米国の医療センターと日本の制度
(長文です)
医療問題を語る時に、米国の医療システム、医療センターのことを語らない訳には行かない。私も留学した事のあるピッツバーグ大学の医療センターやヒューストンの全米一大きな医療センターを始め、米国ではいくつかの大きな病院や大学が一区画に集まってビルの建ち並ぶでっかい医療センターを作っている事が多い。日本で例えるならば、築地のがんセンターと新宿の東京女子医大と東大医学部と慶応医学部が一カ所に集まっているくらいの規模なので訪ねていくと驚く。医療センターの中やその周辺は無料の巡回バスが回っていて、医療スタッフ、患者、家族、その他の訪問者でも自由に利用できる。そして、医療センターの周辺から半径数kmの地域に、たくさんの(約1万人が住めるという話し)短期滞在型ホテルがある。ほとんどアパートである。
私がH11年にヒューストンに行った時は、一人で3ヶ月という短期だったせいもあり、このタイプのホテルに泊まった。医療センター内のテキサス大学ヒューストン校のほうで紹介してくれたいくつかの候補の中から自分で回ってみて選んだものである。
上記の無料巡回バスで5分くらいのところにあり、MLBのTexas Rangersで有名なアストロドーム球場とは大きな道路を隔てほぼ向かいにある、アパート、ホテル群の中にあった。ホテルといっても、自炊が出来、普通は1ヶ月単位で泊る事が多い。一泊のみの料金だと確か90ドルぐらいしたが、1ヶ月単位の長期利用になるとこれが一日35ドル位と格安になる。ワンベッドルームだから広くはない。玄関を開けたら居間兼寝室。つまりほとんどがベッドに占められている。その奥に小さな台所と二人が座れるくらいのテーブル。その奥にお風呂。冷蔵庫は大きいので一度にたくさん買い物をして来て蓄えておく。洗濯はホテル内のコインランドリー。プールもある。ここで3ヶ月弱の一人暮らしは楽ではなかったが、毎日医療センターにいって勉強し、合間に友人と食事に行ったりレンタカーでいろいろ出かけたりアストロドームでロディオの大会を見たり、それなりに楽しむ事も出来た。
なんでこんな事を書いているかと言うと、そのような医療センター周囲のホテル群でどんな生活ができるか?ということを理解してもらうためである。大きな医療センターの中には癌センターとか心臓センターだとか子供病院だとか専門専門に別れたビルがあり、ある分野のスペシャリストがたくさんいる訳である。だから全米、場合によっては海外からも治療のために紹介されて来ている人がたくさんいる。地元の人ばかりではない。むしろ他の土地からの患者さんが多いのではないか、と思った。
米国の医療費は高い。専門性が高まれば更に高い。High risk, high returnというのとは少し違うかもしれないが、高度の専門性を持ち難しい事をしている専門家は高い報酬を受けるのが当然の世界である。そして医療は、ほとんどの場合、患者さんが任意に加入している健康生命保険で賄われる。というか賄われる契約になっている医療組織にかかる事が出来る。保険会社としてはできるだけ医療費を安く抑えたい。米国の専門性の高い病院の入院費は高い。ほとんどがアメニティの高い個室であり、家族がゆったりくつろげる応接セットがおいてあり中・上級のホテルの部屋を思わせるくらいである。そのかわり、一泊5万から10万円という値段であるらしい。更に、ICUなどに入院すると一泊30万円とかかかる(もちろん素泊まりという訳ではなく、いろいろモニターされたりケアされたり治療されたりだからなのだが)。日本では6才以下の「臓器提供を前提とした法的脳死判定」は行えないので、子供の臓器提供による治療を求めて日本人が海外に行くケースが時々報道されるのはご存知であろう。そのとき、医療費として3000万円とか4000万円を募金などで集めて行くということが報道される。何故、そんなにかかるのか?
