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2005年2月

2005.02.25

さあもうすぐ、、、

Sakaphipractice
明後日は、私の所属するアマチュア・オーケストラの年に2回のコンサートの一つがある。
普段の練習は、なるべく休まないように心がけているが、土曜の夜、19:00〜21:00に急患や手術がないとは限らない。でもおおかた3/4は練習に参加していると思う。フルートパート4人の中では、平均出席率は多分1位か2位だと思う。それでもこれまでは、大事なコンサートに穴をあけたり本番直前の大事なリハを欠席することになるのではないか、とやや遠慮気味の参加だった。今後はもっと積極的に演奏活動にかかわっていきたいと思う。
その一つの決意のあらわれが新しいフルートの購入なのだが、おそらく今週末に決めることになると思う。明後日本番を演るホールで、今晩か明日のリハの後、ちょっと一人でホールでの響きを録音して確認してみようと思っている。残響時間1.9秒というホールで自分のフルートの音がどのように響くのかとても楽しみである。
こういう楽しみがあるから毎日を楽しく生きていける気がする。
Tomorrow is another day !である。

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2005.02.24

いろんな理由で

flute3bonなかなか日記が書けません。
まず第一に、愛用のノートブックPowerBookG4が不調。いろいろやっても直らないので、今はiBook G3を繋いでいます。昨年の9月にデスクトップiMac DVが壊れてからそんなに経ってないのに、、、(;;)
PBG4の方は買って一年経っていないのでなんとかサポートが受けられると思う。でも面倒だ〜。
第二に、忙しい。毎日救急患者、入院、手術、、、
第三に、今週末はファミリーコンサート。しかし、練習する暇がほとんどない。明日、明後日のリハにかけるしかないか、、、そういうわけでフルートの購入もまだ決定できず。
折角いただいたコメントなどにお返事書こうと思っても、設定が違うからか文字化けしちゃうし。困ったな〜。
何となく来週になるまでいろいろばたばた落ち着かなさそうです。

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2005.02.21

お疲れ、、、

昨日の疲れが残っているのだろうか?
少しノドが痛い。頭も痛い。でも仕事は休めない。
今日は気管切開だけだった。脳幹出血で倒れて3週間になる40才代の男性。屈強な身体をしている。
人工呼吸器を離脱できたが挿管も(一度入れ替えたが)長期に及ぶため、気管切開でカニューレを入れた方が呼吸も楽だし痰も吸引しやすく管理がしやすい。ということで本日おこなった。
30分の手術なのに終わったらなぜか凄く疲れた。。。

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2005.02.20

無念、、、

 入院中の患者さんが亡くなられた。病院の中では日常のことであるし、脳外科の患者さんが急変することは稀なことではない。でもショックで打ちのめされそうだ。
 その患者さんは、昨H16年の8月に脳幹梗塞で入院し、一時は挿管、人工呼吸で生死の境から復活し、気管切開もしていた。大脳の機能は正常なので脳幹梗塞で呼吸不全になっても意識はしっかりしていた。意識清明で人工呼吸器に繋がれたり、気管切開して声が出せずどんなにつらかっただろう。でも私が行くといつもニコニコしておられた。とても真似ができない、と頭が下がった。看護師さんにも人気があり、ベッドの脇にはICUやHCUから病棟に移動するたびに「○○さん、頑張って下さい!」と看護師からの励ましの紙が貼られていた。ものすごく頑張り屋で、気管切開状態や鼻から胃に通した管での経管栄養を行っているときも、ほとんど文句を言わず前を向いて頑張っておられた。そういう患者さんにはこちらも一生懸命治療をしてあげたくなる。今年に入り、管も取れて口からご飯が食べられるようになり、喜んでおられた。リハビリも進みあと1ヶ月ぐらいで独歩で自宅退院出来そうであった。7ヶ月近い入院闘病生活である。家族も喜んでおられた。なにより辛いときにも辛そうな顔を見せず、ニコニコして頑張っておられた患者さんが一番喜んでいた。
それが深夜に急変した。心肺停止状態で病棟から連絡を受け10分以内に駆けつけ、看護師が行っていたBLS(Basic Life Support)から挿管し人工呼吸器に繋いだ上、心臓マッサージを続けた。心臓を動かす薬も何回も使い(ACLSに則って)、ボスミン心腔内注射の上の心臓マッサージも続けた。

脳出血など脳の病気で脳の生命中枢が障害されたときはどんなに蘇生を頑張っても助けられないものは助けられない。だから20分も蘇生をしてダメなときは、残念ながら死亡を宣告する。その患者さんは、脳幹梗塞で呼吸不全ではあったが、あんなに元気で昨日(土曜)の夕方会話したときもニコニコしておられた。なんとしても心臓を動かしたい。「ダメか〜」と思いながら合計1時間20分、心臓マッサージを続けたがついに心拍は再開せず死亡宣告をしなければならなかった。心マは看護師3名と交代でおこなったのでその疲れと言うよりは、助けられなかった無念さで、家族に説明し宣告するときに立っていられなかった。患者さんのそばにしゃがみ込みながら話をした。「助けられなくてごめんなさい、、、」

人生には限りがあるし、動物はいつかは死ぬ運命である。病気に倒れ懸命に闘病しても助からない人はたくさんいる。この患者さんもそういう運命だった、のかもしれない。しょせん、人が人の運命を変えるほどの力は持ち合わせないのだろう。でも助けたかった。
「助けられなくてごめんなさい、、、」
と奥さんに言ったら「先生にはあんなにいつもいろいろしていただいて感謝してます、、、」と言われ涙が出そうになった。どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとう、、、○○さん、、、

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2005.02.19

ムンテラ

愚痴を書く。
「ムンテラ」というのは日本語である。元はMund Therapyというドイツ語なのであるが、直訳すると「口の治療」となる。患者さんや家族に病状や診断、治療、今後のことなどを説明することを医学界では長い間の悪習で「ムンテラする」と表現していた。今ではIC=informed consent、直訳すると「情報を与えられた同意」となる。「十分な説明に基づく了解、同意」などとも訳されるが、ムンテラのような語感の良さや簡潔さがない。
「あの患者さんからはICを取りました」という感じに使うことになる。
本日土曜日、ICU, HCUと3つの病棟を一人で回診し、アポイントのあった3家族および今日急に希望のあった2家族、計5家族に「ムンテラ」した。話しをする、それだけで2時間はかかる「仕事」である。
だから朝9時から働いていて現在午後2時半になったが、昼食はもちろん水も飲まず一分も休まず働いていた。倒れそうである。と思っていたら、急患がきた、と救急外来から呼び出しがかかった!
は〜、行って来ます!

・・・

 ただいま!今、夕方の4時すぎました。
あの後、脳梗塞の患者さん、幸い軽症で麻痺もほとんどない人を入院させました。点滴の指示を出していたら、また救急外来からコールあり、「意識のない人が来院した。心房細動もあるし脳梗塞らしい」と。
CTとり、MRIとって、Af(心房細動)による脳塞栓症で強い右麻痺と全失語状態。HCUに入院としました。あの長嶋茂雄さんと全く同じ「心源性塞栓症による脳梗塞」です。
 結局、朝に食パン一枚と牛乳コップ一杯以降、何も口にしておらずさっき缶ジュースを飲みました。医局に戻ったら、先日のバレンタインデーに患者さん(60代と70代の女性)とICUなどの看護師さんからもらったチョコレートがあるのに気付きました。普段、チョコなんてほとんど口にしませんがいただきました。美味しいです!ありがとうございます!雪山で遭難しかかってチョコを口にしてほっとしている気分です。トリュフタイプのチョコを一度に6つも食べてしまいました。鼻血出るかも、、、、(^^;;;;

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2005.02.18

内科的治療をする外科医

脳神経外科医というのは、外科医なのだから手術するのが仕事。今日も破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血の手術だった。
今日の症例は、「マイナーリーク」といって、強い発作性の大出血ではなく軽く漏れるような出血を数回起こした患者さん。外来に自分で歩いて受診し、頭痛というより「頭が急に冷たくなった」後に吐いたという症状を訴え、CT上もくも膜下出血はなし(うっすら動脈瘤らしき陰があった)。腰椎穿刺といって、腰の所から脊髄に針が刺さらないように脊椎腔から脳脊髄液を採取すると、赤みのある薄い血性髄液で診断がついた。
前交通動脈瘤という一番頻度の高いところだが、右脳と左脳の間に埋もれてしかも数回の小出血のため癒着が強く手術は難渋したが何とか成功した。

