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2005年1月

2005.01.31

米国の医療センターと日本の制度

HoustonMedicalC(長文です)
 医療問題を語る時に、米国の医療システム、医療センターのことを語らない訳には行かない。私も留学した事のあるピッツバーグ大学の医療センターやヒューストンの全米一大きな医療センターを始め、米国ではいくつかの大きな病院や大学が一区画に集まってビルの建ち並ぶでっかい医療センターを作っている事が多い。日本で例えるならば、築地のがんセンターと新宿の東京女子医大と東大医学部と慶応医学部が一カ所に集まっているくらいの規模なので訪ねていくと驚く。医療センターの中やその周辺は無料の巡回バスが回っていて、医療スタッフ、患者、家族、その他の訪問者でも自由に利用できる。そして、医療センターの周辺から半径数kmの地域に、たくさんの(約1万人が住めるという話し)短期滞在型ホテルがある。ほとんどアパートである。
 私がH11年にヒューストンに行った時は、一人で3ヶ月という短期だったせいもあり、このタイプのホテルに泊まった。医療センター内のテキサス大学ヒューストン校のほうで紹介してくれたいくつかの候補の中から自分で回ってみて選んだものである。
 上記の無料巡回バスで5分くらいのところにあり、MLBのTexas Rangersで有名なアストロドーム球場とは大きな道路を隔てほぼ向かいにある、アパート、ホテル群の中にあった。ホテルといっても、自炊が出来、普通は1ヶ月単位で泊る事が多い。一泊のみの料金だと確か90ドルぐらいしたが、1ヶ月単位の長期利用になるとこれが一日35ドル位と格安になる。ワンベッドルームだから広くはない。玄関を開けたら居間兼寝室。つまりほとんどがベッドに占められている。その奥に小さな台所と二人が座れるくらいのテーブル。その奥にお風呂。冷蔵庫は大きいので一度にたくさん買い物をして来て蓄えておく。洗濯はホテル内のコインランドリー。プールもある。ここで3ヶ月弱の一人暮らしは楽ではなかったが、毎日医療センターにいって勉強し、合間に友人と食事に行ったりレンタカーでいろいろ出かけたりアストロドームでロディオの大会を見たり、それなりに楽しむ事も出来た。

 なんでこんな事を書いているかと言うと、そのような医療センター周囲のホテル群でどんな生活ができるか?ということを理解してもらうためである。大きな医療センターの中には癌センターとか心臓センターだとか子供病院だとか専門専門に別れたビルがあり、ある分野のスペシャリストがたくさんいる訳である。だから全米、場合によっては海外からも治療のために紹介されて来ている人がたくさんいる。地元の人ばかりではない。むしろ他の土地からの患者さんが多いのではないか、と思った。
 米国の医療費は高い。専門性が高まれば更に高い。High risk, high returnというのとは少し違うかもしれないが、高度の専門性を持ち難しい事をしている専門家は高い報酬を受けるのが当然の世界である。そして医療は、ほとんどの場合、患者さんが任意に加入している健康生命保険で賄われる。というか賄われる契約になっている医療組織にかかる事が出来る。保険会社としてはできるだけ医療費を安く抑えたい。米国の専門性の高い病院の入院費は高い。ほとんどがアメニティの高い個室であり、家族がゆったりくつろげる応接セットがおいてあり中・上級のホテルの部屋を思わせるくらいである。そのかわり、一泊5万から10万円という値段であるらしい。更に、ICUなどに入院すると一泊30万円とかかかる(もちろん素泊まりという訳ではなく、いろいろモニターされたりケアされたり治療されたりだからなのだが)。日本では6才以下の「臓器提供を前提とした法的脳死判定」は行えないので、子供の臓器提供による治療を求めて日本人が海外に行くケースが時々報道されるのはご存知であろう。そのとき、医療費として3000万円とか4000万円を募金などで集めて行くということが報道される。何故、そんなにかかるのか?
一日10万円の病室に2ヶ月60日いれば600万円、ICUに30日いれば900万円、高度な手術を受ければ1000万円くらい軽くかかる。あわせて最低でも2500万円以上必要。ドナー出現までもう少し待たなければならないかもしれない。あっというまに3000万円以上かかる世界なのである。
 保険で賄っている地元アメリカ人はどうなのか?誤解を恐れずにシンプルに解説する。
保険会社側の基本的考え方としては、食事がとれる人は点滴がいらない。点滴がいらない人は入院の必要がない。よって、頭の手術を受けた後でも回復が順調なら3、4日で退院である。まだ抜糸はすんでいない。でも退院である。傷は痛い。でも退院である。だって食事が出来るし薬が飲めるのだから。
 そういった患者さん達は、支える家族とともに、前記のような医療センター周囲の短期滞在型ホテルに移り、そこから無料巡回バスで毎日、または数日おきに外来に来て、手術の傷をみてもらったり診察してもらったり薬を処方してもらったりする訳である。見ていて凄いなあ、というかちょっと気の毒と思ったのは、おそらくどこかの癌で放射線治療と抗癌剤治療を受けているけど入院していないというケース。中心静脈栄養の点滴ラインをつけてぶら下げ、帽子をかぶって落窪んだ目とやせこけた頬と色のよくない顔を覗かせながら家族に支えられるようにしてバスに乗り降りしていた。多分、長期に癌センターに入院して治療を行うには保険があわないのか、かなり慢性期の持続的抗癌治療をうけているか、特殊なケースかもしれないが、こんな状態でも入院ではない。
 なぜならば、一泊10万円の病院に比べ、ホテルなら家族2名と患者1名の3人が泊る様な部屋でも、長期滞在なら一泊1万円くらいで提供できるので、保険会社は患者の家族が地元からその医療センターのある街までの飛行機を含めた交通費、患者と家族のホテル滞在費など、治療に直接かかわる料金以外をもったとしても長期に病院に入院しているより支払う額が少なく済むのである。そういうこともあり、米国の病院では、平均在院日数といってある診療科の、ある病院の患者さんの入院日数の平均を出し、それが低ければ低いほど、患者を早く治して退院させるいい病院ということになっているのだ。事実は、まだ治っていなくても退院させられる訳であるが。
 僕がかかわっていた、鼻の穴から内視鏡を挿入して目の奥で脳の底にある下垂体の腫瘍を摘出する手術などは、手術の傷が体の外にはなく治りも早いため、日本でも術後1週間から10日くらいで退院可能となる事もある。これが米国に行くと、2、3日で退院である。つまり「脳腫瘍」の手術を受けた次の次の日には退院。患者が退院したいかどうか、は知らない。退院させられる。2、3日で退院できる状態なのだから退院するのが当然なのである。日本のように、「先生、来週の土曜日が『大安』で家族も迎えに来れるというのでその日でいいですか?」と、今日退院可能な人が希望を述べそれが通ったりする世界ではない。
 だから最近米国の医療制度を導入、というか模倣しようとしている感があるのだが、「あなたたちどこをみてそんな事決めているのよ?!」と関係各位に申し上げたい。平均在院日数の基準による急性期病院の指定、施設基準による医療費(手術費)の変動の導入、特に年間のある手術の件数を元に翌年の手術料を変動させる施設基準の導入。たとえば脳動脈瘤の手術なら、前年一年ではなくこれまで何例経験したかとか、どんな部位の手術を経験したか、とかどんな上級医(指導医)と手術をやって来たか、とかそんな「中身」はいっさい関係なく、「前の年に何例やったか?」で決めるのである。そして最初はその基準が米国の約半分の数だったらしい。噂では、日本の人口が米国の半分だから、施設基準も半分でいいんじゃないか?という話しだったとか。本当だったら笑うしかない話しである。米国のようにセンター化するためには、上記のような特殊な街全体が医療センターというようなシステムが必要であり、保険制度を変える必要があり、日本の田舎や僻地などの人の多く住まない、交通の不便な地域の患者さんは見捨てる事を覚悟の上で進めなければならないのであるのに、そんな事はわかっていないのだ。
 厚労省の役人の中に、自分が脳腫瘍になって手術を受けたら「順調ですから」と言う理由で3日後に退院させられるシステムのことを受け入れられる人がどのくらいいるのだろうか?郷里に住む自分の年老いた親がくも膜下出血で倒れたのだが、センター化されたため脳神経外科のある病院は、救急車で3時間かかる地方中心都市にしかない、搬送途中に再破裂をして重症な状態になり脳神経外科での治療の対象にならないから、と2、3日で地元の脳神経外科のいない中規模病院に戻されてそのまま内科的治療のみ、という事に将来つながって行きうる、医療センター化、施設基準の積極的導入、平均在院日数の重視などをこのままの形で進めて行くつもりなのだろうか?
無駄に長い入院や入院の必要の少ない患者さんの積極的な退院、医療費の抑制、結構な事である。でも日本の今のシステムで退院させられて人がどこに行くのか?老人二人暮らしの自宅に戻るしかなかったり、「施設」に入所を希望しても待つ順番が120番目というのが現実なのである。

