は、ロドリーゴの有名なアランフェス協奏曲で、ギターはなんと福田進一氏を迎えて行うことになっている。こちらも難しいので、降り番でもいいし、2nd Flute & Picc.でもいいかな、、、(ご存じない方のために追記しますと、福田氏は今をときめくギタリスト村治佳織の師匠なのです)

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2005.03.11

春は近い

 住んでいる場所によっては日本国内でも既に「春」という所もあるかも知れないが、私の住む街はまだ春には遠い。白鳥はまだ川にたくさんいる。しかし、それでも確実に季節は春に向かっている。
 病院の目の前に広がる景色は、ほんの10日ほど前までは一面銀世界であったり吹雪いたりしていたのに、今日あたりは遠くに見える山に積雪があるだけで平野部の雪は日陰の所を除いてほとんど消えている。車の窓が汚れている。黄砂のようである。中国大陸から日本海を越えて降ってくる。雨や雪などの湿った空気が少なくなると黄砂が飛んでくる。春を感じさせる。朝晩は手袋をして通勤していたのだがここ2日ほどはいらない。また寒さはぶり返すと言われているが「もうすぐ春か〜」と何か待ち遠しい。

 昨日のオペ患は、術前予想通り右上下肢の運動麻痺が出現しているが意識は極めてはっきりしていて家族もホットされていた。本日のCTでは腫瘍摘出部位の出血もなく造影CTで見る限りは全摘出されている。ただ周囲の脳の腫れ(浮腫、腫脹ともいう)が術前より強いようである。麻痺は、手術時の脳表への腫瘍による圧迫解除をともなうダメージとこの腫れのせいである。脳浮腫を改善する点滴と注射薬を開始した。数日から1週間ぐらいで腫れが引いてくれれば麻痺も改善するだろう。執刀医としても少し安堵の気持ちである。

 メールで連絡が入った。注文していた18Kのフルートを発送した、とのこと。ついにP2号ちゃんが私の元にやってくる。総銀のP子ちゃんにとっては若い2号サンが現れたようなもので、しかも本妻?の総銀P子ちゃんはケースにしまっている時間が長くなると思われ悔しい思いをすることになるのかも。でもP2号ちゃんは、若く美しく輝かしくグラマラスでやわらかいのだから仕方ない、、、ごめんね、P子。君の渋さ、味のある、控えめな輝きはそれはそれで好きなんだよ、、、バカか、、、(^^;;;;
 春が近いのだろう、、、

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2005.03.10

何故か同じ様な症例は続くことが多い

 今日はこれから「脳腫瘍」の手術ですので終わってから続きを書きます。今、1330、入室します。
手術が終わって、ICUに移した患者が安定して、パソコンの前に再び座れるのはおそらく2130〜2200頃になると予測されます。では後ほど。

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 もうすぐ日付が変わります。手術は予測よりも時間がかかり8時間の大手術となりました。終わって、麻酔をさまし、抜管してICUに戻ったのは2315でした。腫瘍の直径が6cm弱と巨大であったことも時間のかかった要因ですが、なによりも傍矢状洞髄膜腫で脳表にはほとんど腫瘍が出ていない上に、腫瘍の真上をまたぐように太い静脈が矢状洞に入り込んでいて、これが腫瘍の摘出を最後まで邪魔しました。この静脈を切ると右半身の麻痺が出現するのです。腫瘍を取りやすくするため、前後10cmの幅で開頭したにもかかわらず、この静脈のために前半分の5cm位の隙間から長径6cmの腫瘍を(しかも横幅も4.5cm位ある)取る羽目になってしまったのです。
 術直後ですが、患者さんは目を開け、返事をしてくれますが、右手足の動きが左より弱いようです。術前にてんかん発作で発症し右下枝の運動麻痺もはあったので、術後に軽い運動障害が出ることは予想の範囲でした。でも少しショックです。多分、長期間に渡って腫瘍に圧迫されていた脳が、急に腫瘍が取り除かれて浮腫んでいるために動きが悪いのだと思います。数日で回復してくれることを祈っています。