最近、冬にはなぜかやはり脳卒中が多い。
日本の脳神経外科医は、脳卒中を診る。欧米の脳神経外科医は診ないのか、というとそんなことはないが、脳血管障害を専門にしている脳外科医だけが主にくも膜下出血を診ている。脳梗塞は診ない。これは内科の病気である。イギリスなどでは、くも膜下出血ですら内科医がまず診る。家庭医、内科医、専門外科医という順番が守られていてそのあたりの手順が厳しいらしい。
軽いくも膜下出血の人が、歩いて来院し脳神経外科医の外来を受診するなんてことは、欧米ではまずあり得ない。内科医が診る。多分、今日手術した患者さんは普通の内科医が診ていれば診断できないだろう。診断どころかCTを撮ろうとも思わないかも知れない。撮っても多分予約検査で「来週の末」とかになりかねない。それまでに間に大きな出血を起こして具合が悪くなったり命を落とすかも知れない。

現にイギリスの内科に入院したくも膜下出血の患者さんが、どういう風になるかというと、HCUで点滴を受けながら元気なら食事も食べ、CT上のくも膜下出血の原因を調べる「脳血管撮影」が来週後半に予約され、それを待っている間に食事中再破裂し嘔吐し食事のお膳に顔を突っ伏して倒れる、そして重症のため手術も出来ずそのまま寝たきりか死亡、ということになるのも珍しくないようである。アメリカ人の脳神経外科医がイギリスに研修に行って驚いた、と書いていた本にこのような実態が書かれていた。欧米の脳神経外科医の仕事は、まず脳腫瘍、その次が脊椎、脊髄の外科である。その他、脳動静脈奇形、先天奇形の手術などをたくさん行っている医者が多い。脳卒中の手術もしているが、日本のように発症当日の超急性期に手術して再破裂を防止しくも膜下出血の治療を積極的に行っている脳外科医が全国津々浦々にいる国は珍しいと思う。
日本の脳外科医は人口比にすると世界一多いのである。人口2億5千万のアメリカに脳外科専門医は7000人くらい。半分の人口の日本に、脳外科専門医は5,6000人、非専門医を合わせると7,8000人いる。しかし、我々の仕事はいっこうに暇にならない。それは全国津々浦々に散らばって、中小規模の病院で2人、3人くらいの脳外科医が脳梗塞を中心とする内科的治療の脳卒中もほとんど診ているからである。現に、うちの病院でくも膜下出血の手術は年に20〜25位しかないが、脳卒中の患者さんは年に270〜300名入院している。その6割が脳梗塞で3割が脳内出血、そして約1割がくも膜下出血である。これでもうちの病院は神経内科医が二人いて脳梗塞も診ているので、我々は少し楽な方かも知れない。田舎の脳外科医は、毎日のように脳卒中の患者を入院させ内科的治療をしている。「外科医」なのにである。

「日本脳卒中学会」という会と「日本脳卒中の外科学会」という会がある。前者は内科医が中心になり、後者は当然脳外科医が中心になる。「日本脳卒中学会」は神経内科医が多く参加していて、「日本神経学会」の会員が多い。この「日本脳卒中学会」で「脳卒中認定医」制度を始めた。最初、脳神経外科医は脳卒中認定医の資格が取りにくい状態になった。脳神経外科医で脳卒中を扱っている医師は、多くが「日本脳卒中の外科学会」には入るが「日本脳卒中学会」には入らない。内科的治療や動物実験などの研究が発表の中心になる学会であるので、「こんな難しい手術をした」「こんな難しい症例をこのように手術で成功した」「新たな手術方法で治療を行った」などといった発表は「日本脳卒中学会」ではお目にかからないからだ。
ところが「日本脳卒中学会」の会員でなければ「脳卒中認定医」にはなれない。学会が「認定」するのだからその学会のメンバーでなければならないのだ。脳卒中認定制度が出来ると聞いてあわてて「日本脳卒中学会」に入会しても会員歴が短いと認定医にはなれない。すると、普段全国でたくさんの脳卒中患者を診断し治療し手術している脳外科医が脳卒中認定医をとれず、言葉は悪いがネズミの実験で脳卒中の研究をしている内科医が「脳卒中認定医」になってしまうという変なことになりうる。
そこで脳神経外科学会と脳卒中の外科学会が声を上げて、「日本脳神経外科学会の認定専門医で、日本脳卒中の外科学会の会員歴がある期間以上あれば、最近日本脳卒中学会に入会しても、脳卒中認定医の資格申請をすることができる」という風に変わった。これで私も「日本脳卒中学会認定脳卒中専門医」の資格も取れることになる。

日本の脳神経外科医は、毎日内科的治療をたくさんの患者に行っている医師なのである。
(そうそう、もちろん心身症や神経症による頭痛の患者さんも診ています)

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2005.02.15

今年一番の手術?

ICdorsal050214昨日書きかけたこと。
まだ2月なのに「今年一番」と言えるかどうかわからないので、Suregry of the year ?と疑問符をつけて置いた。
くも膜下出血の手術だった。原因は、脳動脈瘤の破裂。原因として最も多い。場所は右の内頸動脈の瘤。これも1,2番目に多い場所。普通のように思える。しかし、頸動脈が大動脈から分かれて頚を通って頭の底を通り(頭蓋底という)脳の中に入ってすぐの、動脈の前面内側向きのもので、IC(internal carotid=内頸動脈) dorsal aneurysmとかIC anterior surface aneurysmと呼ばれるものである。珍しくはないが多くもない。しかも右の視神経にくっついていると思われ、頭蓋底の骨を貫いてすぐの所にあるためクリップが掛けにくいことが術前から予測された。
そこで、まず麻酔がかかった後、右の頚部を切開して、総頚ー外頚・内頚動脈の分岐部を出しここに血管テープをかけていつでも頚の部分(頭より心臓側)で血流を止められるように準備。続いて頭の手術に移り、いつものようにまず視神経・内頸動脈の部分にアプローチするのではなく、中大脳動脈側から内頸動脈に近づいていくような方法をとって慎重にも慎重を重ねて、破裂部位に接近していった。破裂した脳動脈瘤はやはり予測通り視神経管、内頸動脈の遠位硬膜輪という部分に接するように存在した。専門用語だらけでわかりにくいと思う。
 平たく言うと、床下に埋めてある土管を修理するため床板を外して破損部を探したところ、壁の下を通ってくるところにあったため、破損部位の全貌がつかめないのである。こういう場合はどうするかというと、壁を外しコンクリートを壊して、土管の破損部位が全部見えるようにしなければ補修が出来ない。
土管ならば、土管そのものを交換すれば良いだろうが、脳の中の太い血管である内頸動脈である。破れた部分を補修するためには「脳動脈瘤クリップ」という洗濯ばさみのような金属で瘤を挟んでつぶすのである。そのためには全貌が見えないとできないのである。よって壁を壊すように、視神経管、内頸動脈硬膜輪を形成する頭蓋底の硬膜を切開し骨を削った。こういう部分の骨を削るには特殊なドリルを使う。歯医者さんで使うドリルを想像していただくと良い。先端が直径2mmのダイヤモンドドリルで、ゆっくりゆっくりていねいにていねいに骨を溶かすように削っていった。削った範囲は高々、6x5x4mm位である。でもこれで内頸動脈が頭蓋底を貫く部位が見え、破裂した部位の全貌が明らかになったのでクリップが掛けられた。チタン製でブレードが6mmの小さなクリップで破裂した瘤を挟みこれで再破裂は完全に防止された。

世界に名だたる「天才脳神経外科医」ならこんな手術は月に数回やっているだろう。私だって生まれて初めてではない。しかし、くも膜下出血超急性期、破裂した当日に頚部で動脈を確保しドリルで頭蓋底を削って、見る限りに置いてはほぼ完璧な手術ができた。術後の患者さんの状態も良く、麻痺は当然意識障害もなく、普通に会話が出来る。自分のような凡庸の脳神経外科医にとっては年に1回あるかないかという手術である。そこで「Surgery of the year」となったわけである。
去年は、多分AICA distal aneurysmの手術。これもくも膜下出血であるが、前下小脳動脈の末梢部という極めて珍しい場所。脳動脈瘤の教科書、手術書にも載っていないくらい珍しい。おそらく脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血では、2,3000例に1例あるかないか、という部位である。もちろん私にとっては20年目で初めての経験だった。これが去年のSurgery of the yearかな?