米国の医療制度の弊害をもう少し勉強してから「模倣」してほしいなぁ〜。

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2005.01.30

寒波到来

Chokai0129bこの冬一番の寒波が北日本、日本海側を襲い始めている。
昨日は、左の写真のように青空が広がり、「どうしちゃったの?」と言うくらい暖かく穏やかな天候であったが、夜中から雨、雹、雪と変わり、ゴォー、グォーと地吹雪が声をあげていた。
朝、オケの練習に出かけるため車のところに行くと、昨晩駐車した時についていなかった氷が窓に張り付いていた。本日も荒れていて道路はツルツル。信号で停止すると、一旦停まった車が路面がスケート場みたいになっているので、「ツーッ」と動くのである。一瞬血が凍る。
練習会場近くの駐車場もオープンスペースなため、帰りにはまた車の窓を「ガリガリ」と氷落としから始めなければならない。こんなのは冬なら当たり前の事だが、昨日が気温10℃近かっただけに落差が大きい。今週一杯荒れる模様である。
こんな時は外に出ないで、家の中でフルートの練習をするかDVD三昧である。
幸い、友人がマリア・カラスの映画を貸してくれた。
「神よ、もう一度声をください・・・・」
世紀の歌姫と呼ばれながら一時声を失った、オペラ歌手。
興味のある方はこちらをどうぞ!
http://www.gaga.ne.jp/callas/

人は失って初めてその大切さに気付くことがよくある。失うまで「当たり前」と思っている事の浅はかな事を、わかっているつもりで本当にわかっている人はほとんどいない。皆、失って、または失いかけてようやく自分がいかにそれを大切に思っていたか、いかに失う事が辛いのかを知るのである。
「命」、誰も自分の命が永遠だなんて思っていない。でも明日失う事になる、なんて誰も思っていない。
「愛」、誰も自分のある人への愛が、そしてある人の自分への愛が永遠だなんて思っていない。しかし、いつか消えてなくなるなんて考えていない。いや考えたくない、というのが正しいのか。
自らの欠点や短所を知っているつもりでも、他人への寛容さに欠け、他人には自らに期待している事よりもより多くの事を求めてしまう。
「自分の事を見てほしい」「自分のことを一番に考えてほしい」「自分のことを大事に思ってほしい」
そういうあなたは、自分の事よりも私の事を大事に思っていますか?
失ってからわかるのかもしれませんね、、、

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2005.01.27

株式会社A病院、、、

「病院の株式会社化についてどう思われるか?」という質問を、「稼ぎと仕事」の記事に対するコメントで頂いた。そこにも簡単に答えておいたが、物事はそんなに単純ではない。
「株式会社」というのを私がきちんと理解しているかどうか、不安であるが、少しこの問題を考えてみる。

 株式会社は、当然の事に「株」があり株主がいて、株主総会があり、会長、社長、取締役などといった役員を選出したり、経営に関する会議が行われ株主にはその目標と結果が示される。上場企業の場合、株価は常に衆人環視のものであり、その企業の浮き沈みが株主以外にもわかる。
 さて、これを病院にあてはめるというのは、要するに経済効率、経営効率、目標達成度、成果主義、利益などといったことを病院の運営に当てはめていく事になる。「お客様」は当然「患者様」である。
企業(病院)のイメージアップはお客(患者)の増加につながり、利益の増大につながるのか?

 腕のいい、親切な、暖かい、人の心のよくわかるお医者さんと、優しい、気の効く、可愛い、有能な看護師と、手際よく、思いやりがあって、笑顔の素敵な事務職員と、綺麗な建物と、清潔でアメニティの高い病室と、美味しい病院食と、便利な交通アクセスと、、、
 これだけ揃えば本当に「儲かる」のだろうか?だって儲からなければ、職員に給与も払えないし、でなければ優秀、有能なスタッフも職員も集められないし、最新の治療機器も買えないし(一台数億円という器械なんてザラにある)、病院のアメニティもあげられないでしょう。儲け、そして投資し、さらに儲け、もっと投資し、さらにさらに、、、

 しかし、株式会社化して成果主義を取り入れるとしたら、問題は山積みである。
まず、保険診療制度。中医協などで決める「保険点数」。1点=10円というやつである。例えば、現行の制度では、脳動脈瘤を根治する「脳動脈瘤頚部クリッピング術」は69500点(ただし、前年に施設基準を満たしている施設はこれに1.05を乗じた額、ちなみにうちはクリア済み)、すなわち手術料金は69万5000円から72万円強である。
ところが、これは「手術名」で決まる保険診療上の請求額だから、「誰が手術した」とか「患者が重症だ」とか「合併症があって危険性が高い」とか「新しい手術顕微鏡を使った」とか「チタン製の最新型クリップを使った」とか「手術中に脳血流を測定した」とか、そんなものは点数に入らない。ましてや脳の深部のとても難しい部位にある形のいびつな触るとすぐ破れそうな大きな危険な瘤なのか、脳の表面近くで周囲にあまり大事な機能のない、比較的安全な場所の手術の易しそうな瘤なのか、全く関係ない。すべて同じ値段である。
 どう違うのかというとわかりやすく言うと、、、1)すごく難しくて、手術中に一時的血流遮断を要し、手術中に頭を開いたまま脳の血管撮影も出来るようにして、最新の手術機器を揃えて大学の教授、助教授クラスで経験豊富で腕の確かな「名医が」8時間も10時間もかかるような手術をしても、2)とってもやさしくて3、4年目の非認定医が10年以上の経験のあるような認定医の指導のもと、執刀して特に最新の機器なども要さずに3時間以内に終わるような手術でも、「脳動脈瘤頚部クリッピング術;瘤1個」であれば、日本国中どこにいっても誰がしても、いつしても(たとえば正月返上でも、夜中でも、日中の予定手術でも)値段は72万円なのである。こんなことが、自由資本主義経済の株式市場にあるのであろうか?
 たとえて言うなら、荒波の中、命をかけて漁師が一本釣りした最高級の大間の本マグロの最高の大トロの握りを銀座の超有名高級寿司屋でその道の「名人」と言われる職人が握っても、どこかの養殖のマグロの大トロを食品会社で大量購入して工場できちんと処理しスーパーの寿司コーナーに出しても、どちらも「本マグロの握り」であるなら、「一貫500円」と日本国中で決められているようなものである。

 更に、少なくなったとはいえ医療費に占める医薬品代の割合はいまだ高く、内科的疾患で入院したり通院する場合は、ほとんどが「薬代」である。それが小児の場合、体が小さいのだから投与する薬の量も少ないのでかかる薬代も大人よりは少ない。ということは株式会社A病院側からみれば、払いの少ないお客さんである。小児科医はどんなにたくさん患者を診て夜中に働いたとしても、大人に薬を出している一般内科より稼ぎは少ない。まして70000点なんて高い(?)手術をしている脳神経外科医に比べれば、病院における稼ぎが少ない方になる。自由資本主義経済では、普通稼ぎの多い方が仕事をしている、偉い人になるのではないだろうか?(極論だが)他にも、処置手技の点数が低い耳鼻咽喉科などは、外来でたくさんの患者さんをこなして処置を一杯して一日200人診察したとしても、脳外科医が一人くも膜下出血の患者さんを入院させた方が、ずっとずっと「稼ぐ」訳である。
 たくさん稼ぐ脳神経外科医が株式会社A病院の中では、「一番働いている偉い人」に思われて少ししか稼がない小児科医が「稼ぎの悪い駄目な人」と考えられてもいいのだろうか?もちろん我々脳外科医が不当に高い額を要求しているというのではなく、とても危険な脳の手術を厳しいトレーニングに耐え夜中や休日に働き努力に努力を重ねて習得した特殊技術で行うということに高い料金が設定されていて当然、と思うし、先進諸外国と比べればもっともっと高い料金を設定されていていいはずである。諸外国ではもっと高い料金でたくさん手術をすればしただけ医者も儲かるようになっている。米国の脳外科の教授は、年収1億円とか2億という人もいる。ドイツの脳外科医は、自家用飛行機を持っていて、講演で日本に来る時には自宅近くの空港からフランクフルト空港まで自分で飛行機を運転してくる、というのである。しかし、日本では国立大学の脳神経外科の教授は年収1000万円いくかいかないかであろう。なんという彼我の差であろうか、、、、