 さて、タイトルのこと。
 実は、不思議なことに、病気というものは、何例か同じ病気が続いてきたり短期間に集まったりする傾向があるのです。今日、手術した髄膜腫というのは、全脳腫瘍の中でも2番目に多い腫瘍で脳神経外科医にとっては珍しいものではありません。しかし、今勤務しているような中規模の市中病院では大学病院のうようには脳腫瘍の患者さんは集まりません。髄膜腫の手術は半年以上していなかったと思います。ところが、先日、同じくらい大きな髄膜腫の患者が神経内科から紹介されてきて、明日入院します。更に今日の外来で、今日のよりはずっと小さいけれど同じ左側の傍矢状洞髄膜腫が見つかった方がいて、来週入院し、再来週あたり手術になると思います。髄膜腫が立て続けです。
 昨年の暮れから今年の始めにかけては、椎骨動脈瘤解離によるくも膜下出血ばかり4例立て続けに入院しました。こういう風に、何故かわからないのですが、しばらく見ていなかった症例が来たと思ったら同じ病気の人が続けて入院したり、同じ手術が続いたりすることがあります。
 大学病院に勤務していたときに下垂体腫瘍を担当していたのですが、クッシング病がしばらく来ないな、とおもっていたら2例続けて来たり、とにかく不思議な現象なのです。

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2005.03.09

偽;臓器移植のため転院

タイトルからはまたまた濃い医学ネタを期待された方もいらっしゃるかしら?期待を裏切りごめんなさい。
私のパソコンの話しです。
愛用のPowerBookG4が2月に入って不調で、下旬にまったく動かなくなりました。電源をいれても初期画面にならないのです。アップル・ケア保証期間中なのでコールセンターに連絡し、いろいろアドバイスをもらい(ちょっともたもたする担当者もいたけど、概ね親切で我慢強い方が多い)同梱されてきたDVDでの起動、ハードウェアテストなどいろいろやってみたけど結局ダメでした。
昨年の9月にデスクトップとして5年間愛用してきたiMac DVがご臨終されて、外付けHDにバックアップしていたデータが中途半端なまま、PowerBookG4を仕事&ネットのメインに使っていました。バックアップは途中で一回くらいしかしていなかったんです。まさかそんな短期間に、という甘い考えがあったのです。

ついにPowerBookG4がダメになり、2月下旬からこれまた4年近く使っているiBookを仕方なくメインに復活させています。スピードが遅いとかそう言う問題よりも、この1年間くらいのデータがないのです。メールもH17年2月上旬以前のは何も残っていないし、HPのブックマークも古いものだけ。iBookは別宅と本宅の移動時に持って歩いていたので、そんなに使っていなかったのです。
とにかく今は仕方ない。この環境で耐えて行くしかない。

で結局PowerBookG4はロジックボードを交換しなければダメだろう、ということになり、そのチェックおよび修理(交換)のため、本日アップル側から手配された福山通運の人が取りに来てくれました。購入後一年間のアップルケアの保証期間中は、運送業者の手配、集配から修理、そして発送まで全部アップル側がやってくれるのです。ただ今回の私のパソコンの場合、「通常の使用における故障」でない可能性があるので、その場合は無償ではなくロジックボード交換費用が実費で取られるそうです。HDも初期化されてしまう可能性がありますが、仕方ないです。iTunes2からiPod Photoに落としていた1000曲近い音楽も消えてしまうかも知れませんが、iPodから戻せばいいのです。
ということで、ロジックボード交換(臓器移植)のためアップル工場へ発送(転院)しちゃった私のPowerBookG4のことでした。早く元気な姿で戻ってきてね!

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2005.03.08

医療行為の説明について(インフォームドコンセント)