とにかく昨日の手術は、視神経と破れた動脈瘤の数mm脇で高速回転のドリルを使うという、大変緊張を強いられる作業の成功につきる。骨をドリルで削って硬膜をはがしていた1時間の間にものすごく疲れた。手は指先から右肩まで鉛のように重く今日も時々肩を回したり指を曲げ伸ばししてもまだ違和感が残る。その時の緊張は、たとえて言えば、普通の開頭手術なら普通道路を普通乗用車で走っているようなもの、顕微鏡手術ならば高速道路を高性能の普通乗用車で飛ばしているようなもの、昨日の手術はアウトバーンをF1クラスのスーパーカーで時速200〜300km/hで1時間飛ばしているようなものである。ちょっとミスると視神経を損傷して失明したり内頸動脈を損傷して大出血を引き起こしかねない場所で、「怖い、恐い」と思いながら勇気を出して前に進むしかなかった。誰も助けてくれない。自分だけが頼り。この病院には、こういう高度な手術を見たことがあり、方法は海外留学中にも大学在籍中にも勉強して知ってはいて、執刀したことはないが教授の手術で助手をした経験がある、というのは自分だけ。俺しかいない。誰も助けてくれない。この患者を助けられるのは自分だけ、と思って遂行した。
ちょっとカッコつけ過ぎか。本当にかっこいいのは、こういう高度で難易度の高い手術をこともなげにやってのけて「別に、普通のことですよ、、、」なんて言ってる方がずっとずっとかっこいいだろう。ま、僕は凡人だから。
いずれにしても肉体的にも精神的のもまだ疲れがたっぷり残っているが、手術がうまくいってよかった、という達成感と安堵感に包まれている。望むらくは、マッサージの上手な素敵な女性に優しく癒していただければ、、、(^^;;; な〜にいってんだか!である。。。(あ〜、でもマッサージ、、、仕方ない、自宅のマッサージチェアで我慢我慢、、、トホホ)
ただ、最後に付け加えると、1月27日の「株式会社A病院」という記事で書いたように、こんな緊張を強いられる難度の高い手術で頚部切開から全部終了まで含めると6時間くらい手術をしても、もっと脳表に近く易しくて2時間台で終わるような手術でも「脳動脈瘤」の「クリッピング手術」という病名、手術名なら値段は一緒なのである。すべて同じ。統一料金。画一化の極みである。別に難しかったからたくさん給料をよこせ!といっているのではない。素人には違いがわからないのだから、わかってもらうためには手術名、料金をもっと細かく分けた設定をするしかないのではないか、と思う。コンビニの弁当も老舗吉兆の松花堂弁当も値段が同じでいいのだろうか、、、

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2005.02.14

Surgery of the year !?

今日も緊急手術であった。
疲れているし腹も減っているのでさっさと家に帰ろう。
だから詳しいことは明日以降にする。

でも今日の手術は我ながら凄かった。

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2005.02.11

大丈夫かな?2/11

取り越し苦労ならいいのだが。
 米海軍第七艦隊のミサイルフリーゲート艦「バンデグリフト」が10日に私の住む街の港に入港した。14日(月)までいるらしい。乗組員の休養や物資の補給などが目的と言われている。
 本当にそうなのか?
 2月10日、北朝鮮は「六カ国協議」への無期限の不参加と核の保有を宣言した。日本はもちろんアジア各国が懸念する事ではあるが、北朝鮮の核完全放棄を目指していた米国に対して真っ向から喧嘩を売って来たようなものである。米国が、10日のこの北朝鮮の声明発表を事前に(一日、もしくは数日前)知っていたということは十分に考えられる。それで10日にフリーゲート艦を日本海側に回した、と考えられないだろうか。
しかも、その声明の前日、北朝鮮はサッカーで日本に負けている。某国の「金某」が短気を起こしミサイルを日本海の沿岸に向かって、または宮城県沖の太平洋に向かって撃て、と命令しかねない(冗談だろ!?と思いたいが)。北朝鮮は米国本土が射程にはいるテポドンを配備しているらしい。日本国内はどこでも射程内、しかも発射後着弾まで10分以内。7分くらいらしい。防ぐためにはミサイルの発射を確認後、それを迎撃するしかない。一番早いのはイージス艦を含む高度防衛レーダー網で見つけて、迎撃ミサイルを撃ってテポドンを落とす、ということになる。それを相手の発射確認後2分以内に行う必要があるらしい。もはや総理大臣や防衛庁長官に「迎撃していいか?」などと聞いている猶予は全くないので、現場の自衛隊の指揮官の権限で撃ち落とすミサイルを発射できるように進めているらしい。
しかし、ミサイル迎撃の経験など自衛隊にはない、はずである。そこで米国のミサイルフリーゲート艦が日本海側に来て、「アメリカがここにいるぞ」と示威行動をしているか、実際に迎撃ミサイル発射を考えての「寄港」なのではないかと考えを巡らせてしまう。
こういった事に関してはおそらく世界で最も進んだ情報網を持った米国である。私の住む街に来ているということは、北朝鮮がこの近くを射程に考えた準備をしている可能性がある、とまで考えているのかもしれない。物騒な話し、ではすまない。
 しかし、一市民には何もできない。今日も日直だった。いろんな患者さんを診た。急性心筋梗塞で房室ブロックもあり救急搬入された方は、すぐに循環器内科医によって心臓カテーテルによる検査と治療が行われたが、梗塞を起こして脆くなった心臓の筋肉が裂けて心タンポナーデとなり残念ながらお亡くなりになられた。世界で、極東で、何が起こっているのか、我々にはわからない。そんな事に関係なく、病気の方は病院に来る。そして我々医師は患者を診て治療に当たる。何も変わらない毎日が続く。

でも何か不穏な動き、、、。取り越し苦労、思い過ごし、考え過ぎ、ならいいのだが。

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2005.02.10

貴方は何科向き?

「医療系blog」では有名らしい(医療系blogなんて言葉自体も最近知ったばかりなので)『女医ななこのひとりごと』(http://www.doblog.com/weblog/myblog/11576)にお邪魔した。昨日2/9の記事に面白いものがあったので、私も遊んでみた。
「医らっしゃーーい!!」というサイト(http://www6.plala.or.jp/doct/home/home.html)で提供しているお遊び、「臓器占い」と「貴方は何科向き?」である。
「臓器占い」は生年月日を入れるだけだから、占ってどういう意味があるのかわからないが、私は「眼球」だった。「脳だったらどうしよう?」と思っていたのでホッとしたような。
「何科向き」はいくつかの質問にYes, Noで答えるもの。いくつの臨床科(基礎系もあるのかどうか知らない)が対象になっているのかわからないが、臨床医学はおおよそ16〜20の科に細分される。

私の結果は、、、、な、なんと!「脳神経外科」!
その内容(解説)は、
『貴方は、上昇志向が人一倍強く、上へ上へ昇ろうという強い気概を持った人です。
また、特定のモノに固執しないまでも、心の中に何かしら芯となるモノをもっている、
貴方はそんな人です。
そんな貴方には、脳神経外科がお勧めです。
脳神経外科は、その名の通り、頭の中身を手術する専門家です。
最近の医学の流れとして、脳血管疾患、
痴呆に対する注目が高まりつつある為、
研究分野としても将来有望なものがあります。
一昔前までは、「医学部の中でも頭のいい奴が脳外に行く」と
言われていました。
しかしながら、最近は「学問として難しすぎる」、
「仕事が辛すぎる」、「手術が細かすぎる」などの理由から、
医学生の間では、入局希望者はあまり多くありません。』