 日本の保険診療制度とは全く違う米国などでは、たとえば「脳動脈瘤根治手術」ひとつとってみても、州によって、街によって、Medical Centerによって、医師によって全部値段が違う。保険会社が決定に関与しているらしい。医師の手術成績が公開されたり、優秀で人当たりがよく思いやりのある優しい外科医で、「神の手」とか「Angel's hand」などと評されて人気を呼んだりしても、日本のように「有名だからあの先生にかかりたい」という希望は通らない。かかりつけのfamily doctorから紹介されて自分の加入している保険会社の契約を満たしている病院にしかかかれないシステムになっているのだ。それに外れると治療費は全額自己負担になりかねない。その額は、くも膜下出血だと1000万円は下らないだろう。日本では数十万、高くて100万円くらいであり、申請する事によって高額医療給付というのがあり自己負担の限度額は現行では月72300円。つまりどんなに凄い名医からどんなに金と手間と人手のかかる大手術を受けても、月に72300円以上払う必要がない、という恵まれた状況(ある意味、自由資本主義経済の面から言えばおかしな状況)にあるのである。

 病院を株式会社化して、やる気のない、働かない人をリストラし、経営効率を上げ、患者サービスを充実させるという考え方は悪くないと思う。しかし、日本の保険診療制度はどちらかというと戦後直後の、国民すべてが貧しく困窮していた時代を反映した制度をそのまま引きずって来ているので、現在の発展した自由資本主義経済の考え方にはそぐわないのである。だから現行の保険診療制度をあらため、金のかかる医療には対価として「サービス」を受けた患者もそれなりの金額を払う、またはその金額を保険で支払えるだけの高額な自由保険サービスに加入して保険料を支払っていなければ受けられない、という制度にならなければそぐあわないのである。つまりたくさん保険料を払っている、またはたくさん治療費が支払える(ほぼ=お金持ち)は、最新鋭の設備の整った大病院で優秀なスタッフに診察を受け、名人と呼ばれる名医に執刀してもらえるが、そうでない人は望みかなわず不本意な病院で治療を受ける、というような「差別化」「格差」という事が生じうる。そして「優秀」とか「名医」とかなどを単なる風評ではなく、数字で差別化、格差付けをする必要が生じ、そこにもまた新たな問題が生まれる。

 まだまだ語り足らないが、一つ病院の株式会社化でさえも、現行の制度と照らし合わせて考えた場合、矛盾や疑問がたくさん生じるのである。医療問題は奥が深い、、、

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2005.01.26

ESS

今日は病院内で有志が集まってやっている、ESS(のようなもの)に初めて参加した。
オーストラリア人の女性がnative speakerで、あとは皆日本人。でもやる気のある人が集まっているだけあってみんななかなか喋る。
日本人でも積極性をもって外人さんの中に入っていける人とそうでない人がいるけれど、積極的な人でも意外と日本人の前に出ると喋りづらくなったりするもんだ。Nativeに英語があまりうまくない、と思われるのは別に仕方がないけれど、日本人の前で恥をかきたくない、とか日本人の前でうまく喋りたい、とかいう「見栄」が出るのだろう。
自分も昔はそうだった。今だってそんな気持ちはすこしはある。でも今は英語にある程度の自信があるし、多少発音がおかしくても言葉を間違ってもそれを「勉強」と思えばなんということはない。英語は「学問」ではなく、コミュニケーションのツールだから意思が通じればいいのである。

そういえば、人のblogのスペルを指摘してくれた方がいた。「親切」に教え諭してくれるようなコメントなら許せるが、上から見下ろしバカにして鼻で笑うようなコメントを、公共の、衆人の目にさらされるblogに書くとはどのような感覚を持った人なのだろう?理解を超えている。

さて、今日のESSの話題は二つ。一つは先日ニュースになったルーマニア女性、66才で出産ギネス記録、というもの。もう一つは、米国クリーブランドクリニック(私が留学していたピッツバーグの隣の州最大のMedical Center)で、McDonaldなどのファストフードを病院内のfood courtから追い出そうという医師の動きの話し。
66才の女性がどんな「意志」で、自分の子宮機能を医学的に回復させて子供を身籠る(正確には他人の卵子なのだからこの表現が適切なのか、、、)ことを望んだのか。倫理的にも医学的にもいろいろな意見が出た。結論が出る話しではない。あなたはどのように考えますか?
病院からマックを追い出す、というのはあり得る話し。というかなぜ今までなかったのか不思議。だってアメリカ人は私が実験中にマックなんて食べてたら、「お前はなんでそんなジャンクフードを食べるんだ?」と不思議がっていた。でそいつらが何を食べるか、というとピザか、Wendy'sのハンバーガー。マックと違うのは、ちょっと面倒くさいが、自分でチーズやレタスやパンなどを選んで組み合わせられるということ。「そっちの方が断然うまいしマックより健康的だ!」と言っていた。
「そうなのか?」と思ってしまった。結局は摂取する総量が過剰なら、健康的と思われる食べ物だって不健康の元になるんだから。やっぱり院内に回転寿司屋でも欲しいもんだ。お酒はだめよ!ね☆

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2005.01.25

悲惨、、、

今日は気持ちが重いので一言。
皆さん、車に乗るときはシートベルトをしましょう。
していた人は助かりしてなかった人だけ死亡、ということもあります。
それから親より先に死ぬのは、特にそれが事故や自殺であればやはり最大の親不孝だと思います。
バイクにはヘルメット、車にはシートベルト。どうぞお忘れなく、、、
合掌、、、

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2005.01.24

稼ぎと仕事

医者が一番触れたがらない、または触れては行けない、「稼ぎ」の話しを簡単に。
我々の仕事は、患者サービス。社会に奉仕する仕事であるから、『働いた時間 X 時給=賃金』という計算をしてはならないらしい。「労働者」ではない、という人もいる(しかし法解釈上、研修医は労働者、と認定されて激務で死亡した研修医は労災と認められている)。
ある意味、私はその考え(医者は労働者ではない)に賛成する。
Noblesse oblige(ご指摘頂きスペル直しました!)、ノブリス・オブリージュという言葉がある。
直訳すれば「高貴な人々の背負う義務」ということになる。貴族が、華麗な生活を保障されるとともに、いざ事が起きれば戦場に赴き王のために戦う、国のために命を賭ける、民のための慈善事業を無償で行うなど、ある階級の人に「当然のように」要求される義務、使命のことである。
医師が高貴だ、とい言いたいのではない。ただ、医師は、自ずから高い理想、使命感を持っていることが望ましく、決して「金を儲けたいから開業しよう!」などという魂胆を持っていてはいけないのである。

しかし、逆に人の仕事を何で評価するのか、と言う話しになると、やはり報酬、賃金、給与と言う事になるであろう。特に専門的知識を持ち、専門的特殊技術も持ち、普段から勉強もし自己投資のように本を買い学会に参加している医師に、同年代の普通の会社員よりも高い給与が与えられてもおかしくないと思う。しかし、現実には高校などで同じくらいの成績で優秀だった奴らが、医学部ではなくあるレベルの大学に進学しいい企業や金融関係に勤務して今の私と同じ年だとすれば、向こうの方が給与は良い。笑い話がある。医学部を出たAと高校で同級だった銀行員Bと大企業の営業のCが同窓会の後に一緒に飲んで、当然のように勤務医のAが支払った。次の店で月給を聞いたらAが一番低かった、と言う話しである。
我々が「稼ぎ」で彼らに近づくのは、いわゆる「時間外労働」によってである。
この時間外労働は、すなわち夜中の急患、日曜日の回診、深夜に及ぶ手術、深夜に急変した入院患者の治療、早朝の死亡退院、などといった、普通の人が寝ていたりご飯を食べていたりお風呂に入っていたり家族で買い物に行ったり彼女とドライブしたりしている時間に働いている事に対する報酬である。
専門的知識と技術を持った者がそういう時間に働いて、「時間外手当」を貰う事を「駄目だ!」という人たちがいるのである。いわく「貰い過ぎだ」「予算がないから削る」「他の職員と差がありすぎる」、、、