 医療行為の中で、患者側と医師および病院側に「温度差」のあることは少なくないように思う。
たとえば、医師側は十分に説明した、と思っているが、患者や家族側は「ほとんど詳しい説明はなかった」とか「何か言われたけれどよくわからなかった」という感じである。
理解できないのは患者側に落ち度があるのではなく、説明する医師側に配慮が足らないことが多い。インフォームド・コンセントinformed consent「十分な説明の上での同意」とは、「十分な説明」が前提なのだから「難しくてよくわからなかった」とか「面倒くさいからお医者様の言うとおりにまかせておく」と言う風に患者側から発言されるのは(少しは患者側にも問題があるとは思うが)、たいていの場合は医師の説明不足、説明手段における工夫不足である。
 私は、大事なことの説明(診断、治療方針、手術同意、輸血同意、その他)においては、必ず紙に書いて説明しコピーを患者さんか家族の方に渡している。注意すべきことは、最低限必要なことを必ず「紙」に「文字」で書いているかどうかである。しかし、これでも患者さんや家族はまったく理解できていないこともある。図譜を使って脳の構造や脳卒中を説明したり、手術書の絵や写真を見せて更に紙に図示したりする。これぐらいのことは多くの医師がやっていると思う。いや現代ではやっていなければならない。患者のためでもあり、かつ医師自らを守るためでもある。
「そんなこと聞いてない!」
「手術前にそんな説明はなかった!」
「この治療でそんな副作用がでるとは知らなかった!」
患者さんや家族が不満を持つことの多くは「情報不足」である。「知らなかった」「聞いてない」「何がおこっているのかわからない」「医師から説明がない」といったことが、不信感となり不満となり最終的には訴訟となったりする。だから医師は自分を守るためにも紙に書いて説明し、そのコピーを渡し原本をカルテに挟んでおくべきだ。ここで不十分な説明、記載をするとかえって「ほら!言ってないじゃないか!」「やっぱり聞いてなかった」という証拠にもなりかねないが、それは本当にそうだったのなら医師が落ち度を認めるべきであろう。

紙に書くという行為は、知識を整理することにもなるし説明をうっかり忘れるということを防止する効果もあると思う。だから患者側への説明は必ず紙に書くべきである。
脳神経外科領域は、扱う対象臓器が脳であるため難しいことが多く、患者が重症であったり危険な状態になることが多いので、かなり昔からICという概念はなくても「十分な説明をする」ということがごく自然に行われていたようである。
「脳の病気になれば、死ぬるかバカになる」
と言われていたのはつい30年程前のことである。
 他の臨床領域、たとえば緊急患者が発生することが少なかったり、急変することが少なかったり、手術しても生命にかかわることが少ない病気、疾患である領域では、医師側もあまり深刻になる必要がなかったため、患者への説明に関してそんなに真剣になる必要がなかったと考えられる。
「手術したら治ります。来週あたりどうですか?」
「局所麻酔ですぐに終わります。簡単な手術ですから」
こんな会話で手術説明が終わってしまうような科である。今時でもこんなことをしている医師や病院があるかも知れない。

 なぜ温度差が生じるのか?やはり医師が「患者の立場」に立っていないからだろう。かく言う私も医師の端くれなので、患者側に立って物を考えたり発言することはきちんとは出来ていないと思う。ただ、「患者側に立つ」という抽象的な言葉では難しいかも知れないが、以外と難しいことではないのである。
治療している、手術している「その」患者さんが、「自分の母」「自分の妹」「自分の子供」だと仮定して考えてみればいいのだ。
「自分の親にそんなことをして欲しいのか?」「自分の兄弟にそんな態度で接して欲しいか?」「自分の子供にそんな処置をして欲しいか?」
感情論を言っているのではない。患者の立場に立つ、ということはすなわち自分が患者や患者の家族になるということである。弱みを持った立場になると言うことである。だから私は時々何かをしている後輩の医師や看護師に「そんなこと、自分の親にされたらどう思うんだ!」と注意することがある。でも、まあ、言っている当人の私がそんなに大したことは、立派なことはできていないのだが。でもそういう心がけは必要だと思う。

 一方、治療を行うにあたって、医師には患者とは一線を画して毅然とした科学的態度も必要である。感情を排除するというか、理論的に、科学的にきちんとした根拠を持って薬剤を使用したり、手術を行う、という医師=科学者としての態度である。何も冷たくする、ということではない。でも何でも患者の言うことを受け入れたり、我が儘にさせて言い訳ではない。そこでは「あの医者は冷たい」と思われても、「私はあなたではない」「病気と闘っているのはあなたで、私はその手伝いをしているだけだ」という態度が必要な場合もある。