ま〜当たってるんだろう。脳の研究は「将来有望」とかいう下世話なレベルではなく、人が人を知るために今後益々進歩しかつ発展させなければならない。生命科学以外の分野、たとえばコンピュータサイエンスとか機械工学とかにも応用されていくものである。最後の3行については、頷きもするが首もかしげる。
「学問として難しすぎる」
脳外や神経といっただけで拒否反応を起こす医学生、看護学生、医師、看護師もいる。確かに不思議な世界を醸し出す「脳・神経系」。でも興味ある僕にとっては、医学生時代、脳の解剖など面白くて仕方なかったし(多分神経解剖の試験は満点だった)、神経系の名称なんてスラスラ言えた。その一方であまり興味のなかった整形外科などは骨や関節の名前も覚えるのが苦手であったし、糖尿病の病態生理などもあまり勉強する気になれず自分には「難しい」と感じた。養老氏の指摘された「バカの壁」そのものである。興味がある人には、神経系はとても面白い。まるでシャーロック・ホームズなどの探偵物を読むように、ある症状から原因部位を推理して鑑別診断(可能性のあるものをあげてその中から真犯人を探し出すような作業)をするのが面白い。
「仕事が辛すぎる」
これは、ある程度仕方がない。「人が人たる所以の臓器」である脳を扱うのだから、指導医、上級医からの指導も厳しいのは当然。脳卒中は夜中だろうが休日だろうが発生するし脳深部の大きな脳腫瘍などは摘出手術に10時間とかかかる。米国の脳外科レジデントなどはその生活を自ら嘲笑するように「一日平均睡眠時間4時間、一日一食」と言っていた。日本の方がもうちょっと楽なように思う。ただ、米国では数年前の調査で医学部卒業後なりたい専門医の第2位が脳神経外科であった。なぜなら仕事がかっこ良くて専門性が高く「収入」がいいからである。日本では「収入」を追求するなら脳外は目指さない方がいい。医師をしていて「辛くない」科があるのかどうか私にはわからない。ただ明らかに脳外科よりは楽そうな科があるのは事実だ。午前中から医局のソファで新聞を読んだり、夕方になるとテレビを見たり、5時過ぎるとさっさと帰ったり、明日からのように連休が入ると前後の外来をお休みにして4、5日休みをとっている医師もいるのだ。夜間や休日の「その科」の当番医になって(その科の医師が二人ならば月半分を分担した場合)、脳外科医である私は21年目ではあるが、当番日はほぼ毎晩のように電話やポケベルがなり、当番日の2回に一回は夜中や休日に救急外来に急患を診に来たり重症者をICUに診に来たりしている。一方、一年を通して、夜中や休日に呼ばれる事が何回あるのか、指を折って数えられるくらいの科もあるし、私より年下でも「その科」に医師が5人以上いて、元気のいいもっと若い医者がいるので、当番は月に3日くらいしかしていない先生もいる。ほぼ毎月の半分を当番している私とは大違い。ま、脳外科は確かに辛いけれど「すぎる」かどうかは、仕事の達成感、満足度にもよるだろう。
「手術が細かすぎる」
これについては???である。細かくなければ脳外ではないから。脳の血管を吻合する縫合糸は10-0といって赤ちゃんの髪の毛よりも細く、フッと息をかけると飛んでいって見えなくなるくらい繊細である。くも膜下出血の原因の脳動脈瘤は稀に巨大な物もあるが、通常は直径3,4 mmからせいぜい10mmくらいである。そこにブレードの長さが数mmから10数mmのクリップをかけるが、その周りにある100ミクロンとか200ミクロンの太さの血管を剥離(くっついているところをはがして挟み込まないようにすること)したりするものである。
こういった細かい事がしたいから、好きだから、興味があるから、脳外科医になろうと思った人たちが多い訳である。細かい事が苦手または嫌いならば最初から脳神経外科には向かない。何科とは言わないが、もう少しアバウトな科を目指せばいいと思う。

と言う訳で、「脳神経外科」に否定的な意見の反論になったかどうか、「遠吠え」にすぎないかもしれない。今、医学部の6年生だったら「脳神経外科」を目指すか?と聞かれるとちょっとためらうが、選択枝の中に入る事は間違いないだろう。

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2005.02.09

サッカーの試合を見て

やはり興奮した。
結果には一喜一憂しないようにしようと思っていたが、やはり日本人なんだ。日本が勝って嬉しい。
政治とスポーツは切り離さなければならないが、でも、どうしても北朝鮮への拉致被害者のことが頭をよぎる。その時に思い出した。
昨年の11月、とあるコンサートに行くため湘南ライナーで横浜から新宿に向かっていたら、途中の駅(川崎だったと思う)で横田めぐみさんのご両親が私のすぐ近くに乗ってこられた。気付かない振りをしてちらっとみると、空いた席に奥様を座らせてご主人はあのいつもの優しそうなお顔で横に立っておられた。奥様の方は何かの会に招かれているのか少々おしゃれをされていたが、お疲れの表情にお見受けした。
「頑張ってください」
心の中でエールを送った。一体、どんな精神力でこんなに長い間、見えない相手と闘っておられるのだろう。すべては、娘愛しさ、につきるのだろう。相手がたとえ米国でもロシアでも北朝鮮でも関係ないと思う。自分がふだんの生活や仕事に不満を言っていることが恥ずかしいと思った。あの方達から見れば、何不自由なく自由な時間を謳歌し、やりがいのある仕事について自分の力を発揮できるのだ。
サッカーの試合と無関係と思われるかもしれない。今日の試合90分強を頑張り抜いて勝った選手には賛辞を送るのは当然だ。おめでとう!
彼らは国の期待、国民の期待を肩にプレッシャーの中で闘い抜いた。それは北朝鮮の選手も同じ。言いたいことは、下手をすると戦争状態にすら入りかねない危険を孕む現在の両国選手(過去に南米で予選の試合をきっかけに戦争が始まった国があった)が、多少のラフプレーはあってもAssociation of Footballという競技の公式ルールの中で、それぞれの持ち味、力を発揮したことを「幸せ」と感じてほしい、ということである。青少年、少女時代から自分の意に反して異国に連れ去られ、生死も不明な人がたくさんいることを思えば、そしてそれら拉致被害者の家族の苦渋の数十年を思えば、健康でスポーツが出来て、しかも国の代表でみんなの声援を受けて試合ができるということはなんと素晴らしいのだろう。
北朝鮮の選手は、試合終了とともに倒れ込んだり座り込んだり泣いたりしていた。それは悔しいし悲しいだろう。でも自分がやりたいと思うことを健康な身体でできる、ということに感謝して次を頑張ってほしい。もちろん日本選手達も。
Forza Japan !, Forza North Korea !

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2005.02.08

医師と個人情報保護法(2/8)