一日10万円の病室に2ヶ月60日いれば600万円、ICUに30日いれば900万円、高度な手術を受ければ1000万円くらい軽くかかる。あわせて最低でも2500万円以上必要。ドナー出現までもう少し待たなければならないかもしれない。あっというまに3000万円以上かかる世界なのである。
保険で賄っている地元アメリカ人はどうなのか?誤解を恐れずにシンプルに解説する。
保険会社側の基本的考え方としては、食事がとれる人は点滴がいらない。点滴がいらない人は入院の必要がない。よって、頭の手術を受けた後でも回復が順調なら3、4日で退院である。まだ抜糸はすんでいない。でも退院である。傷は痛い。でも退院である。だって食事が出来るし薬が飲めるのだから。
そういった患者さん達は、支える家族とともに、前記のような医療センター周囲の短期滞在型ホテルに移り、そこから無料巡回バスで毎日、または数日おきに外来に来て、手術の傷をみてもらったり診察してもらったり薬を処方してもらったりする訳である。見ていて凄いなあ、というかちょっと気の毒と思ったのは、おそらくどこかの癌で放射線治療と抗癌剤治療を受けているけど入院していないというケース。中心静脈栄養の点滴ラインをつけてぶら下げ、帽子をかぶって落窪んだ目とやせこけた頬と色のよくない顔を覗かせながら家族に支えられるようにしてバスに乗り降りしていた。多分、長期に癌センターに入院して治療を行うには保険があわないのか、かなり慢性期の持続的抗癌治療をうけているか、特殊なケースかもしれないが、こんな状態でも入院ではない。
なぜならば、一泊10万円の病院に比べ、ホテルなら家族2名と患者1名の3人が泊る様な部屋でも、長期滞在なら一泊1万円くらいで提供できるので、保険会社は患者の家族が地元からその医療センターのある街までの飛行機を含めた交通費、患者と家族のホテル滞在費など、治療に直接かかわる料金以外をもったとしても長期に病院に入院しているより支払う額が少なく済むのである。そういうこともあり、米国の病院では、平均在院日数といってある診療科の、ある病院の患者さんの入院日数の平均を出し、それが低ければ低いほど、患者を早く治して退院させるいい病院ということになっているのだ。事実は、まだ治っていなくても退院させられる訳であるが。
僕がかかわっていた、鼻の穴から内視鏡を挿入して目の奥で脳の底にある下垂体の腫瘍を摘出する手術などは、手術の傷が体の外にはなく治りも早いため、日本でも術後1週間から10日くらいで退院可能となる事もある。これが米国に行くと、2、3日で退院である。つまり「脳腫瘍」の手術を受けた次の次の日には退院。患者が退院したいかどうか、は知らない。退院させられる。2、3日で退院できる状態なのだから退院するのが当然なのである。日本のように、「先生、来週の土曜日が『大安』で家族も迎えに来れるというのでその日でいいですか?」と、今日退院可能な人が希望を述べそれが通ったりする世界ではない。
だから最近米国の医療制度を導入、というか模倣しようとしている感があるのだが、「あなたたちどこをみてそんな事決めているのよ?!」と関係各位に申し上げたい。平均在院日数の基準による急性期病院の指定、施設基準による医療費(手術費)の変動の導入、特に年間のある手術の件数を元に翌年の手術料を変動させる施設基準の導入。たとえば脳動脈瘤の手術なら、前年一年ではなくこれまで何例経験したかとか、どんな部位の手術を経験したか、とかどんな上級医(指導医)と手術をやって来たか、とかそんな「中身」はいっさい関係なく、「前の年に何例やったか?」で決めるのである。そして最初はその基準が米国の約半分の数だったらしい。噂では、日本の人口が米国の半分だから、施設基準も半分でいいんじゃないか?という話しだったとか。本当だったら笑うしかない話しである。米国のようにセンター化するためには、上記のような特殊な街全体が医療センターというようなシステムが必要であり、保険制度を変える必要があり、日本の田舎や僻地などの人の多く住まない、交通の不便な地域の患者さんは見捨てる事を覚悟の上で進めなければならないのであるのに、そんな事はわかっていないのだ。
厚労省の役人の中に、自分が脳腫瘍になって手術を受けたら「順調ですから」と言う理由で3日後に退院させられるシステムのことを受け入れられる人がどのくらいいるのだろうか?郷里に住む自分の年老いた親がくも膜下出血で倒れたのだが、センター化されたため脳神経外科のある病院は、救急車で3時間かかる地方中心都市にしかない、搬送途中に再破裂をして重症な状態になり脳神経外科での治療の対象にならないから、と2、3日で地元の脳神経外科のいない中規模病院に戻されてそのまま内科的治療のみ、という事に将来つながって行きうる、医療センター化、施設基準の積極的導入、平均在院日数の重視などをこのままの形で進めて行くつもりなのだろうか?
無駄に長い入院や入院の必要の少ない患者さんの積極的な退院、医療費の抑制、結構な事である。でも日本の今のシステムで退院させられて人がどこに行くのか?老人二人暮らしの自宅に戻るしかなかったり、「施設」に入所を希望しても待つ順番が120番目というのが現実なのである。
米国の医療制度の弊害をもう少し勉強してから「模倣」してほしいなぁ〜。
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