 医師側には、心の奥には、患者の立場に立ちたい、という心根があったとしても、日常診療の多忙の中でそんなことを考えている暇があるか!という意識もどこかにあるし、人間だから「あ〜、面倒くさい」「うるさいな〜」という心情も起こりうる。でも患者は、「お医者様」と思い信じて治療を受けたい、と思っているわけであるから、冷たい、素っ気ない態度をとられると敏感に反応して「あの医者は冷たい」「ひどい医者だ」とう過剰な反応になることが多い。私の場合にもこれはあてはまるだろう。気をつけようとは思っていても、人間ができていないのですぐ感情が表にでることがある。
言い訳っぽくなってきたのでそろそろやめよう。
でも最後にもう少し言い訳。
 一年365日の約半分を当番(通常勤務時間以外に救急外来、病棟などで何か異変、急患、問題があったときにポケベルや電話で最初に相談される役目)として働き、夜中に病棟に来て急変に対応したり休日にも全患者を回診して回り長い手術の時は昼間から夜中まで食事もとらず続けて緊張を強いられ家に帰っても手術患者のことが気になったり疲れていても急患で呼び出されれば夜中だろうと朝方だろうと病院に来なければならず、そうして働いていても平日の日中は外来や回診などの通常業務があるので睡眠不足だろうが食事をとっていなくても普通通りに働かなければならない、そういう医師が「患者や看護師に優しく接して、つねに患者の立場に立って考え行動」出来ると思いますか?
 これをお読みになったあなた、自分がわたしになったと考えて、一週間の内、まったく病院に来なくても良い日は、一日あるかもしくは0で、家に帰っても患者のことで看護師から相談があったり、救急外来の当直医から呼び出しがあったりする毎日を送りながら「穏やかな心」を保てるか、考えてみて下さいね。
(結局、言い訳のオンパレードになってしまった、、、すみまっしぇ〜ん、、、)

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2005.03.05

楽しみ

もしかしてこのブログを時々覗いて下さる方の中には、「あれはどうなったんだ?!」と思っていらっしゃる方もいるかも知れませんね。
金のフルートの件です。
安くはないので悩みました。悩み迷った経緯は私の別サイトのdiaryに記しました。
結局、私に信用があるからか(まさか!)、18Kは4週間、14Kは2週間も貸してもらいました。2/27のコンサート本番では、18Kで吹いてしまいました。もう総銀には戻れそうにありません。
銀は銀でいい音色がでます。「銀の音」という感じがします。しかも私の銀の笛はジャーマンタイプともいうべき頭部管、リップなので抵抗のある、吹奏感の強い、渋めの音色がでます。
今回いろいろ試した結果、結局18K+メカ銀のフルートを買うことにしました。現在工場に送り返して、再調整の上、早ければ来週末にも届くようです。
楽しみですが支払いはどうするんだ???いろいろ金は入り用なシーズンで年末にちょっと贅沢もしちゃいましたし。でもどなかたがコメントに書いて下さったように「自分への投資」として決めました。
リングキーから伝わるあの深い笛の振動と低音の太い響きと高音の輝きを知ってしまうと、もう金以外は吹けないような気がしています。(総銀のPちゃんが可愛そうかな〜)

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2005.03.04

今日は3月4日です。。。(脳塞栓症のこと)

とわざわざタイトルにすることではないのですが。
まず、一つ。今日は離れて暮らす娘の誕生日です。
Happy Birthday !

そして、一年前の今日、何があったか?
覚えている人は多くないと思います。
あの長嶋茂雄氏が脳卒中に倒れた日です。
病名は脳卒中の一つである、脳梗塞。その中でも病因で分類すると、「心源性脳塞栓症」ということになります。
健康診断では心電図も問題なかった、と聞いて言いますから、疲れやストレスなどによって一過性の心房細動という不整脈が起こり、これが原因で心臓の中に血栓が出来て、これが脳に行く血管に流れていって、脳の中で太い血管を詰まらせてしまった(塞栓)ことによって、左大脳の一部の機能が障害され言語障害(失語症)と右半身の不全麻痺が出たと聞いております。
実は、私の所属する大学医学部に長嶋さんの主治医団筆頭であるU教授の息子さんが医学部生として学んでおり、U先生とは会って話しをしたこともあったので、記者会見を見ながらその内容も(遠いどこかの出来事ではなく)身近な問題として親しく感じていました。
「心源性脳塞栓症」で思い出されるのは、もう一人。故小渕総理大臣です。現職の首相として脳梗塞に倒れ不幸にも帰らぬ人となられてしまいました。長嶋さんとの違いは、故小渕首相の脳梗塞は、おそらく(CT, MRI, Angioなどのデータをつぶさに見たわけではないので、公式発表の症状と経過を自分の知識に照らし合わせた推測です)、より心臓に近い太い血管に血栓が詰まり(塞栓症)、脳の広汎な部位に虚血が生じ(最初から意識障害があったと聞いています)、これを何とか助けようと「血管内治療」をおこなった結果、「出血性梗塞」を来してより重症になり死亡されたものと思います。