(2日続けて個人情報保護法のお話し)
 個人情報保護法は本年4月1日から実施される。タイミングの良いことに昨日病院内で勉強会が開催された。
 個人の情報を護ることは、プライバシーの保護として自由主義の国においては昔から当然のようにあるものであるはず。今回実施される法律は、昨今話題になった、カード会社や通販会社やどこかの役所などのファイルやらパソコンやらが盗まれて顧客や名簿の個人情報が漏洩した、または漏洩した可能性があり、それによって被害を受けている可能性もあるような事件が起こっていることに対して、個人の情報を扱っている企業や役所などの事業所に対し、「ちゃんとしなさい!」「ちゃんとしてなかったらお仕置きよ!」という法律が実施されます、ということである。
顧客名簿などの元になるデータの取得、その管理、使用に関して制限を設けまたは事業所内でルールを作ってそれを運用し責任の所在をきちんとして、何かあったら迅速に対応して必要な時は責任をとりなさい、ということである。
 では、これが医療機関、医師にとってはどのように運用されるのであろうか?
当然のごとく、個人情報は診療録をはじめとする患者さんのデータである。外来、入院にかかわらず、生年月日から住所はもちろんのこと、妊娠歴や病歴などたくさんのデータがある。しかも大量である。現在はまだ紙のカルテを使用している病院が多いが、近いうちに電子カルテが主流になるであろう。要するに、患者さんのデータはパソコンから取り込まれサーバに蓄積され、各部署で名前、ID No,とともに簡単に閲覧することが可能な訳である。これらのデータの取得、管理、メンテナンス、そして使用に関しては病院は一般事業所と同様に制約、責任を負うことになりそれを明確に形にしなければならない。
更に、いわゆる「カルテの開示」と言う言葉で表されるように、患者さんまたは代理人の求めに応じて患者さんの診療録を患者さんに包み隠さず全部見せなければならない。これまでも求めがあればそれを拒んでは行けなかったのだが、刑事事件になるか民事訴訟でも起こされない限り法制上開示の義務はなかった。今後は、開示の求めに応じないと行政処分を受けることになる。
 患者さんのデータ、すなわち診療記録や放射線フィルムなどはどのような目的で使われるのであろうか。ある症状を訴えたり救急で搬入された患者さんの、性別、年齢、血圧、脈拍、体温などの基本的バイタルサインから「主訴(患者さん自身の訴えではなくても、たとえば「交通外傷による頭部打撲後の意識障害」のようにも書かれる)、そして病院受診歴、IDカードや免許証、保険証のチェック(本人であるかどうかは大事、時に人の保険証で受診して薬を貰おうとする不逞の輩もいる)などから始まって、たくさんの情報を記録し、診察して記録し、検査をして記録し、結果を考察して記録し、診断(可能性の高いいくつかの診断の列挙も含む)して記録し、治療法を考察して記録し、治療法を選択して記録し、治療の結果を診察判断して記録し、今後の計画や予定を考えて記録し、外来なら次回受診を予約して記録し、、、と言う具合に「記録」「記録」の連続である。これら患者さんの診断や治療にかかわるすべての記録が個人情報である。
昔は、カルテやフィルムは病院のもので患者の私有物ではない、という概念であり、どこか他の病院に紹介する時にも、フィルムをコピーして患者にわたすなり、現物を先方の病院に「貸して」使い終わったら返してもらう、という考え方であった。今でもそう変わらないが、大きな違いは、カルテもフィルムも物自体は病院の物かもしれないが、「中身」は患者さんの物、患者さんそのものなのである。だから診断や治療のため(すなわち患者さんのため)といっても、どこかよその病院、他の医師に相談したり紹介したりする場合には、患者さんからその個人情報を人に教える(外に出す)ということの了解を得なければならないということである。自分のために医師がしてくれることに文句をつける人はいないだろうか?ほとんどいないであろう。でも「先生、B病院に紹介するとは聞いたが、病歴や診断のための写真も送るとは聞いていなかった!個人情報を患者の了解を得ずに勝手に外部に流しおろそかに扱った!」と訴える人がいたら病院側、医師側は負けるのである。世知辛ない世の中になったと嘆いては行けない。常に「性善説」にたてるのならこんな法律はいらない。人間は間違うもの。ミスをする。更に悪意を持ってすることもある。「性悪説」にたてば、個人情報はきちんと保護し管理されなければならず、それを怠った場合にその担当者や事業所は「あんたアカンヨ!」と非難され罰則を受けることを認めざるを得ない。
 このようにある特定の患者さんの診断や治療を目的に、その個人情報を外部に出すことは他にもないのだろうか?医学は科学の一分野であり、日々目覚ましく進歩している。それは基礎医学、臨床医学、社会医学の各分野で研究者(医師や看護師、薬剤師、技師、技術者も含む)が様々な研究をしているからである。そのために、学会があり、学術雑誌があり、論文がある。それらの学術発表には、匿名ではあってもある患者さんのデータが載せられることになる。「何月何日、突然の頭痛で発症し、C病院を受診」というような記載の仕方もあるし、「手術によって摘出された病変の病理診断はXXであった」というような記載もある。または何十例、何百例というマスの患者群の中の一例としてのデータであるかもしれない。そう簡単に個人の特定はできないであろうが、発表した医師、所属の病院、年月日、性別、年、病歴、病名などをたどって行けば、その気になれば個人を特定できないことはないであろう。だから「学会発表」という学術使用目的であっても、患者さんにその目的と方法、時期、場所などを説明し了解を得なければ行けなくなる。
 大変である。ただ「黙示的同意」というのがある。これは、あらかじめ入院時に渡すパンフレットの中に書き込んでおいて前もって患者の同意を得る、得られなければ医療上の契約が成立せず、入院や治療は行わないことになる。たとえば、「病院内での検討会」であるとか「関連病院(県内の大学病院など)への診断治療目的の紹介」などについて、いちいち説明するのではなく、前もって利用目的や方針をオープンにして(パンフレット、院内掲示、HPへの掲載など)黙示的同意を得ておいて、説明を求められた場合個別に対応する方法である。情報の学術利用についても、「医学・看護学などの学術研究に利用するため」などと記載してオープンにしておき「尚、上記利用について患者さんはいつでも説明を求めることが出来ます。ご意思に反する場合はお申し出があれば、その情報を利用しません。その場合でも従来と変わらず適切な医療が受けられます」というような「但し書き文」が必要となるであろう。
 更に、疾患が悪性腫瘍で患者さんにすべてを知らせることが治療上有益ではないと考えられる場合や、患者さんが意識不明であったり植物状態であったり瀕死状態であったり、酒や薬で前後不覚であったり、身元が分からなかったり、家族がいなかったり、友人もいなかったり、様々な状況が発生しうる。患者さんの情報は患者さん個人の物であり、プライバシーを保護する観点から患者以外の人に病状や診断名などを話すことは注意深く行う必要がある。正しくは、患者以外に話しをすることは患者さんの同意書を得ていなければならない。法定代理人のような法律上認められた代わりの人でなければならない。「家族」といっても定義が難しい。一般的には、妻であり、子であり、親であり、同居している血縁関係なのであろう。しかし「家族」が患者の味方とは限らない。「親類」や「友人」が患者のために動いているとは限らない。それぞれのケースで臨機応変で適切な対応が求められる。
 当然のことと言われれば当然かもしれないが、すでに日常診療業務+時間外労働+様々なプレッシャーで疲弊している医療者に取って、さらに気持ちの重くなるような法律の実施なのである。しかし、これは世の中が正しい方向に向くための一つのステップと考えて明るく楽観的に捉えて対処して行きたいと考えているこの頃である(フ〜〜ッ)(^^;;;

p.s. 診療記録開示のために、記録は読みやすい文字で、言語は日本語を推奨しているらしい。医者は悪筆が多いし、英語、ドイツ語、日本語混じり文で書くことが多い。どうなるのかな〜?(電子カルテになったら、全部ワープロだし関係ないか、、、しかし医学のartの部分、芸または芸術の部分がごっそりそぎ落とされるように感じるな〜)

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2005.02.07

個人情報保護法と医療(2/7)

 人はそのプライバシーを護られ、プライバシーの侵害があった際には訴追することができる。
医療においては、患者さんという一個人の情報がたくさん必要になる。的確で安全で迅速な診断や治療のために必要な情報以外に、有事の際に家族や知人に連絡をとる必要があったり、患者さんに支払い能力が欠如していた場合への対応などにも必要になりうる情報として、住所、電話番号、家族や知人の携帯の電話番号などを聞いて記録する事がある。また、診断や治療に必要になりうる情報として、出生地や育った土地、婚姻の有無、女性なら妊娠歴の有無も聞くし、普段の食事の内容、これまでに受けた、または受けている治療の内容などもネ掘りハ掘り聞く事が多い。
 診療録というのは患者さんの個人情報の塊である。法律が実施されるから、ではなく、これまでだって注意深く取り扱うのが当然のものである。患者さんの求めに応じて診療録を開示する義務が医療者側にはこれまでもあったが、法律で罰則規定が設けられて今年4月から実施される事になるのが「個人情報保護法案」である。本日付けの某全国紙のニュースとしても取り上げられていた。
その一部を取り上げると、
『患者が診療記録を手にすることができれば、医師の方針に対しても明確な説明を求めることができるようになることから、国の大きな課題となっている医療費の抑制にも寄与しそうだ。』
『レセプトや診療記録の開示は国民全体の医療への関心を高め、結果として過剰な医療や無駄な投薬などを減らすことにもつながる。』
『患者がカルテやレセプトを入手することで、診察内容や診療費用をチェックできるようになるため、医療の透明化や適正化が大幅に進み、医療費の抑制にもつながりそうだ。』