な〜に言ってんだか!である。
じゃあ、夜中の2時に呼ばれてすぐに目を覚ましてパジャマを服に着替えて病院に出てきて患者を診察してみろ!明け方5時に呼ばれて、危篤の患者に蘇生術を施し力及ばず死亡宣告をして死亡診断書を書きお見送りしてみろ!昼間っから、食事も水も摂らず、夜の22時や24時まで手術してさらに術後指示を出してみろ!しかもこうやって働いても、次の日はカレンダー通りで朝から外来があるんだぞ、回診があるんだぞ。(って、愚痴をいいすぎですか?本当はまだ足らないが、、、)

今、私の時間外手当は、月によって違うのだが(病院全体の予算を医師の働いた時間などで均等に割るため)40〜60%もカットされているらしい。らしい、というのは「そうなっている」ということを事務職員から聞いたのだが、具体的に今月どのくらいカットされたのかは全く知らされないからだ。
これを「酷い話しだ!」と思うのは、当事者である我々だけなのかもしれない。
一般人の常識からは、「そんな賃金カットとかサービス残業なんで、我々の世界では当たり前だ!」と言われるかもしれない。でも"High Risk, High Return"という言葉があるように、高い教育、高度の技術を身につけ自分の身を危険にさらし(長時間連続勤務や深夜の勤務で翌日休みなし)ている者に、高い報酬を求めるのは間違っているのだろうか、、、「高い」といっても、先に述べたように「いい企業」につとめている同世代のエリートと同じくらいの給料、と言う事である。
現実はどんどん減らす、という方向にしか進まないようである。
(ああ、愚痴をいいすぎた。波紋を呼ばなければよいが、、、)

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2005.01.23

まいった〜!

といっても仕事のことではない。
趣味であるフルートのこと。今吹いているのはP社の総銀製フルートでこれはなかなか気に入っている。
しかし練習を重ね、コンサートに出演し、ソロを吹いたりいろいろな機会の中で、「もう少し深みのある音を」「もう少し輝くような高音を」「もう少し響く低音を」「もう少し透き通るような中音を」、、、などと欲が出てきていた。先日、14K、18Kのフルートを試奏するチャンスがあった。これまでも何度か金の笛を吹いてみてきた。その都度、正直、銀と金でそんなに違うのかな?という思いもあった。
それが先日の試奏では、「おおっ!18Kはやっぱり違う!!!」と感じた。何が変わったのか考えてみると、ここ1年程かなりフルートに力を入れてきたためか自分の吹き方、専門的にはアムブシュアが安定してきたことがある。
今回、総金製ではなく、管体が金でキー&メカニズムが銀の笛を吹いてみた。まず低音がおもしろいように気持ちよく鳴る。高音、特に超高音といもいうべき第3レジスターのH以上の音がPでも美しく鳴る。更に、今回はP社が力を入れて開発している頭部管の中から4種類のそれぞれ特徴を持つ頭部管も試すことが出来た。
いろいろ頭部管を差し替えて吹いてみると、やはり音の柔らかさ、強さ、深さ、透明感、吹奏感、pppの出し易さ、fffの出し易さ、などなどそれぞれに違いがある。
欲しくなった。いや、欲しい。買いたい。いや、買う!興奮している。
しかし18K製は安いものでも普通乗用車が一台買える値段である。高いものでは中級外車が軽く買えてしまう。「欲しいから買おう」という程簡単なものではない。なくても困らない。今持っている総銀製でも十分演奏できる。音も悪くない。でも違うのである。自分で吹いていて自分の音に陶酔する感じである(かなりナルはいってるか、、、)。今日は管体を1種、頭部管を4本借りることが出来た。今週末には、2月のファミリーコンサートを控えて土曜、日曜とアマオケの練習があるので、オーケストラの中で吹いてみて周りの反応を聞いてみたい。フルート仲間にも吹いてもらって評価をもらいたい。
う〜ん、かなり「買う」気持ちが入ってきてしまっている。。。。。支払いは、、、なんとかなるべ〜(トホホ)

日常の仕事の辛さやプライベートの悩みから逃避しようとしているのか、、、
逃避ではない、、、と思うのだが。どうよ?>自分

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2005.01.22

休日返上?

 土曜・日曜でも入院患者さんはいる。祝日でも急患は来る。
 だから交代で休みながら「当番」というのを決めている。当院のような地方の中規模(ベッド数500強)の病院では、脳神経外科常勤医は2〜3名というのが普通である。うちもご多分に漏れず3名であるが、一人は管理職であるため当直や当番をしない。よって3年目の優秀な脳外科医兼後期研修医と21年目の凡庸な脳外科専門医(私)が交代で当番をする。
 今日は私が当番なので土曜日で休みではあるが朝から普通に働いている。平日と違うのは、外来がないのと予定手術がないことだけである。ICU、HCU、2つの一般病棟全部を回り患者を診察し指示を出す。
昨日手術した慢性硬膜下血腫の患者さんの術後CTを撮る。血腫は洗い流されているが、高齢で酒飲みであったためか脳萎縮があり、脳の可塑性が衰えているのかまだfluidの貯まったスペースがだいぶある。しかし患者さんはほぼ清明で麻痺もなく、昼から食事を開始した。
一昨日手術した患者さんは、なんの障害もなく半分以上食事も自力で摂取している。
火曜日に手術した新生児もミルクを飲み元気にしている。頭囲も少し減少しているようだ。
先週手術した破裂脳動脈瘤の患者さんもベッドに座って自力でほぼ全量食事を食べている。

 すべてうまく行っている。こういう時ばかりではないけれど、ホッとする。
 今日は地元のアマオケの練習がある。2月末のコンサートに向けて残された期間は少ないが、年末年始諸処の事情やイベントでしばらく練習に出ていなかった。チャイコフスキーのスラブ行進曲とロッシーニのウィリアム・テル序曲をピッコロで、ルロイ・アンダーソンシリーズ(6曲だったかな?)を第一フルートで出演する予定。今日の練習は、病院から呼ばれたりせずに出れますように。(パンパン<=柏手の音)

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2005.01.21

『せんせい、ありがと』

 昨日手術した患者さんは術後経過良好で、HCUから一般病棟に戻った。氷をなめたい、ということであわせて飲水も許可した。
 昨日の夜、緊急入院した慢性硬膜下血腫の77才の患者さんは今日の午後手術をした。術前には、目は開けていてもボーっとして名前を呼んでも返事せず、何を聞いても答えられない状態にまでなっていた。術直後にすぐにお話しをするようになり、遠くから来ている妹さんの名前を呼びその人がどこに住んでいるかを答えられるぐらいになった。
 脳神経外科医として、いろいろ難しい病気もあるけれど、自分の手術で患者さんが良くなるのをみるのは本当に嬉しいものである。この仕事へのプライドと「人の役に立てた」という想いが強い満足感となって心を満たしてくれる。そんなときに、患者さんや家族の方から「ありがとうございました」と一礼されることは医者冥利、脳外科医冥利につきる感じである。
 何も「ありがとう」と言ってほしいとは思っていない。しかし「うまく行きましたね」「大丈夫ですよ」という声をかけたのに対して「本当ですか?」とか「じゃいつ退院できますか?」とか言われるのに比べて、「先生、ありがとうございました」と言われればこんなに嬉しい事はない。手術前はきっと不安だっただろう。でも僕を信じて、僕の言う事を信じて手術を受けてくれた。または意識障害のある患者に代わって家族の方が必死の思いで、医者の言う事を信じて手術を了承してくれた。その期待に応えられた。自分が持てる能力をフルに使って行った治療がうまくいってそれに対して感謝の言葉を頂く事が出来た。普通の人が食事したり風呂に入ったり寝ていたり遊びにいってる時間に、救急外来に来て病棟に来て手術をして疲れたし肩も痛いし寝不足だし腹も減った、けど嬉しい!幸せだ!とつくづく思う。

医師をしていて、脳外科医をしていてよかったな、もう少し頑張って続けよう!と思う瞬間である。

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2005.01.20

てんてこまい?!