「血管内治療」とは、脳の血管の病変部位にまで細い「カテーテル」という 1m以上の長さのストローのような柔らかい管を股の付け根の動脈から挿入していって病変の傍や中で治療をおこなうものです。塞栓症の場合は、塞栓の中または周囲で「血栓溶解剤」を流して塞栓を溶かし詰まった血管を再開通させて脳梗塞を治そうとするものです。
故小渕首相はなぜ亡くなったのでしょうか?血管内治療で血栓溶解剤を流し、詰まった血管が再開通するとそれまで血が行っていなかった死にかけの脳細胞や既に死んでしまった脳細胞に急に血液が流れてくるため、血が溢れてしまい出血を起こします。これを「出血性梗塞」というのですが、これが大量に起こってしまったと推測されます。血管内治療を行わなければ大きな脳梗塞による強い後遺症を残すか、やはり生命にかかわる程のことになったでしょう。語弊があることを承知で書きますが、「人間の人間たる所以である臓器」の脳が働きを失った「総理大臣」では死んだも同然なわけで、血栓溶解に賭けたのだと思います。

長嶋茂雄氏には静脈からの点滴による脳保護剤が投与され、故小渕首相のような積極的な血栓溶解剤や血管内治療は行われなかったようです。これはおそらく虚血になった範囲が比較的小さかったこと、つまり麻痺や言語障害はあっても意識障害はなかったこと、心源性の血栓が詰まった脳塞栓症であることが明らかであったので血栓溶解剤の使用で出血性梗塞を起こすことを避けたこと、などによるものと思います。
病状が落ち着いてからすぐにリハビリを始め、言葉をしゃべるようになった、右手足を動かすようになった、などとは伝え聞いていますが正確な病状はわかりません。先日、宮崎の巨人軍キャンプで「スマトラ沖大地震・津波」のチャリティオークションが行われ、長嶋さんが不自由な手でサインをした写真と帽子かなにかが高い金額で落札された、とニュースでやっていました。
弱々しい筆致の乱れた字ではありましたが、漢字で「長嶋茂雄」と書かれていました。ずいぶん回復されたのだと思います。でも今日で発症から一年。一年経ってそんなものです。

脳卒中による死亡者数は、全死亡原因の第2位です(1位は癌)。でも癌は全身のいろんな臓器に出来る腫瘍を集めた数です。脳卒中は「脳」という臓器だけです。しかも我々脳神経外科医をはじめとする脳卒中医の活躍で脳卒中全発症に占める死亡率は減少しているのです。死なないだけではなく、完全な機能の回復が得られれば良いのですが、残念なことに後遺症を残して苦しんだり寝たきりや植物になる人も増えています。いろんな状態による「寝たきり老人」の35〜40%は「脳卒中」が原因といわれています。
長嶋さんは、寝たきりにはならないでしょう。でも、オリンピック日本代表野球監督としての現場復帰は難しいと思います。できないとは言えません。でもかなり無理を強いられると思います。あのみんなのヒーローで、ミスター巨人軍といわれた男が、右足に装具をつけて杖をつきながらゆっくり歩いてきて少しゆがんだ顔でろれつの回らない言葉で、「う〜〜〜ん、そ〜ですね〜、いわゆる〜、その〜、ストローク、stroke(卒中)、ですか〜」と喋ったとしても様にならないし、どうなんだろう。
「あ〜、あんな姿になっても長嶋さん、頑張ってるんだ!応援しよう!」
「長嶋さんといえど人の子。病にも倒れる。でも頑張っているんだ。自分も頑張ろう!」
となればいいけれど
「う=ん、あんな惨めな姿のミスターは見たくなかったな〜」
「走れない、ノックできない、うまくしゃべれない、じゃあ、監督なんて無理じゃん!」
という反響があるかも知れない。今、本人および近しい周りの人たちはどんな思いで毎日のリハビリを続けているのだろう。もちろんあの紳士然とした華麗な、ちょっと抜けた剽軽な姿で現れて欲しいとは思うが、一年経ってあのサイン程度では難しいかな〜、というのが本音である。