なんだ?!と思った。
「医療費の抑制」と言う言葉が繰り返し出てくる。まるで戦時下の洗脳目的のシュプレヒコールのようではないか。どなたが書かれたのか知らないが、「医療費が増大しているのは、無駄な検査や無駄な投薬が多いからだ。それは、医者が患者に内緒で隠れてこそこそ悪い事をして金儲けしようとしているからであって、それを白日の下にさらせば悪い事できないから医療費も軽減できるでしょう!」と言っているように解釈できませんか?
確かに世の中には悪徳医師もいるであろう。「儲ける」ために検査や投薬をする人もいるかもしれない。しかし、医療費が増大している一番の原因は、医療が進歩しているからなのである。
20年前に医療用MRIはなかった。30年前にCTはなかった。40年前に手術用顕微鏡はなかった。昔は診断がつかなかった病気が瞬時にわかる装置が開発され、それが全国に普及し、それに伴って治療法も選択の幅が増え、治療成績も向上し、よって国民の健康の維持と増進に寄与するところ大な訳である。
この進歩を無料で成し遂げられる訳がない。MRI装置は標準的なもの一台で2億円ほどするのである。脳神経外科用の手術顕微鏡は安いもので1500万円くらい、ナビゲーション装置や内視鏡装置などを内蔵するような最新型のものは4,5000万円するのである。しかもそれらの器械はだいたいが5年で時代遅れ、でも買い換え更新するのに10年はかかるものである。2億円の器械を10年、ということはランニングコストを無視しても年に2000万円かかる。MRIの検査一回で15000円医療費を請求できるとして、元を取るためだけで年に1300回以上の検査が必要である。週5日で計算して実働一年260日。すると一日6回は検査をしないと元もとれない。これぐらいの数は午前中だけで十分こなせるが、これはMRI装置の調整や点検のための休みとかランニングコストを無視しての計算である。結局、高い最新鋭の機器を購入してフル稼働させても、10年かけて元をとるのが精一杯くらいで儲けにならないのである。しかも中医協ではMRIなどの検査手技料をどんどん値下げする方向にあるようだ。
世界的にもトップレベルの高度で先進的なそして安全で確実な医療を実施しているから、日本人は世界でも最たる長寿の民族であり、衛生状態が良く、あらゆるレベルで世界に進出できる国家、国民になっているとは思わないのだろうか?健康であるから何でもできるんですよ。「医療費の増大が国の大きな課題」、なるほど、では医療費を削減して医療のレベルが下がったり治療が不十分になって、国民の健康が損なわれる事もありうるけど、国としてはそれでいいんですかね?

先日の記事でも書いたように、「心配だから」「不安だ」「詳しく調べてほしい」という「患者様」の求めには医療者は応じない訳にはいかない。そしてそれが高額な医療費の一端となっている。こういった側面を無視して、「医者が悪いことしているから医療費が高騰しているんだ」的な論調は、定評(?)ある全国紙の記事としてどうなのであろうか?まあ、医者を叩き一般市民側の不満の気持ちをあおる(不況なのに医療費がかさむ!医者が悪い!)ような記事さえ書いていれば多くの読者が喜ぶから、という新聞の購読者を増やしたいという「物売り」の論理から出ているものだろうから寛容な心で見逃してあげたい。良識ある、見識の高い「新聞人」、「記者」というプライドや勉強に裏付けされた知性の感じられない新聞記事が多いのは仕方のない事なのか、、、

記事には更に
『「患者の権利オンブズマン」全国連絡委員会代表の○○弁護士は「カルテなどの開示義務によって、医師と患者による診療情報の共有が当たり前になれば、医療の透明性は格段に向上する。情報開示に消極的な医療機関は評価されなくなるため、不適切な医療も減り、患者の病気への認識も高まるだろう」と話している。』
と書かれていた。この辺りはもっともな事ではある。しかし「医療機関」とひとくくりにしてもいいのだろうか?診療科によって特性があるのだ。脳神経外科などは、「人が人たる所以の臓器」である脳を扱うため、何十年も前からinformed consentという考え方は当然であった。科によっては、伝統があるばかりにそれを踏襲しなかなか近代化できな面を持っていたり、性に関係する疾患などのように個人情報の扱いをより慎重にしなくてはならない科もある。
不適切な医療が減るためには、医療を受ける患者側の心が大きく変化する事も必要である。そのためにも現行の護送船団方式の健康保険制度の見直しが是非必要なのである。
 個人情報の話しから離れてしまったが、個人情報の件は難しい事を含んでいるのでもう一度あらためて記事を書きたい。
最後に、先に引用した新聞記事の中から再び、
『医療費は毎年増加し続けている。平成十六年度は予算ベースで二十六兆円で、平成三十七年度には倍増以上の五十九兆円が見込まれている。レセプトや診療記録の開示は国民全体の医療への関心を高め、結果として過剰な医療や無駄な投薬などを減らすことにもつながる。』
情報開示(これは医療機関には大きな関心事であるが、今回の法律実施による開示を拒否したりすると罰則があるのだ)をすれば、国民の医療への関心が高まるのだろうか?医療への関心が高まると過剰な医療が減るのだろうか?頭痛で不安な患者さんに最新のMRI検査を行う事は、「無駄な」医療行為なのだろうか?私は無駄な医療を行っている悪い医者なのだろうか?
上記の記事を書いた記者の方にお聞きしたいものである。あなたが強い頭痛に悩まされて病院で診察の結果、「ストレス性の頭痛」と診断された際に、「もっと詳しい断層検査とか必要ないのか?」と医者に問いただすと、「医療費の抑制のためストレス頭痛と診断した方に「脳腫瘍の疑い」などと病名をつけてMRIを行う事は禁止されています」と言われたら「はい、わかりました」と言えるのだろうか?

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2005.02.06

頭が痛い、、、

といっても頭痛に関する「ウンチク」ではなく、自分の頭が痛いのである。
こんな時は家でゆっくり休んでいるのに限るが、今日は日直なので日曜日にもかかわらず朝8:30から働いている。先ほど、ICU始め脳神経外科の患者がいる病棟はすべて回診し終わった。午前中はずっと救急外来に詰めていたので回診もできなかった。
日直中にblogを書いているなんて!と目くじらをたててはいけない。日直や宿直は「勤務」ではあるが、有事に備えて夜中や休日に病院内に控えている医師、なのである。だから、たとえば、明らかに骨折の患者さんがくれば整形外科医が呼び出されるし、脳卒中の患者が来れば脳外科医が呼び出される。日直は、休日の昼間の時間帯に、病院内で不測の緊急事態があった時にすぐ駆けつける医師であり、結局はそれも主治医が呼ばれるのである。
だから、急患が来なければ院内でテレビを見ていても雑誌を読んでいても寝っころがっいてもいいのである。なぜなら、今日日曜の昼間に8:30〜17:00に働いても明日の月曜から普通に仕事なのである。宿直医が夜中にどんなに働いても翌日は朝から仕事なのである。そういう「勤務」なのである。だからなるべくなら、寝っ転がったりしていたいが、急患が来ないという事はないのでほとんどできない。
たとえネット・サーフィンしていようがblogの記事を書いていようが誰にも後ろ指を指される事ではない。

多分、体調が落ちていて軽い感冒にかかっているかもしれない。薬を飲みながら日直をしている。更にこの勤務の直後、先日手術してもうすぐ退院する新生児の両親への説明がある。CT上、脳室は縮み脳実質の形がはっきりして来た。頭囲も出産直後43cmあったのが今は37.5cmと6cm近く縮小していて順調である。願わくば知能障害などなくすくすく育ってほしい、、、

あ〜、頭が痛い、薬がまだ効いてこない、、、これから救急外来にいかなくては。

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2005.02.04

脳ドックなどなど

今日、軽い脳梗塞で入院中の方に質問された。
「妻も脳卒中を心配しているが、どんな検査を受けたらわかるのか?」
何か検査で将来脳卒中になる危険性があるかどうかを調べるとしたら、脳MRI、頚部頸動脈のエコー、心電図、血液検査などがまずあげられる。これらは、通常、「脳ドック」の看板を掲げているところではほとんどの施設でやっている。だから、脳の病気、脳卒中などが心配な方は「脳ドック」を受けると良いと思う。
 ところで、脳ドックなどはいわゆる健康診断であり、本来健康な方が健康である事の確認、万が一に身体に自覚症状のない異常がないかどうかをチェックするものであり、「病気」ではないのだから「健康保険」が効かない。すなわち「全額自己負担」である。
 脳のMRIが正確にいくらかかるのか知らないのだが(自分でお金を取っている訳ではないので)、フィルム代を含めて保険本人の3割負担の人が5000円くらい払うのだから、10割負担なら15000〜20000円くらいかかるはずである。「脳ドック」と一口に言っても、行う施設、行う検査、入院の有無、食事、その他の付随するもので値段には相当な幅がある。私が知る限り、安い脳ドックは半日コースで35000円くらい、高いのになると1泊2日で16万円くらいとなる。何が違うのかと言うと、行う検査の数、項目が違うのである。安いものは脳MRIと診察だけのものもある。
 会社や役所などでドックに対する援助金が出る事がよくある。そのため例えば5万円の脳ドックでも、自己負担は2万円くらいになったりする。いずれにせよ、数万円から高いと10万円以上払わなくてはならない。日本人は、医療は安いもの、健康は安く買えると思っているのか、10万円もかかると聞くと「うわ〜、高いな。じゃ、いいです、、、」となる事が少なくない。確かに「安い」とは言えない。しかし、自分の健康を買うためだと思えばそんなに高いのだろうか?