久しぶり(?)にてんてこ舞いした。
今日は朝まずICUを診て、先日のくも膜下出血の患者さんが経過良好なのを確認(発症後9日目、術後8日目で血管レン縮のピークを過ぎつつある時期)。食事も2/3ぐらいとっている。ドレナージも昨日抜去。
その後、外来。CTやMRIを予約していた患者も多くお昼前に終わりたかったが1時近くになった。
そこへ、急患との連絡。男性の脳出血でJCS300との連絡。下の先生に外来を中止させすぐ急患室へ向かわせ、私は残った外来患者さんを手際よくでも手は抜かず診察。
急患は、くも膜下出血と脳出血で両側瞳孔散大、血圧も低下しておりもはや救命できそうにない。ICUへ入れ挿管して人工呼吸器につなぎ昇圧剤を投与開始する。5分間で食堂のカレーを流し込み、手術室へ。
本日の予定手術は1時入室であったが20分遅れて手術場に入った。
既に麻酔はかかっていたので、左下側臥位を取り、右耳介後方外側後頭下開頭の位置を決めた。
今日は三叉神経痛の手術。聴力を保つため、聴覚モニタリング(カチカチと言う音を聞かせながら脳波をとる方法)を行いながらの手術。計画通り順調に3時間で手術終了。
6時、HCUに戻る。
同僚の下の先生は、明日から日本救急医学会が名古屋であるので最終便の飛行機で飛んでいった。もう一人の脳外科医は副院長で、市の医師会の会合に出席。よって僕一人になった。
ICUに入院させておいた患者は、昇圧剤を使っても血圧30〜40とあがらず後は時間の問題と思われる。HCUに戻った手術患者さんの診察、点滴などの指示を出そうと思っていたら、救急外来から70歳代男性の「くも膜下出血」が来た、とコールあり。最低限の術後指示を出し救急外来へ向かう。
患者は不穏で起き上がろうとするが返事をしない。CTをみるとくも膜下出血はない。当直医が、撮影時に患者が少し動いたために生じたCT上の白い陰を出血と読んだもの。
「これはアーティファクトで出血はないように思います」と言うと「すみません。出血だと思って、、、」と謝るので「出血してるのに『ない!』と誤診するより、出血がないのに『出血あり!』と間違う方がまだいいですよ」と慰める。
しかし患者は不穏。よく聞くと口から泡を吹いて倒れたらしい。共同偏視もある。「けいれん発作」と考えられる。次第に返事するようになってきた。すぐに一般病棟へ入院させる。
そうしていたら別の当直医が、「A病院からの紹介で慢性硬膜下出血の患者が来ています」と。
(が〜〜ん!もう一人急患かよ〜。。。)
診察すると軽い右片麻痺と言語意識障害も軽くある。名前は答えるが年を答えられない。
CTでは厚いところで2〜3cmぐらいある立派な血腫。今からすぐオペとしてもいいが、3人の脳外科医のうち2人が出張中。しかもICUの患者はもしかするとあと数時間の命。更に手術後患者さんも診なくてはいけないし今入院させたばかりのけいれん発作の人もいる。まだ手術は待てそうなので、明日オペすることにしてまずHCUに入院させた。術後の指示を出しICUの患者の状態をチェック。血圧は30ぐらいと更に下がっている。そして6階に行き入院させたばかりのけいれん発作の患者の点滴指示や一般指示を看護師にあたえ、診察。先ほどより意識はしっかりして質問にほぼ正答。奥さんもホッとした様子。ただ60歳代で初めてけいれん発作を起こしたという事は、何らかの病気が脳にありそう。明日以降、MRIなど精密検査が必要と説明す。
その足でまたHCUに戻り、待たせていた手術患者の家族に説明。手術はうまく行った事、明日以降の予定などについて説明し患者さんを一緒に診る。麻酔は醒めて会話も出来、痛みも起きず喜んでいる。
手術が終わってからここまで2時間ちょっとですべて一人で行ったことである。
まさに「てんてこ舞い」であった。

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2005.01.19

災害医療

テレビ局の肩を持つつもりはない。
「救命病棟24時」というシリーズ物のドラマをやっている。
テレビドラマだから、現実より強調(一部誇張)された登場人物の設定は仕方ないが、これがなかなか勉強になる番組であると思う。
最初は『ER』の2番煎じかと思っていた。タイトルバックなど番組の始まる映像もまねをしている印象を受けた。しかし今回の第3シリーズの主題は「都会の直下型大地震時の災害医療」である。
阪神淡路大地震からちょうど10年。新潟中越地震はつい3ヶ月前。スマトラ沖地震&大津波はまだ1ヶ月もたっていない。そして都心でM7クラスの地震が発生する確率が、今後30年の間に70%というデータがあるのだという。まさに人ごとではない。
自分も脳神経外科医として、医師として、人間として、大災害に際し何かできるのか?何ができるのか?ちゃんとできるのか?と自問しながら真面目に番組を観ている。トリアージの知識は一応あったとしても実際に現場を経験していない。自分が迅速で確実で冷静なトリアージ、そしてその後応急処置、必要な治療ができる医師なのか、疑問は多い。
もちろん設備が整っていてスタッフや物品がちゃんとあれば、頭部外傷の患者さんをきちんと診察し手術し治療する自信はある。しかし医師自らも被災者であるような大規模災害時に、設備が整わずスタッフや物品も不足があるような状況で、自分は役目を果たせるだろうか?何らかのことはできるだろう。駆け出しの医者ではない。脳以外の病気、外傷も診なくては行けないだろう。開腹手術、開胸手術などはやったことがない。トリアージの面から考えれば大規模災害で重症な頭部外傷を負った患者さんは、redではなくblack tagになるのではないか?胸・腹部外傷の患者さんの方がred tagになる可能性が高い。人間にとって「頭」はとても大事な部分であるが、救急の現場でたとえば全身外傷の患者が運ばれてきた場合、診察または治療を優先する順位は胸>腹>頭>手足なのである。
 これを機会に、災害医療を少し学び普段から備えるように考えてみたい。
 しかし直下型地震の起こる可能性が高いなら、都会に住むのはやめて(なにせ日本人の4人に一人が関東地方に、10人に一人が東京都に住んでいるんだよ!)みんな地方に分散して住むようにできないものだろうか?そういう政治的経済的対策の方が多くの人間を救えるような気がする。

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2005.01.18

新生児

最近の「日記事件」で言(動)に益々注意する必要が出てきており、患者さんの事をここで書く事はなるべく避け、少しインパクトは下がるけれど一般的な話しを中心にせざるを得ないかな〜?と思う。

生後7日目、出産が36週だったからまだ満期産の赤ちゃんより小さい、体重2960grの新生児の手術を行った。胎生期から「水頭症」といって、脳の中で脳脊髄液を作り貯めておく部屋である「脳室」というのが拡大して、脳を圧迫して広がろうとするため、まだ固まっていない赤ちゃんの頭蓋骨が広がって頭が大きくなる。美的な問題ももちろん大事であるが、圧迫された脳の機能が低下してはいけない。大泉門といって赤ちゃんの頭のてっぺんのやや前の方で骨がまだない菱形の部分があるが、そこが張っていて脳室がどんどん大きくなり脳の圧迫が酷くなる傾向であったので、生後1週間ではあるが全身麻酔の上、水頭症手術を行った。
いまや「新生児用」の脳室腹腔短絡術(通称;シャント)用チューブも開発されているので手術は新生児だからといって特に大人と変わらない。ただ麻酔、体位固定、体温キープ、輸液などに注意が必要な事と腹側チューブを挿入する長さを長めにする事くらい(だんだん成長するに従い、皮下に留置しお腹の中に入れたチューブの長さが足らなくなってお腹から抜けて胸の皮下になってしまうことがある)。

お腹をあける(といっても2cm位の傷である)のに際し、普段は我々脳外科医だけでやるのだが万が一の事も考えて腹部外科の先生にも入っていただき手伝ってもらった。手術はスムーズに50分くらいで終了し麻酔の醒めもよく患児はいたって元気そうである。
このシャントが働いてくれると徐々に脳の圧が下がり脳脊髄液がお腹側に流れてそこから吸収され、脳室の拡大の改善=脳の圧迫の改善=頭囲の縮小がおこり、美的な頭の大きさと体の大きさのプロポーションの問題から知的機能、学習などの改善も図られると期待している。
頑張れ!