すでに始まっている高齢化社会。脳卒中は、脳の血管の病気。すなわち老化と密接な病気である。特に血管が詰まる脳梗塞はますます増える。心房細動などの不整脈は高齢者では多くなり、それが原因の脳塞栓症も増えてきている。我々がどんなに頑張っても「発病」してからではなかなか治せないのが脳卒中である。
高血圧、糖尿病、高脂血症・高コレステロール血症、不整脈、タバコの吸いすぎ、酒の飲み過ぎ、運動不足、肥満、、といった危険因子、生活習慣病を予防、治療して健康管理を行い脳卒中にならないように、なっても軽くすむように心がけていただきたい。
3月4日を迎えて考えたことであった。

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2005.03.03

いよいよ開幕!

実は音楽以外にスポーツも結構やってきた。
中学生の時は、クラブ活動はブラバンでフルートを吹いていたが、一番好きなスポーツはサッカーだった。
高校、大学と体育会系のテニス部に所属し、選手としていろいろな試合に出た。シングルスの最長試合は、大学の4年の時(医学部は6年間ですから)3セットマッチをフルセット闘って、6-7, 6-4, 7-6で勝った4時間40分の試合である。高校の時は、補欠であったがインターハイにも出た。
社会人になってから始めたゴルフも、一時は所属コースの月例大会に出て優勝などしたり、レギュラー・ティからではあるが77や78で回ったこともあった。大学の医局対抗野球では「不動のショートストップ」で強肩を披露していた(自画自賛しすぎか、、、)。最近運動不足ではあるが。
そして、まだまだ冬まっただ中の当地であるが(昨日の雪は凄かった!)、「シーズン到来」、である。

「開幕」といっても人によって頭に浮かぶものはいろいろだろう。
「プロ野球」「Jリーグ」などが多いかな。私にとっては「F1」である。
ついに待ちに待ったF1シーズンの到来。明日から、第1戦オーストラリアGPが始まるのだ。ワクワクする。
日本人としては、BARホンダ、トヨタ、そして琢磨を応援するべきだろうが、私はオーナーカーと関係の濃い、マクラーレンを応援している。フィンランドのアイスマン:キミ・ライコネンがお気に入りなのだ。
昨年はエンジンブローなどメカニックなトラブルが多く、もともとジャニーズ系の可愛い顔をしたキミが少し頼りなく見えたが、ことしは憎たらしいくらい強くなって欲しい。
アゴの皇帝;ミハエル・シューマッハを押さえることが出来る筆頭候補はやはりキミだと思う。
明日、明後日のフリー走行と予選、そして明後日の決勝レースが待ちきれない!

今、私の中で最も熱いスポーツはF1なのだ。

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2005.03.02

「救命病棟24時」を批判する

 始まった当初は、着眼点や設定、医療的な専門家による監修も結構しっかりしていると、感心して見ていた。医師の一人として参考になる点もあった。
しかし、昨日3/1放送分にはいただけないシナリオが2つあった。「テレビ番組なんだから」と笑って無視してもいいのだがblogのネタにさせていただく。
第8回「神の手はあきらめない」というタイトルだったらしい。
「神の手」ってなんだ!?江口洋介扮する進藤医師のことらしい。「天才外科医」なのだそうだ。救命救急医じゃなかったんだ〜!
 心停止状態で搬入された高齢の女性に心臓マッサージなどの蘇生を試みたが心拍が再開せず、それ以上の蘇生措置を諦めようとしていた他の医師たちに対し、駆けつけるや否や、
(進藤)「体温は?」、(看護師)「28度です」、(進藤)「低体温だ!蘇生を続ければ回復する可能性がある」
といって心臓マッサージを続け結果心拍再開し体温も戻し自発呼吸がでて最終的には意識も戻る、という目出度い話しではあった。進藤はヒーローだ。「神の手」は「諦めなかった」から「奇跡が起こった」という話しである。がしかし、だ。
最初に蘇生していた医師や看護師は低体温に気付かなかった「間抜け」扱いでいいのか?
患者の身体に触れば体温28度なら「冷たい」と気付くのが普通である。誰も気付かなかったとすれば「間抜け」である。救急医をやっている資格はない。それから救急に搬入された患者は、血圧、脈拍、呼吸回数、体温といういわゆるバイタルサインをチェックし記録する。だれもそれをしなかったのか、、、、低体温と小児の場合は簡単に蘇生を諦めてはいけないのは常識であるが彼らはそんなことも知らない無能な医師として描かれているのだ。不快に感じる。「神の手」が「奇跡」を起こすことと「普通の医師」が疲れて無気力になりかけているのを描くためであろうが、医師という職業を愚弄しているとさえ感じられ腹が立った。