 ところで、昨日の「頭痛、、、」の中にも書いたように、ストレス頭痛と思われる人にも念のためにMRI検査を行う事はよくあるのが現実。でも脳の断層写真は、「頭痛」では保険が通らない。その場合、医師は「脳腫瘍の疑い」「脳血管障害(=脳卒中)の疑い」などのように「疑い」病名を付ける。すると保険組合支払い基金の方では、「脳卒中を疑って検査したのだから保険での支払いを認めましょう」ということになって、前記のように約5000円で脳MRIを受ける事が出来るのである。
 すると、最初に質問のあった患者さんの奥さんも、「頭が痛いので脳卒中が心配です」といって脳神経外科外来を受診し「脳のMRIを撮ってほしい」と言うと、我々としては断る理由はない。「脳卒中の疑い」という病名を付けて検査を予約する。結果は、たいていの場合、「良かったですね。これだけ詳しく検査してみましたが、断層でも脳MRAという血管を写す検査でも何も異常はありませんでしたよ」ということになり、患者さんは「よかったです。さようなら〜」となる。
 
 ここに潜む問題は、約15000円の脳MRI検査に対して保険本人3割負担で、「頭痛のみ」の患者さんは5000円払っただけ。残りの10000円は、サラリーマンなら給料などから自動的に天引きされている「健康保険料」をみんなで積み立てて作っている保険組合から病院に支払われるのである。
 つまり、皆さんのお給料の中から取られているお金で、「心配だから」「念のため」「旦那がなったから自分も心配で」という人たちが安心するための医療費を7割肩代わりしてあげている訳である。護送船団方式の極みである。別に脳の検査のようなものでなくても、軽い風邪でもすぐ医者にかかり、風邪薬に抗生物質、解熱鎮痛剤にうがい薬までたっぷり貰って行く患者さんがいる。たくさん薬を貰わないと気が済まないらしい。その人の薬代の7割は、病院にも行かず働いている皆さんの給料から自動的にひかれて行く健康保険料から出ているのである。

 これを「おかしい!」と思いながら「本当におかしいぞ!こらっ!」と声を上げる人は少ない。我々医師が、万一、そういう患者さんに、「あなたの医療費の7割はみんなが払っているんだから、「心配だ」だけで脳のMRI検査なんかできません。あなたの頭痛はストレス性です。」などと『正論』を述べようものなら、「あそこの医者は不親切だ!」「あの医者は嫌いだ!」ということになり、あげくの果ては「患者様の声」などという目安箱の中に、「脳外科の○○医師は患者の事をバカにしている」とか「不親切で不快である。二度と来るものか!」などという投書が投げ込まれるのが落ちなのである。
 わたしなどは「言いたい」ほうだから、言わなくてもいい事をつい患者さんにも言ってしまう方である。それでもグッと耐えながら、「あ〜そうですか、じゃあ、MRIの予約をしましょうね。まず心配ないので緊急性はありませんから普通に予約しますね」などと少々嫌みっぽい発言をしながらMRIを「撮ってあげる」感じになる。患者側としては、しかし、MRIを「撮っていただく」などと考えている人は少なく、「医者がいうから脳のMRI検査を受けてやる。金は払ってるんだ!」みたいな感じの人が少なくない。

は〜。いつの間にか、「愚痴」になってきたのでそろそろやめよう。健康保険にかかわる問題点は、まだまだたくさんあるのである。
とにかく、脳の病気が心配な健康な方(自覚症状のない人)は『脳ドック』を受診しましょう!

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2005.02.03

頭痛のことなど

 今日は、午前中の外来はお昼前に終わり、午後は脳室腹腔短絡術の1件だけだったので、余力がある。早く帰れそうで嬉しい。
 外来が混まなかった理由は、予約患者さん以外は軽症の頭部打撲(雪で狭くなった道ですれ違う車同士がぶつかった)が一人来られただけ。通常、新患で必ず数名は来る「主訴=頭痛のみ」の患者さんが0だったことが大きい。拍子抜けするくらいである。
何故「0」であったかというと、悪天候。大雪で頭痛くらいでは病院に来る気にならないのだろう。逆に言えば、大雪をおしてでも病院に来て診てもらおうと思うほどの激しい頭痛とか脳卒中の人はいなかったという事になる。
 では、普段、必ず数名以上はいる頭痛の新患とはどういう人なのか?
「頭が痛いので脳卒中が心配」「1ヶ月以上頭痛が続いていて、脳の中に何か出来てるのではないか、心配なので調べてほしい」こんな感じの人がほとんど。
「頭痛以外に何か症状はありますか?」と問うても、何もない事が多い。
こういう人たちは、ほとんどが、緊張型頭痛、筋収縮性頭痛、ストレス頭痛と呼称される頭痛である。
何か心配事があったり、寝不足だったり、疲れていたり、肩が凄く凝っていたり、そのすべてがあったり、というように、肩、頚から頭にかけて、または目の奥やこめかみの筋肉が凝っているために発生する頭痛で、いわば頭の骨の外に原因がある。これがほとんど。というか脳外科医21年やってきて、今まで外来に歩いて来られた、頭痛以外に症状のない新患で、CTやMRIまで調べても脳の病気が見つかる事はまず経験しない。たまたま偶然に、頭痛とは関係なく脳の血管にまだ破れていない瘤(未破裂脳動脈瘤)が見つかったり、直径1cm以下の小さな髄膜腫(脳を包んでいる一番外側の硬膜に付着して出来る腫瘍)が見つかる事もあるが、確率的には1%以下。頭痛だけの患者さんが100人いても偶然腫瘍などが見つかる人は1名にも満たない。
「脳は痛みを感じない組織なんです」「だからあなたの頭痛は脳の病気ではなく、骨の外の筋肉などに原因があるのです」と説明しても「?」という顔をされる事が多い。
正確には、脳細胞や脳の中には「痛覚受容体」という、痛み刺激に反応する細胞がない。だから痛みを感じないのである。痛覚受容体があるのは、脳の表面に走る太い血管や、脳を包んでいる硬膜の一部にあるだけなので、パーキンソン病やアルツハイマー病のように脳細胞が変化するような病気ではその症状として頭痛は起きない。同じように脳梗塞でも頭痛は起きない。
「3日前から頭が痛い、今までは1日くらいでおさまっていた、今回はおさまらないので脳梗塞になるのかと思って心配だ」といって病院に来られる。
脳梗塞で頭痛が起こるとすれば、かなり広範囲に脳梗塞が起こって脳がむくんで脳表の血管や脳を包む硬膜が押されたり圧迫されたり引っ張られたりしてそこにある痛覚受容体が刺激される場合か、脳梗塞のため細胞が死んでしまったところに血管が再開通して血が流れそのため出血してしまって脳を圧迫して起こる位であろう。だいたいそういう場合は、手足の麻痺だとか言語障害だとか、意識障害だとか明らかに脳が異常をおこしている症状が伴う事が多い。
頭痛だけで発病する病気で大事なのは「くも膜下出血」。これは脳の中に出血するのではなく、脳の外側のスペース、くも膜下腔という隙間に血が漏れ溢れ出て、脳表の血管や膜を刺激したり大量の出血の場合は脳を圧迫して歪むために頭痛が起こるのである。「突然後ろから誰かに蹴られたと思った」とか「雷に打たれた」というほど突然で激しい痛みである事がほとんどなので、救急車で緊急来院される方が多い。まれに、「風邪でもひいたかな?」と言うくらい軽い頭痛ですむくも膜下出血もあるから要注意ではある。これは出血が少なく、チョロっと漏れたくらいで止まったためにそのくらいで済んでいるのである。開業医を受診して「風邪ですよ」と言われて風邪薬をもらって帰されてしまう事もある(実際、そのような患者さんをこれまでに何例も診ている)。しかし、「いつ頭が痛くなったのか?」「どんな感じで痛くなったのか?」を慎重にしつこく問いただすと、たいていの場合、やはり「突然、たたかれたように痛かった」と言う風に述べる患者さんが多い。
「先生、頭が痛いんです」「は〜。じゃ、カゼグスリ出しておきますね」「ありがとうございます」
こんな感じで、症状ー>治療、という図式で臨床をするから、起きうる間違いなのである。
症状ー>その様式による分類ー>その原因(病態生理)ー>治療、と言う風に考えられる医者ならば、間違える事は少ないはずである。
脳神経外科医が頭痛の診断に長けているとすれば、頭痛の原因となり得る病気を経験し知っている事と、頭痛の発症様式、原因といったことを考えながら診察ができる、ということであろうか?
 だから「頭が痛い」と言う人が脳外科を受診するのは、間違い、とはいえないのである。今の日本の医療システムの中では、脳外科にかかっておいた方が安全なのである。きっと患者さんはそれを知っていて、脳外科の外来に来るのであろう。だから大雪だと来ないのであろう、、、