(p.s. 僕はパクチーも好きだけど北京ダックが食べたい)

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2005.01.17

ジュネーブ宣言(厳しい世の中、、、)

どこぞの医師が自分のHPの日記に自分の関わった患者さんのことを非難した内容を書いたという事で問題になっているらしい。
「医師と患者である前に、一人の人間と人間でしょう?」とはよく言われる事であるが、医師に求められているのは、「一人の人間」以上のものである事を世間の人は知っているようで知らないのではないだろうか?今回の「事件」については内容を知らないのでコメントは避けたい。人間としての前に、医師としてどうあらねばならないか、どう志を持つべきかを示す文がある。

「医聖ヒポクラテスの誓い」はよく知られているが、意外と知られていないのは「WMA世界医師会」が世界に向けて発した「ジュネーブ宣言」である。これを以下に書く。
======
医師の一人として参加するに際し、
・ 私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に警う。
・ 私は、私の教師に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
・ 私は、良心と尊厳をもって私の専門職を実践する。
・ 私の患者の健康を私の第一の関心事とする。
・ 私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。
・ 私は、全力を尽くして医師専門職の名誉と高貴なる伝統を保持する。
・ 私の同僚は、私の兄弟姉妹である。
・ 私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病や障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的オリエンテーション、或は、社会的地位といった事がらの配慮が介在することを容認しない。
・ 私は、たとえいかなる脅迫があろうと、生命の始まりから人命を最大限に尊重し続ける。また、人間性の法理に反して医学の知識を用いることはしない。
・ 私は、自由に名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。
======

よ〜〜く吟味して読んでみてもわかりにくい部分があると思う。しかもWMAがこんな宣言を半世紀前に行っているにもかかわらず、世間に徘徊する医師はこの理念に反する者が増えてきているのではないか?!とお怒りの方が多いと思う。ヒポクラテスの誓いもジュネーブ宣言も医師国家試験には出ないからかもしれない(あくまで冗談です、、、)。
困っている人を助けたい、病気で弱っている人を救いたい、誰かの力になりたい、、、
これが医の原点であろう。その上で、予防そして政治にまで関わって「世の中」を良くする事、病んだ世界をも治療できれば理想的かな?
私も一人の人間だ。怒り、悲しみ、落ち込み、凹み、疲れる。寝不足も空腹も精神を不安定にする。それでも医師は患者の前では、冷静で平静で落ち着いて柔和で優しく相手の気持ちになって診察・治療に当たる事が「当然」である、らしい。そのようになりたいとは思う。なれない、とも思う。私は単純で未熟な愚か者。すぐにカッとなり苛つきムカつく。生意気な、態度の悪い患者さんには一言忠告してやりたくなる。世の中いろいろなことがありいろんな人がいる。一般的に私の評判は良くないらしい。それなりの理由はある。一方、私を信頼し頼ってこられ、私でなければ、と言ってくださるありがたい患者さんもいる。
どんな状況でも私は目の前の患者さんを一生懸命治療する、これだけである。

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2005.01.16

我、日直中なり、、、

昨日、1月15日。少し前までは「成人の日」で国民の祝日であったが、今や単なる土曜日であった。
私は大好きなフルーティスト高木綾子さんが出演する、仙台フィルの第198回定期演奏会を聴くため仙台に出かけた。もう一つ、パールフルートの展示試奏会と無料調整会があったのでこれにまず行った。
昨夏のパールフルートのサマーキャンプで仲良くなった技術者の三ツ石さんと再会。
僕の笛は調整されてバチッと決まった。今までより楽に低音が出る。微妙にタンポの位置や角度がずれていたのであろうか?さすがプロの仕事!
試奏したのは14K、18K、14Kローズゴールドの3本。それぞれに良さがあるが、全体的な音の滑らかさやバランス、各音域すべてでの総合的な安定感はやはり18Kに軍配があがるような気がした。総18Kにすると500万からする。台座やメカを銀にすれば270万円くらいらしい。10Kメッキを追加するという手もあろうし。でも300万円以上する。簡単に考えられる買い物ではない。
担当者に好みを伝えてそれに一番近い18Kが準備されたらまた連絡を貰う事になった。

その後、仙台フィルのコンサート。久しぶりにみる綾子さんは細くまだ若く幼いところも見えながらトップロの風格が漂ってきていた。この辺は私のサイト本編のDiaryに書いたのでこちらでは割愛する。

そして今日は朝8時半から日直。昨日の夜中3時頃に雪の中山形から車で月山道路を越えてきたので疲れが残っている。日直というのは宿直に対して、休日の8時半から17時まで病院全体の仕事をする医師であるが、「本来は」病院全体の仕事、主に入院患者さんの急変であるとか問題に対処するために休みの日であるが病院につめている係のようなものである。しか〜し!ここが問題なのだが、日直や宿直のほとんどの仕事は、救急外来に来る様々な患者さんの診察である。
救命救急センターや救急部の存在しない救急指定病院では、正確には「救急部」や「救急外来」は存在せず正しくは「時間外外来」と呼ぶべきものである。しかるに実態は、救急外来であり、熱を出した乳児、咳の止まらない小児、腰を痛めた青年、お腹の痛い中年婦人、転んで頭を切った壮年男性、昨晩から手がしびれている老婦人、加えて救急車で心筋梗塞疑いの男性、脳卒中疑いの70代女性、交通事故の患者、、、、などなどが容赦なく来る。電話をして相談した上でこられる方、飛び込みでくる方、救急車の患者、情け容赦なし、待ったなし、「働け!働け〜!」である。

頭の事がわかり意識障害がみれる脳神経外科医は、だいたいの疾患におびえる事のないスーパーマンに一番近いかもしれない。でも皮膚科とか一部の整形外科とか耳鼻科とか手を出せない、または手を出さずに専門家に任せた方が患者のため、ということもたくさんある。
いろいろなプレッシャーやストレスを感じながら「笑顔で対応しろ!」と、、
人間が出来ていなくてすみません、、、と言う感じであるが努力は必要、、、
今日もストレスフルな一日が過ぎていく(でも今日はまだ救急車も少なく患者さんも半日で40名行かないくらいなので平和な方である)。
私のように科長で院内でもやや年配の部類に入る医師は、平日の宿直は免除されていて休日の日直だけなので楽をさせてもらっている方である。これでも結構疲れる。得意な脳外科手術をやっている方が精神的にはまだ楽である。

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2005.01.15

トラックバック

はっきり言ってよくわからない。
トラックバック?う〜ん、なんだか他のサイト、他のblogとの交流を深める一つの手段らしい。

「★balaine★ひげ鯨の日々」は個人のプライベートな日常の感想とともに自分の仕事である脳神経外科のことを折に触れ少しずつ紹介していくものである。
医療、病院、医師に対する世間の風当たりの強い昨今、それぞれに「人を助け救う」ことを自らの喜びとして仕事をしている医療人の心を少しでも理解してもらいたい、という気持ちと、口で「大変ですね〜」と言う程度では本当には理解されていない、人の生き死ににかかわっている仕事の内容、それに対する自分のプライド、志といったものが少しでも世間に理解されていくことを望んでいる。