更に、腹部大動脈瘤破裂の患者が4時間前からその徴候があった、と進藤が指摘するシーン。夜中に「腰が痛い」と訴える患者にたいし、看護師たちが松嶋菜々子扮する小島楓医師を気遣って起こさずに看護師だけの判断で鎮痛剤の座薬をいれてごまかし、その後、大動脈破裂の強い症状が出て、進藤と小島がその場で緊急開腹手術、さらには開胸手術までやって奇跡的に患者を助けてしまう。「神の手」の面目躍如である。
がしかし、だ。
何らかの原因による身体の痛みに対して座薬を使うかどうか、これは医療行為であり、判断し指示するのは医師の仕事である。実際に座薬を肛門に挿入したりするのは看護師の仕事かも知れないが、「腰を痛がっているから座薬をいれて様子を見よう」と看護師が、医師への報告、連絡、相談(これをホウレンソウといっている)なしに「勝手に」判断し治療行為をおこなうことは「医療法違反」である。
「予測指示」として「痛みに対して座薬25mg一個」という指示が医師から前もって出ていた場合は、あれでもいいのであるが、あのシーンは「どうしよう?」「楓、起こさなくてもいいわよね」「座薬で様子見ましょう」という会話であったので、医師からあらかじめ「予測指示」が出ていなかったことになる。

このように、昨晩だけで最低2つはおかしなことがあった。
テレビ番組なんだからおとぎ話として見ればいいのかも知れないが、世間一般の人に「進藤みたいな医師が凄い」「他の医師は無能なのか」と考えられたり、「勝手な座薬使用」を見逃してその後に活躍した進藤を凄い、と思わせる、いかにも煽動的誘導的なシナリオになってしまっていることに落胆した。

現実の医療現場では、「天才」や「神の手」は必要ないのだ。
当たり前のことを当たり前にきちんとする、そういう知識と技術と能力と心を持っていることが大事なのだ。
脳神経外科の世界でも「神の手」ともてはやされマスコミに登場する人がいる。私自身、ピッツバーグに留学中にその人の手術をそばで見せてもらった。手術は上手である。でも「神の手」とは思わなかった。そうやってもてはやされている陰で、何人、何十人、もしかすると何百人の患者が死亡したり重篤な後遺症を残したりしているのか、私は事実を知っている。
「神の手」ならば100%でなければならない。どんなに難しい手術でも後遺症も残さず全て成功させなければ「神の手」とは呼べない。現実には、「神の手」など存在しないのだ。そんな言葉は「神」への冒涜であり、人間としての謙虚さの乏しい人から出てくる言葉ではないかと思える。 

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2005.03.01

不思議なこと

まず最初に、blogのデザインを少しお化粧直ししました。blog初心者なので、自分の記事のバックナンバー、たとえば1月に書いたものを読みたいときに、カレンダーが出せず、一個一個戻ってたどったりしてました>おバカ(自分)。
いろんな機能があるのは知っていたけど、最低の機能の「ベーシック」というのを選んでいるから、自由な設定はないのかと思っていたら、あ〜勘違い!ちゃんとあったんです。無知だっただけ。
でこのような配置にしてみました。
過去の記事は左側のカレンダーやカテゴリー分類などからたどれると思います>よろしく(皆様)