 これが欧米の医療システムでは、「頭痛」が心配で脳神経外科の外来に来る患者さんはいない、というか、それでは診察を受ける事が出来ない。Family doctorに相談して、診察の結果、ストレス性頭痛などではなく何らかの脳の病気が疑われたため紹介を受けたり、MRI センターでMRIを受けた結果、脳腫瘍が見つかった場合には、脳神経外科に診察を受ける事が出来る。米国の脳外科医が外来で診る患者さんは、「脳の手術が必要かどうかコンサルトされる新患」か「既に脳の手術を受けた患者」かである。
「脳の病気が心配で診てもらいたい」人は、family doctorにかかった後、何らか理由で紹介状を書いてもらってから受診するというシステムになっている(それが専門性というものである)。
日本では、しかし、脳の病気のスペシャリストである脳外科医も、一総合医として「心配だ」という患者さんも診るのである。その結果、鬱病であったり心身症であったり単なる寝不足であったりで「頭が痛い」とか「重い」という患者さんも診察し治療しているのである。どちらが良いのであろうか?

 スクリーニングとして、疑わしいものは検査して、ほとんどがスカであるがたまに病気が見つかる。または軽い症状のくも膜下出血などの見落としが少ない、これは日本のシステムにはあるであろう。しかし、無駄な医療費(ストレス頭痛の人にMRI検査をする)がかかっている。これを互助会よろしく国民健康保険などでみんなが持ち合っている(が既に保険組合は破産しかかっている)。 
 米国のシステムでは見落としが多いのか?あり得る事ではある。しかし、総合内科医、family doctorがしっかりした実力を持っていれば、日本でぼんくらな脳外科医が診るよりいいかもしれない。
よって、日本でもしっかりした実力のある総合内科医やfamily doctorを育て上げて、「頭が痛いので心配だ」と言う人はそこにまずかかり、実際に脳に異常が見つかったり、または強く疑われた人だけ脳神経外科に紹介されるシステムになれば、無駄な医療費が減少するし、緊急手術や夜中のコールなどで疲れている脳外科医が(言っちゃ悪いが)どうでもいいような頭痛の患者(だって大雪が降ったら一人も来ないくらいなのだから)がぐちぐち訴えるのにつき合わなくても良くなるのではなかろうか?
 でも日本のシステムでは、「頭痛」の患者さんは脳神経外科に来るのである。
 心の中では「助けてくれ〜、頭が痛いよ」と悲鳴を上げているのはこちらのほうである、、、

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2005.02.02

『雪は降る、、、』

『あなたは来ない、、、』
シャンソンでも歌いたくなるように、シンシンと雪が降る。
多分、暖かい部屋の中から眺めているだけならとても美しい光景であるが、この中で生活し移動しなければならないのだから「災害」である。
新潟中越地震の被害の大きかった小千谷地区などはもともと豪雪地帯のため、今回の寒波で1mを超す積雪があり地震で壊れかけていた家屋が完全に倒壊しているらしい。踏んだり蹴ったりとはこのことか。可愛そう、と思うくらいしかできない、、、

昨日は、鹿児島、高知、広島など普段雪を見慣れていない地域でも積雪があり、雪道や凍った道路での交通事故も多発したようだ。雪に慣れていない人たちは、道を歩くだけでも転ぶらしい。いつだったか東京で大雪の時、都内で転んで骨折したお年寄りが多発した事があった。雪国の我々とは「歩き方」が違うのだ。特に都会の妙齢のお嬢様方は、ヒールの靴とかロングブーツに短めのスカートで颯爽と歩いていらっしゃる。実家のある横浜などに帰ると、今私が住んでいる地方の女性とその「歩き方」が違うのにびっくりするし、都会の女性のおみ足がとても素敵に見えてしまう瞬間である。
雪国の女性は、極端に言うとがに股すり足歩行である。重心をあまり上下左右に揺らさずにすーっと滑るようにしかも靴底、足裏全体でべたっと雪の積もった路面を捉えるような足の運びであるので、モデルばりの歩き方をなさる都会の女性とは全く違う。だから雪国の女性がすたすた歩いている道で、転びそうになったり滑っている女性を見ると、「都会の人なのかな〜?」などと考えてしまう。

神戸や広島の方で発生した道路での玉突き事故も似ている。雪国の人間は滑りやすい路面を知っている。
真っ白く雪の積もった綺麗な道路より、少しはがれた、または一部溶けたような灰色または黒っぽい路面が危ない。溶けた後凍っていたり、車や人がたくさん通って踏み固められ磨かれていて鏡のようになっている。また、橋の上、ビルの陰ができるビルとビルの間の北側の道路。地熱のない橋の上は、川などの水が自然蒸発して路面を更に凍らせやすい。ビルとビルの谷間で陽が射したりすると、雪が少し溶けるが建物の陰に入って気温が下がるとそれが凍ってスケートリンクみたいになってしまう。車で調子こいて走っていて、たまたまそんな部分が少し下りになっていて交差点だったりすると、ABSがついていても役に立たない事が多い。一度、停まったと思った車がスーっと滑って前の車にぶつかったり交差点にはみ出したりする。誰が読むかわからないが、これを読んだ方は、今日以降、雪道、凍った道での車の運転には気をつけていただきたい。要は、スピードを出さない、車間をとる、滑りそうなところを見つけ予測する、そしてシートベルトはしめる!これにつきる。

雪は降る、、、、
そしたあなたはやはり来ない、、、

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2005.02.01

継続は力なり

何事も地道に継続する事は口で言うほど容易ではない。
昨日観たマリア・カラスの映画で、監督のフランコ・ゼフィレッリが「特典映像」の中で「日本人の視聴者へメッセージを」と言われて語っていた事が心に残る。(多少言葉が違う恐れはあるが)
「カラスは神が与えてくれた奇跡ではない。持って生まれた声に本人が血の滲むような努力をする事によってカラス本人の中から出て来た才能なのだ」
「努力を続ける事、オペラ歌手に限らず、音楽に限らず、何の道でも継続する事が大切」
「ダ・ヴィンチも言っています、天才とは努力を継続し続ける事の出来る人のこと、と。」
「あなたがピアニストを目指すなら、一日7時間練習しなさい。血の滲むような努力なくして才能の開花はあり得ない」
古今東西、言い尽くされて来ている事ではある。天才は1%の閃きと99%の努力による、と言ったのはエジソンだったかな?
このゼフィレッリのインタビューを観て思わず私は映像に向かって拍手をしてしまった。本編を観た直後だっただけに、彼と生前のカラスとの関係や才能ある人の孤独感などを強く感じた故であろう。

趣味の音楽にしたって、楽しいからやっている訳であるが、とにかく継続するしかない。
仕事に関しては、努力し続けるのは当然。天才脳神経外科医である必要はない。というか、仕事自体がかなり特殊、特別な分野であるので、脳神経外科医として当たり前の仕事を「きちんと」こなせるならば、かなり「天才外科医」に近いと思う。でも天才である必要はない。しかし、努力を継続し続けられる人の事を天才と呼ぶのなら私はなるべくそうありたい。
以前、東大に入る人間とそうでない人間のどこに違いがあるか、というのを誰かから聞いた。別に東大が偉いとか言う風に考える訳ではないが、東大卒の人を何人か知っているので納得できる話しであった。要するに、勉強にしろ調査にしろ、途中で「だめだ、やめた!」となかなか考えない人たちなのだ。自分を信じている、というか自信があるし、物事を継続する力を持っている。継続して来た結果が自信になっているとも言える。東大の人よりもっと頭のいい、真の意味の「天才」はたくさんいるし、僕だって受験生時代、偏差値は東大理科三類以外なら余裕であった。しかし、実際に東大に入って東大を卒業する人たちは、やはり賢いし話しをしてみると頭がいい事がすぐわかるし、ちょっとの事では揺るがない自信と継続する力を皆同じように持っているように感じた。

話しがカラスのことから大分ずれたが、今後もあらゆる事に対して前向きに継続し続けることを心新たに考えさせられた。これが相手が人間となると、なかなか継続力がないのか、、、

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