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2005.01.14

くも膜下出血4日目

一昨日手術した患者さんは幸い術後の経過も良くホッとした。しかしくも膜下出血の手術は、「再破裂」の防止が主たる目的で、既に起こった出血による障害は既に始まっている。
一つは水頭症。もう一つは脳血管れん縮といって、脳の血管がくも膜下出血によって攻撃を受けて縮んで細くなるものである。その結果、血液の流れが少なくなり脳のいろいろなところで虚血という状態が起こり始める。この虚血状態が強く長引けば「脳梗塞」と同じ状態が起こる。
この「脳血管れん縮」による「脳梗塞」は、教科書的には出血後4日目から14日目にかけて起こりやすく、第8病日がピークとされている。今日は第4病日であるからそろそろ「れん縮」が始まる時期である。
一昔前まではこの脳血管れん縮を治療する薬剤はほとんどなく、少しでも血液が多く流れるように「血圧を上げ」「点滴量を増やし」「十分な酸素、栄養を投与する」という方法が採られていた。今でもこの治療は大事であるが、その他に「血管を弛緩させ少しでも太くする薬」や「血液が固まりにくくサラサラ流れるような薬」が開発されてほとんどの症例で使用されている。
これらの薬剤が使用されるようになってから、明らかに血管れん縮による後遺症の出現は少なくなった印象がある。まだまだ解決された問題ではないし、強い血管れん縮が広汎に生じた場合、強い後遺症を残したり生命にかかわるほどの激しい脳梗塞が起こることも0にはなっていない。
再破裂の防止を手術で完遂した上は、水頭症や血管れん縮によって患者さんが後遺症を残したり生命にかかわる重篤な状態に陥らないようにICUで我々スタッフは目を光らせ対応するわけである。

さて、仕事を離れて。
明日は仙台で久しぶりに仙台フィルのコンサートを聴く予定。大好きなフルーティストである高木綾子氏がソロでハチャトゥリアンのフルート・コンチェルト(原曲はバイオリン・コンチェルト)を演奏する。とても楽しみだ。
コンサートの前に、私の愛用するパールフルートの展示試奏会&調整会が仙台市内の別の場所である。14Kと18Kのフルートを試奏する予定。これもとても楽しみである。

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2005.01.13

日本海波高し?

 ここ数日、「冬」という天気が続いている。
 私の住む街は日本海に面しているため、冬は海から吹いてくる西風が強い。「強い」などという簡単な言葉では済まないくらい強い事もある。「地吹雪」といって、雪まじりの強い風が海側から真横に吹いてくるのである。そのため主要幹線道路でさえ路面の雪と路肩の雪とそのまた横の側溝や少し段差のある田畑の雪との境が吹いた風でわかりにくくなる。地吹雪の中での車の運転に慣れないと路肩を踏み外し下に落っこちてしまう事になりかねない。冗談ではなく、本当の事である。
 強い地吹雪の時には、車の前方も見えない。前を行く車がテールのフォグランプをつけていても30mも離れると視界から消えるのである。道がわからなくなって停まるしかなくなる。更に地吹雪が酷くなれば車の中でじっと待つか、車を捨てて退避しなくてはならない。
時々、車の中で待っていて車が雪に埋もれるくらいになり、自分の車の排ガスが車内に充満してしまって一酸化炭素ガス中毒で死亡、などということも起こるくらいである。この地吹雪を防ぐために、この地方の道路には海側に風の強い時に広げられるフェンスがずーっと道路に沿って立っている。窓のブラインドのようにクルっと回すと開くタイプで夏場は折り畳んである。
 病院の隣に立っている官舎の周りも地吹雪の影響を受ける。車がしばらく通らなかった夜中の道路などは風で飛ばされてきた雪が、まるで鳥取砂丘のように幾何学的模様を描きながら圧雪路面に広がっている事もある。夜中に病棟や救急外来で呼ばれると、徒歩2分の距離なのに車で行きたくなる。風が強くてまともに歩けないからである。でも車にも雪は積もっているしwind shieldなどについた雪、氷をガリガリととらなければ車も出せないので諦めて歩いて病院へ行く。
 昨日は結局2330頃自宅に戻った。地吹雪ではないが、強い風に向かってうつむき加減に、転ばないように一生懸命歩いた。6時間の手術のため夕食は摂っていなかったが手術の緊張から解放された疲れと手術がうまく行った安堵感で不思議とお腹がすかなかった。でも一昨日から軽く風邪気味で頭も痛かったので、風邪薬を飲むためにも何か食べようと思い、レンジでチンして食べる「キノコとチーズのリゾット」とかいう奴とク○ールのコーンポタージュを食した。

 僕は風邪気味になると「ニンンクパスタ」を作って食べる。これは効く。今まで軽い風邪はひいても決して休むほどにならないのはこれのおかげだと思っている。青森産のニンンク(中国産では駄目!)の3かけ位を一人分に使うのである。ようは、薄くスライスしたニンニクをオリーブオイルで決して焦げないように弱火で炒めてそこに湯でたてのパスタを混ぜ合わせ食べるだけである。
 もし生バジルやイタリアンパセリなどがあればこれを載せても良いし、豚肉のバラブロックを塩とコショウをたっぷり振ってビニール袋に包み冷蔵庫で数日おくと立派なパンチェッタになるのでこれを細切れにして炒めて混ぜても美味である。とにかくニンニクがたっぷり入っていればよい。これで軽い風邪な一発で吹っ飛んでくれる。

さあて、今日は少しまともな食事をしよう。何を食べようかな〜(一人暮らしはこんなとき辛い?);。

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2005.01.12

脳動脈瘤手術終了

ope2昨日記載した多発脳動脈瘤の患者さんに、午前中3d-CTAを行った。これはCT画像のデータをワークステーションに転送して、画像のグレースケールの濃淡の閾値を設定する事によって脳を消し骨と血管だけを描出し、それを3次元グラフィックにしていろいろな方向から回転させてみるものである。昔は特殊な病院にしかなかったが、いまや脳神経外科のある大きな病院なら、ほぼどこにでもあると思われる。
 3d-CTAによって、やはり3つの脳動脈瘤のうち、破れたのは椎骨動脈瘤だと思われた。
 午後1時半に手術室に入室。
 手術顕微鏡のセッティング。患者さんに麻酔がかかり、体位をとる。左の耳の後ろを切って後頭部の下の方から手術をするため、患者さんは「右下側臥位」といって体の右側を下にベンチに横になったような体の位置で、顔を少し下向きにさせて左の耳の後ろが一番高い位置になるように固定。
 消毒などを行って2時半少し前に手術は始まった。
 まず側脳室といって脳脊髄液を作りためておく部屋に細く柔らかいチューブを挿入して脳脊髄液を抜き取る「ドレナージ」という手術を、左前頭部に行った。5cmぐらいの傷で18分で終わった。
 続いて本格的に脳動脈瘤へのアプローチ。左耳の後ろを首筋方向へ斜めに12cmほど切開。筋肉を切り骨を専用の機械であけ、脳を包む硬膜をメスで切って手術顕微鏡を導入。術野を実際の大きさの10〜20倍くらいに拡大しながら、慎重に慎重に脳、神経、血管を出し奥深くほとんど左の耳からは6cmくらい奥で脳の正中までもう少しというところまで進んで、目標である「左椎骨動脈ー左後下小脳動脈分岐部破裂脳動脈瘤」を発見。周囲から剥離し絡んだ細い神経をはがし、椎骨動脈を狭窄(細くしてしまう事)しないように注意深くチタン製でブレードの長さ6mmの脳動脈瘤用クリップをかけ、手術は無事終了した。
 もしかしたらここが破裂した場所ではないのかも?という不安は少しはあったが、固く濃い血腫(血液の固まったような赤黒い糊状のもの)があったのでホッとした。手術終了は9時少し前。ICUに戻り術後の処置をして点滴などの指示を出しほっとしてパソコンに向かったのは今、夜の10時である。
 食事はお昼1230頃に定食を職員食堂でとった。それから水も何も口にしていないので、今自動販売機から缶コーヒーを買ってきて飲みながらこれを書いている。
 病院勤務の脳神経外科医の一日とは、このようなものである。
 

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2005.01.11

多発脳動脈瘤

ltVA-PICAan 脳動脈瘤が破れるとくも膜下出血になる。これを破裂脳動脈瘤という。
 今日救急車で緊急来院即入院となった患者さんは、CT上明らかなくも膜下出血があり、今日中に手術をする予定で脳血管撮影を行った。脳にいく太い血管4本のそれぞれにカテーテルで造影剤を流しながら、一秒間に2、3枚の連続写真を撮る検査で、脳動脈瘤の手術には欠かす事の出来ない検査である。