さて、今日のタイトルのこと。
大したことではないけれど、自分にとっては驚きのことが2つあった。
一つ目。携帯電話をFOMAに換えたのだけど、前のMovaより重くて分厚い。先日、誤って手に持っていた携帯を床に落とした。下が少し柔らかい床だったから携帯は無事だったが、拾おうとした時に一瞬目が点になった。
FOMAのすぐ横にそのFOMAの充電式の電池が転がっているのを発見。拾い上げるとFOMAの裏蓋は閉まっている。「ん?予備電池なんて持ってたっけ?」と考えながら裏蓋を開けてみると(ちょっと軽く押さえながらスライドさせる蓋、ちょっと扱いにくいやつ、わかりますよね?)中に入っているはずの電池はない。
「って〜ことは、今、このFOMAを落とした瞬間に、中の電池が外に飛び出てしかも蓋はしまったまま、っていうわけ?じゃ、透明人間みたいに通り抜けたわけ?」と電池と蓋をまじまじと眺めてしまった。
多分、落ちた瞬間に当たり所が最高に良く(?)裏蓋が衝撃で少し浮き上がりその隙間から中の電池が飛び出て床に着地したときに蓋がまた押さえられて閉まったのだろう。まるでテレビでよくやる手品みたいだった。コップの底に置いた100円玉を瞬間で通り抜けさせる例の奴。コップの底が衝撃でずれて少し空くような隙間があるんだろう。パッと振った瞬間にその隙間から硬貨がでてまたすぐに戻るという仕組みではないか。
関係ないか。。。でも不思議だった。

次に、いつもポケットに入れているキーのこと。最近病院の医局も各部屋が日中でも施錠されるようになった。鍵を忘れて部屋から出ると入るために別の部屋にいる秘書さんを呼びに行ったり鍵を持っている他の医師が通りかかるのを待つしかなくなるので鍵は常に持ち歩くようになった。キーケースはいろいろ持っているのだが、フェラガモとかグッチのキーケースは使わず(もったいないな、、、)、コムサの固い靴べらがついているキーケース(リングというべきか?)を愛用している。そこにジャラジャラと医局の部屋の鍵、アパートの鍵、別宅の鍵、倉庫の鍵、倉庫に閉まってある折り畳み式自転車用のワイヤーキーの鍵など7つぐらいついている。
直径10mm位の強固なステンレスの輪にキーをつける金具が5つ並んでいるタイプ。
それが昨日気がついてみると、まるで知恵の輪のようになっていた。その径10mmの輪には2つの金具がついているだけであとの3つはいつのまにか輪から外れて隣の金具に絡み、一番驚いたのは元々は輪に並んでいた金具が3個直列にそれぞれ絡んでいたことである。こんな説明でわかるだろうか?
つまり本来、中央の輪についているべき金具が外れたにもかかわらず落ちないで隣の金具の中に入り隣の金具についていた鍵と一緒に並んでぶら下がっていて、更にそのいつのまにか動いた金具にさらにまた別の金具が外れて絡んできて直列に3つの金具がついていて、しかもそれぞれの金具には鍵がちゃんと付いているのだ。
ポケットに入れてジャラジャラ持ち歩き出したりしまったりしている間に自然とそのように移動してしまったのだろうが、携帯の電池の空間移動と同じように知らない内に移動していることが不思議だった。
おもしろいので、あえて鍵を元に戻していないが、戻そうとすると普通の鍵の金具のように結構な力がいるのである。自分はなんの力も加えていないのにこんなことが起こったというのが「不思議」だった。

何かの前触れなどと考える必要はないだろうが、人間何かにすがりたいような気分の時にはこんな些細なことにも神秘性を感じてしまう。そこに「神の意志」を感じるというか創り出してしまったりするのだろう。

そうそう、一昨日のコンサートは大成功だった。ホールは満席で700席に満たない中規模の音楽専用(どちらかというと室内楽やソロに多く使われている、上原彩子ピアノリサイタル、佐藤しのぶリサイタル、アフラートゥス木管五重奏、ビギン・コンサートなど)のものであるが9割以上の観客でほっとした。前日、この冬一番といえるぐらいの激しい地吹雪で車の運転もままならず、余程の用がない限り誰も外出したがらないような悪天候であったことを思えば、ほぼ満席と言っていい。演奏も細かいミスはあったけれど全員が乗りに乗って、また楽曲や楽器(特にアンダーソンの曲で使う馬のいななき、蹄の音、鈴の音、鞭の音を表現する楽器)を説明するMCが入ってお客さんは楽しめたのではないかと思う。大人前売り一人1000円は安いと思うのだが。
私も、昨年11月にくも膜下出血の手術をした患者さんが聴きに来て下さって、それだけでも嬉しいのに花まで届けて下さって感動した。打ち上げは疲れていたので早く帰ろうと思ったのだが、一緒に音楽を作り上げた楽しい仲間たちと1次会、2次会、3次会と楽しみ、代行車を呼んで家に帰ったのは日付がかわった後だった。
多分、18Kを買うことにすると思う。。。v(^^)

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