 今日の患者さんには、動脈瘤が小さいものばかり3つも見つかった。この場合、どこから手術をするべきか悩まされる事が多い。くも膜下出血を緊急に手術する目的は、破れて一時的に止まっている動脈瘤の出血をチタンなどの金属製クリップで挟んでつぶし二度と破れなくする事である。よって、今回破れたところを確実に手術しなければならないが、血管撮影をみただけでは3つのうちどれが破れたかを100%知る方法はない。我々脳神経外科医は、経験上「より大きいもの」「形のいびつなもの」などを破れた瘤の決定に際し勘案する。しかし絶対的なものではない。CT上のくも膜下出血に明らかな分布の偏りやはっきりとした血腫があればその判断は容易であるが、今日の患者さんの出血は左右対称で均等にひろがっていた。唯一の手がかりとしては「脳幹」(「小脳出血」の記事を参照)の回りに少し血腫が目だつ事である。
 椎骨動脈系の破裂脳動脈瘤と判断する事にした。その他に見つかった2つの瘤が直径3mm程度と小さい事も「破裂した」ことを否定させる要因ではある。
 明日、手術を行う予定であるが、この判断が本当に正しいのかどうか、患者さんの頭の中をのぞいてからわかる訳で大変不安で緊張する(しかし本当はかなり強い確信に近いものを持っているのであるが、、、)。
すべてが予定通りうまく言ってほしいと願うばかりである。

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2005.01.10

小脳出血

ope1小脳出血の患者さんが亡くなられた。
「小さい」脳出血ではなく、「小脳」の大出血である。
小脳という部分は、後ろ頭の下の方にあって、ちょうど耳と耳の間を含む「後頭蓋窩(こうずがいか)」と言う部分に収まっている。大脳の5分の1くらいあるかどうかという文字通り「小さい」脳である。
人間として記憶したり笑ったり怒ったり考えたりという機能は、ここにはない。
動物としてバランスをとったり運動をうまく行ったり(巧緻性という)繰り返し練習すると「体で覚える」というのがここ小脳の機能の大きなものである。
この小脳の前方にぴったり接して(というよりくっついて神経繊維の密な連絡がある)「脳幹」という部分がある。
大脳を分厚い椎茸の「かさ」のぶぶんとすれば、脳幹は「軸」の部分にあたる。
ここには意識、眼球などの動き、血圧、呼吸を司る神経が集まっており、脳と脊髄そして末梢神経をつなぐすべての神経繊維が通っている。

小脳に出血すると、当然小脳が壊れる。後頭蓋窩という箱の中に入った小脳が腫れて前方にある脳幹を圧迫する。そのために出血してもいないのに脳幹の障害が起こる。その司る機能が低下する。
よって、意識がなくなり、目が動かなくなり、対光反射がなくなり、血圧が下がり、呼吸が停まる。治療しなければすぐ「死」である。呼吸が停止したような状態では、どんなに手を尽くしても助けられる事は少ない。

それを救うために我々の「大」緊急手術を行う。しかし時には合併症や出血の酷さのために手術も出来ない事がある。今日もまた己の無力を感じた。

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2005.01.09

こころとからだ

PitSag1『病は気から』
という言葉があるが、これはある意味真理である。
気持ちだけではどうにも出来ない病気もたくさんあるけれど、病気の重さや身体のつらさ、症状の回復に人の気持ちが大切なことは、医師をしていてよく理解しているつもりである。

脳卒中のような病気はなってしまうと、気持ちだけではどうにもならない面も確かにある。が、回復するぞ!という気持ちは大切である。その気持ちの持ち方には個人差がある。「XXをやらなければいけないから頑張るぞ」とか「子供のために」「孫のために」「元気になりたい!」という気持ち、これが必要である。
人間はなかなか一人でいられない動物らしく、自分が誰かから必要とされている、という気持ちはいろんなことを遂行する上での大きなmotivationになる。

たとえば、何か気持ちが塞ぐような出来事にあうとmotivationは下がる。元気がなくなる。自信がなくなる。
そう言ったときには風邪をひきやすいものである。どこか身体の不調があるときにも人は元気がなくなる。
そうすると身体の免疫機能が低下して風邪をひいたり、ひいた風邪が治りにくくなったりする。
そう言うときにはまず寝る。睡眠は免疫力を回復させる。これは脳の中の視床下部ー下垂体系が身体の不調を整え回復させようと自ら活発に働くことによる。睡眠、そして栄養。加えて大事なのは「こころ」。よくなりたい、元気になりたい、必要とされているから頑張らなきゃ、という心が大切。
まさに「病は気から」なのである。
頑張れ!

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2005.01.08

くも膜下出血

20040507_1804_000
今日は1/8(土)、早くも松の内があけた。
世の中は、8,9,10と3連休の人もいるであろうが朝から仕事である。
この年末年始は、重症患者さんが緊急入院にはなったもののそんなにばたばたとはせず、しかも緊急手術も一つもなかったので平和であったと言えば平和である。
 写真は、典型的なくも膜下出血のCTである。脳の中ではなく脳の外に出血して脳を圧迫するものなので直接は脳が破壊されていない事が多い。緊急手術で再出血を防止するとともに血腫を出来るだけ取り除くことで、すでに出血した事による脳へのダメージが少なければ十分社会復帰の出来る病気ではあるが、逆に出血が多量で脳へのダメージが強いと救急車で搬入された時には既に呼吸が停まっていて危険で手術も出来ない人もいる。大雑把に「3人に一人は命を落とす」と言われ恐れられている病気である。
 私の勤務する病院は救急外来がありICUがあるので比較的重症の患者さんが搬入される病院であるが、昨年一年間で入院したくも膜下出血のうち、来院時に重症すぎて手術も出来ず亡くなられた方はおよそ10%.。手術をした患者さんの中でくも膜下出血が原因でなくなられた方は0。残念ながら合併症(胆嚢炎に肺塞栓を併発)でお亡くなりになった方が一人。よって私が治療したくも膜下出血の患者さんでは死亡の確率は手術不能の重症も含めて約15%。
結局は、どのような状態で病院に到着しその後どんな医者が診るのかにかかる訳で、かなり「運」が左右してしまう。我々としては搬入された時点より決して悪くせずに速やかに検査治療を行い元気になって退院してもらいたいものです。
 この3連休も「暇」であることを祈る。

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2005.01.07

たぶん、誰もまだ

Yuki知らないであろう。ここのblog。
早く知られたいような、知られたくないような気分。
自分のHPもあまりおおっぴらに公開したくない私。
でもここにリンクを張っておこう。
もしかすると誰か物好きな人が見るかもね。でもフルートやクラシック音楽に興味がないと全然面白くないのかもしれない。

さて、今年は元日から仕事をしている。
仕事始めは4日ではあったが、病院勤務医師という仕事。入院中の患者さんや救急外来受診の患者さんがいる訳で、各診療科誰か一人は正月でも働かなくてはならない。
うちは脳神経外科医が3名であるが、一人は副院長という管理職。もう一人は3年目後期研修医。しかも3年目の彼は12月に結婚したばかりの新婚ほやほや。
というわけで21年目のまあまあベテランの私が正月3日間働いた。そんなに急患は来なかったが、入院した患者さんに重症が多く、3名挿管して人工呼吸器につなぎ、一人81才の高齢の脳出血の方が残念ながら亡くなられた。そのため、日中はもちろん夕方、夜、深夜、早朝と病院に呼ばれ、自分のベッドで寝る時間が一時間ぐらいで、病院の医局のいすで休む時間の方が多いという日々であった。

そんな中で自分を癒してくれるのは、まずフルート。
元日から吹いた。今年はエマニュエル・パユの新譜CDにあるR. StraussのViolin SonatenとWidorのSuiteを吹きたいと思って楽譜を揃えた。
Widorはムラマツのサイトが購入しておいたが、R. StraussはViolin曲であるためムラマツのサイトにもなかった。ネットで検索すると、海外のサイトであるがPDFでDLできるものを発見。
登録してCredit Cardを使ってUS$ 1.90で全58ページのヴァイオリン譜+ピアノ伴奏譜を購入した。
まずは旋律のとても美しい第2楽章のImprovisationを吹いてみる。とてもいい感じ。
Widorは1、2、3楽章、特に美しい旋律のある3楽章Romance:Andantinoを吹いてみる。かなりいい感じである。これで心の疲れも幾分癒された。
あとは、、、(^^)

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2005.01.06

はじめました!

Chokai1平成17年1月6日。
ついにblogを始める。
@homepageで自分のサイトを立ち上げて5ヶ月弱。
これからフルートや音楽、そして医学や脳神経外科の事を気の向くままに語って行こうと思います。

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